「むき」あえた先で、また「あえ」て 9-2

 混乱した意識の中でも、目の前を歩く懐かしい背中を追いかけた。


 不思議だった。知らない校舎で、私も先生もあの頃とは違うはずなのに、昔と同じように感じる。


 まるで夢の中のようだった。

 頭がぼーっとしていて、そもそも先生はあの時に辞めたはずなのに、それなのに、いま目の前に先生が先生としている。それが、信じられないくらい、嬉しいかった。


 しばらく歩くと、先を行く先生が速度をかえた。ゆっくりとスピードを落として私と並ぶと、先生は横目で視線を向けて、口を開いた。


「こうして真惟まいちゃんと廊下を歩くの……何だか懐かしいね」

「そうですね……けれど、私はあまり教室から出なかったので……一緒に歩いたのは図書室にいく時くらいでしたね」

「うん……そうだったね」


 声を聞いて言葉を交わすたびに、懐かしい記憶があふれてくる。一つの記憶を引っ張ると、別の記憶も一緒についてきて、引き上げるたびに心が揺れる。


「最近はどう? 元気にしてた?」

「ええ……それなりに」

「また勉強ばかりしてない?」

「それは……否定しません」

「もう、勉強もいいけど、ちゃんと遊ばないとだめだよ。まだ高校生なんだから、楽しむことも学ばないと」

「わかってます。だから、ほら」


 スカートの端を指でつまんで、少し持ちあげた。


「スカートは短くしてます」

「あはは、確かに。でも少し短すぎない?」

「そうですよね。私もそう思います」

「ん? それってどう言う意味?」


 私の回答がよっぽど不思議だったのか、先生が立ち止まって首をかしげる。


「もともとは膝丈まで下ろしてたんです。でもこっちの方がいいよって、いってくれる人がいて………あの、先生。恥ずかしい事を言いますけど、聞いてもらってもいいですか?」

「もちろんよ。聞きたい。話してみて」


 先生の優しい視線が、私を見つめる。大した話じゃないから、その分だけ緊張して。でも、これも話したい事だから、少し視点を下げて、言葉に載せた。


「あの……先生。私、友達ができました。ちゃんと私の事を考えてくれて……向き合ってくれる友達が。私自身が、一緒に過ごしたいって思える友達が」


 言葉と一緒に、ついさっきまで一緒にいた二人の顔が思い浮かぶ。友達が出来たなんて、この歳にもなって、そんな事をわざわざ報告するのはどうかと思う。けれど、先生には話したかった。どうしても知っておいて欲しいかった。


 話を終えて視点をあげると、先生は固まっていた。無表情なまま、息をしているのかわからないくらい動かなくて。やっぱり、まずかったかな、と思い謝ろうとすると、「ほんとうに?」と驚きがまじった先生の声が聞こえてきた。


「二人しかいませんけどね」

「人数なんて関係ないわ。そっか、よかったね。本当に………本当によかった……」


 大袈裟なまでに先生は喜んだ。見ているこっちが恥ずかしいくらいに。


「人と一緒にいたいって、ようやく思えるようになりました。だから、母がノアちゃんを連れてきた時も………最初はすごく戸惑いましたけど、今は嫌じゃないです」

「そう………」

「はい。ずっと見守りたいくらいに………でもやっぱり私は、人付き合いがうまくありません。昨日も、私のせいでノアちゃんを傷つけてしまいましたし………」

「…………そうなんだ………多分、その事なのかな? きずくさんも昨日揉めてしまったって、とても気にしてたわ」


「ノアちゃんが?」

「ええ、すっごく。でも真惟ちゃんのことを、とてもいい人で、すごい人だって言ってたわよ」

「冗談じゃないですか?」

「いいえ〜、本当よ。あ! あと、とってもやさしい人だって!」


 やさしい人。その言葉に背中の裏側がむずがゆくなる。きたいのに、掻く方法がなくて、もぞもぞしていると、先生が笑いながらからかうように、よかったねー、などと言ってきた。


 もう、本当に恥ずかしいのだから、勘弁してほしい。けれど、先生があまりにも楽しそうに笑うものだから、怒る気にもなれなかった。


 信じられない光景だった。

 私の目の前で、先生が楽しそうに笑っている。たとえもう一度会えたとしても、笑い合うことなんて二度とないと、思っていたのに………


 先生が笑うたびに、胸の奥でつっかえていた物がとれていく気がした。じぐじぐと突き刺さっていた破片が一つ一つ抜けて、胸の奥があたたかい物で満たされていく。


 こんな時間が、ずっと続けばいいのに。けれど、先生の笑う声は、次第に小さくなっていって、最後には下を向いて息をこぼした。 


「今日ね、教室で揉め事があったの」


 重い口調で言われた言葉に、お腹の中が締め付けられる。


「それって、ノアちゃんも関わっていますか?」


 恐る恐る、慎重に訊き返すと、暗い声で先生は「ええ」と頷いた。さっきまでの浮かれた気分が嘘のように、静まり返る。


「城さんのお母さんの事を、クラスの男の子たちが問いただしたみたいでね。その時いた近くの席の子がね、その子達と言い争いになっちゃったみたいなの。城さんはそれを止めようとして、その……動揺しちゃったみたいで……」


 いい辛いように、先生の口調が濁る。昨日台所での出来事が頭をよぎる。こないでください、と強く言われた時の衝撃を、再び全身に感じた。

 

 肩を落とす私に対して、自分を責めないで、と励ますように言うと、またゆっくりと歩き出した。その背中を遅れて追いかける。

 

「城さんね。さっきまでは飼育小屋にいたの」

「飼育小屋?」

「うん、そう。城さん動物が好きみたいでね。去年、委員会を決める時に、真っ先に飼育員に手をあげたの。ずっと決めてたみたいよ。今日だって嬉しそうにしてたんだから」

「そうなんですか………」


 知らなかった。でも、不思議と小動物に囲まれてる姿が想像できた。


「他にもノアちゃんが学校で好きな事ってありますか?」

「もちろん。もともと、学校が好きな子だもの。明日も教室にいくって、決意してたわ」


 先生からのノアの報告に、少し安心して胸を撫で下ろす。


 まだ学校が嫌いな場所になったわけじゃない。

 それに、学校にはまだ私が知らない、ノアの好きなものが他にもある。それはいい事だ。とってもいいことだ。好きなことがあるなら、ノアの為に私が出来ることが、まだたくさんある。




「よかった」


 突然、ほっとしたような、優しい声に顔をあげる。


「何がですか?」

「昔と同じ、私が知ってる優しい真惟ちゃんで」

「え………?」


 先生が言ったことが、よくわからなくて立ち止まる。優しいって、何が? どう言う事?


 立ち尽くす私に、先生は振り返り、その優しげな視線を返してくれる。


「ずっと、不安だった。変えちゃったんじゃないかって。あの時に酷いことしちゃったから、すごく傷つけちゃったのに、それでも真惟ちゃんはこうして自分を伸ばしてる」


 すごいね、と先生は言った。

 表情は穏やかで、声音も柔らかいのに、それらの言葉全てに、引きつる物を感じる。


「そんな……私だって、先生に」

「ううん。真惟ちゃんは守っただけ。自分の居場所と、大切な物を。それでよかったんだって、今の真惟まいちゃんときずくさんを見てればわかる」


 どうしてそこにノアが出てくるのか、き返す前に、私は間違えちゃったから、と先生