「むき」あえた先で、また「あえ」て 9-3


 あやまるって、何なんだろう?


 前を歩く先生を見ながら、頭の隅で考えてみる。


 相手を楽にするため?

 それとも自分が楽になるため? 

 どちらに非があると、互いに認識するため?


 それが何の為になるんだろう? 今まで考えたこともなかった疑問になす術もなく、立ちすくむ。


 先生は私に謝罪をした。あの事の出来事を自分のせいだと、私が間違っていた、と………


 そんな事ない。先生は悪い事をしていない。それは私が一番よく知っている。

 そもそも、私が悪いはずだった。

 私さえ居なければ、こんな事にはならなかった。


 でもきっと、先生もそんなふうに思っていたんだ。私と同じ、いやもっと深くそう思っていたに違いない。だって、先生はこの仕事が好きだったのだから。


 一番好きだったはずの仕事を一度手放すくらいに後悔していた。その後悔を、今、謝罪として私は受け取った。


 なら、今の先生は救われた? 

 ずっと抱えていた気持ちを、私に伝える事ができて、気が楽になれた?


 多分………違う。


 もし救われたのだとしたら、どうして今、先生の背中はあんなに重そうなのだろうか。


『ごめんなさい……!』


 はっきりとした声が、頭の中に鳴り響いた。

 ノアもそうだった。昨日、ご飯を食べている時も、ずっと下を向いていて、苦しそうで、それなのに、私はそんな彼女に、何もできなかった。


『ごめんね、真惟………』


 耳元で聞こえたかつての母の声に、背中から首にかけて、ジーンとしたやさしい痛みが、込み上げてくる。そんな事ないって、あの時も伝えられなかった。


『まい………ごめんよ………』


 波打ち際の錆色さびいろをした記憶が、波のように押し寄せては、引いていった。ぼやけて、砂嵐のように荒れた記憶が、ノイズのように鳴り響く。


 みんなそうだった。みんな私に向かって、謝っていった。


 ぼやけた痛みが、脈を打ちながら胸に押し寄せて、まるで駄々だだねた子どものように私を叩く。


 そうだ………私は知っている。この感覚を、ずっと前から、よく知っている。


 横を向いた。校庭が覗ける窓に、うっすらと写った自分と目が合う。無表情で、何を考えているのか分かりづらくて、何かを無くしたような自分の顔が。ゆっくりと、ガラスの向こう側の自分が手を伸ばす。無表情なまま、何かを求めて宙かく手が、こちらを向いて彷徨さまよっている。


真惟まいちゃん」


 ふとした声に前を向く。先生は廊下の曲がり角に立っていて、その先を指差していた。


「ここをまっすぐ行って突き当たりが図書室だから……」


 つらそうに言葉を止めた先生に「はい」とだけ言葉を返した。胸の中が押しつぶされて、それ以外言えなかった。


 小さく、先生が別れを告げると、私の横を過ぎていった。すれ違う瞬間、ふわっとした風が私の髪を撫でて、そのあとは何も残らなかった。


 胸の中に、虚無が広がる。底のない暗闇から手が伸びて、足と地面をつなげて、離さない。


 昔と一緒だ。何も変わってない。変わらない。変えられない。


 届かない。誰にも、これからも、何もできなくて、うつむいたままで。 

 

 目を閉じる。真っ暗な虚無に、沈むように。

 息を呑んで、何かにこらえる。何かって何だ。それすらわからないまま、胸を刺す痛みから目を背けた。


 背けても、まだ叩く。痛みが、何かを訴えるように、どんどんと、胸を叩いている。


 もうやめてよ。離してよ。何でまとわりついてくるのよ。


 もう十分わかったでしょ。私は無力なの。何もできないの。あの冷たい部屋の本棚の前で、必死にもがいていたあの頃から、何も変わってないの。


 耳鳴りがする。キーンと、次第に強くなっていく痛みと一緒に私を押しつぶす。抜け出す為に、全身に力が入って、肩が震える。


 やさしいってなに? 何でみんな私にそんな事を言うの? 本当にやさしいのなら、どうして私は周りにいる人を悲しませてしまうの? 何でみんな謝るの?


 呼吸に力が入る。苦しくて、口を開けると、暗闇から伸びる手が、首元を締め付けた。苦しくて、奥歯を噛み締める。耳鳴りが、ボソボソと囁く。罪状を、唱えるように。


 それなら、これでいい。もう、押し潰して欲しい。私なんて、どうなったっていい。だって、そうでしょ? 母さんも、先生も、私の為を思ってくれたのに、二人に辛い思いをさせて、悩ませて。私なんて居なければ、きっと二人は幸せだった。


………潮音しおんあかりは?


 耳元で囁く音が、声になる。


 二人といるのは楽しい。けれど、二人はしっかりしてるから、私がいなくても大丈夫。それに、私と出会わなくたって、二人はきっと幸せを見つけられる。


………ノアちゃんは?


 脳裏にすーっと、ノアの顔が思い浮かぶ。悲しい顔、不安そうな顔、楽しそうな顔。いつもノアは、色んな表情で私を見ていて、そんなノアを私も見ている。隣で眠る、寂しげげな寝顔を思い出して。布団の外をただよう冷たい手を、そっと握りしめる。


………どうしたいの?

 

 わからない。

 冷たい手に、力を入れた。

 何で握った? どうして、この小さな手を、手に取った? 


 ザラザラとした雑音が、濁流だくりゅうのように推し寄せる。


………わたしも、見捨てるの? 他の人と同じように。私と同じように、あの子も………一人にするの? 



「先生!!」


 

 衝動のままに大声を出して、勢いよく振り返った。荒げた息が、喉をこする。


 少し離れた場所で、先生が驚いて振り向いた。


 違う。


「先生、わたし……!」


 何度も練習した、ごめんなさい、と続くはずだった言葉をせきき止めた。

 

 違う、そうじゃない。今伝えたいのは、私が伝えなきゃいけない事は


 ずっと、後悔してきた。いつだって、どんな時だって、誰に対してだって。苦しかったら、こんな気持ちを誰にも感じてほしくなくて。


 ずっとずっと、感じてた。あの日、隠れるように、一人ですすり泣く母を見た時から、心の奥底でくすぶっていた。


 なら……その為に、私には何ができる? このやり場のない後悔を、私はどうしたい? 思い出したかのように、幼い頃にした決意が込み上げる。そして、いま私の前に立っている先生と向き合った。


 人に教えることが好きで、優しくて、幼い私にお節介と思われるくらいに寄り添ってくれた。そんな先生に、私は何を思っていた? 何を感じていた?


『人はね、他人を変えられないんだよ』


 うん、わかってる。痛いほどに実感してる。

 誰に何と言われても、私は変わったようで、変わっていなかった。変えることができなかった。救えなかった。だから、つらかった。誰の期待にも応えていないようで。


『………でもね、マイ………』


 懐かしい、やさしい声が頭の中で響いている。

 苦しいくらいに、蓋をしていた言葉が、私の肩を抱き寄せて、


『きっと………それでいいんだよ………』


 私を深く、包んでくれた。



「ありがとうございましたっ………」


 声と一緒に、言葉にならない何かを思い出すように、喉から込み上げてくる感情を、撫で下ろす。


 その瞬間、すーっと痛みが抜けた気がした。

 重く、固くなっていた肩から力が抜けて、自然なままに、目を閉じて頭を下げた。


「幼い私に、言葉を教えてくれて………一緒に辞書を手に取ってくれて。休み時間に、いつも話しかけてくれて………本当に、ありがとうございました………………」

 

 ずっと胸の奥で抱えていた物を、感謝として先生に伝えた。言葉にできたのが不思議なくらい、息が揺れる。それを隠すように、喉の奥に力を入れた。


 顔をあげると、今にも泣き出して崩れそうな先生がこちらを見ていた。


「そんな………私、あなたに酷い事を……」


「………そうかも知れません。でも、先生がいてくれたから………私は人と向き合えるようになりました。人に向かって、手を伸ばすようになりました。だから、これからも、先生の教えを大切にしていきます」

 

 胸の奥で刺さっていたものが消えて、代わりに決意が実っていく。まるで、最初からそこにあったかのように、胸に空いた穴を埋めるように。


「ありがとうございました」


 再び口にして、頭を下げる。昔の自分が言いそびれてしまった事を、過ぎた時間の分だけ気持ちを乗せて、しっかりと先生に届くように。


 ふかくふかく、頭を下げた。



 



 これでよかったのかな? と教えてもらったように、廊下の角曲がったあたりで思い返す。


 顔をあげると、先生は泣いていた。

 溜め込んできたものが崩れたように、両手で顔を覆って泣いていた。


 すぐさま近寄ると、先生はまた謝った。鼻を啜りながら、何度も何度も、ごめんね、本当にごめんね、と。もう、謝る必要なんてないのに。


 だから私も、どさくさに紛れて謝ってきた。ごめんなさいって、一言だけ。聞こえていたかはわからないけど。でも、それでよかったんだと思う。今はその分だけ、胸があたたかい。


 見知らぬ廊下を、一人で歩く。

 多分、ここは理科室かな。こっちは家庭科室かなって想像して、そこで過ごす人影を思い浮かべる。


 怒ってるかな? 遅くなっちゃったから、酷いことしたって自覚はある。それなら、存分に怒られたいな。その権利があの子にはあるし、今度は何を言われても、すぐに追いかけられる。そのくらい、意思が固まった。


 長くて短いような廊下が終わり、突き当たりに立つと、図書室へと繋がる扉を少し開けて中を覗く。


 明るい部屋の中にずらっと並ぶ本棚と、無駄に大きなカウンター。そして、部屋の中心に置かれた大きなテーブルの中心に、その背中はあった。

 

 子どもには少し大きすぎるくらいの木の椅子に、ちょこんと座って、何かを読んでいる。その寂しげな背中に、いまさら罪悪感を感じた。


 ふと、手元を見る。さっき、別れ際に、先生に手渡されたA5サイズの小さいなノートの表紙を手でなぞる。


「わかっています」


 誰にも聞こえないような、小さな声で囁くと、表紙に書かれた名前を見て微笑んだ。


 今度は私の番です。



 音を立てないように扉を開けると、気づかれないように、小さな背中へと忍び寄った。

 あと、少し。駆け寄れば振り向く前に触れることができるあたりで立ち止まって。大きく息を吸い込む。そして、頭の中で名前を思い浮かべた。


希空ノアちゃーーーーん!!!」


 ありったけの気持ちを、自分でも信じられないくらいの大声で。その名前に思いっきり乗せて、叫んだ。

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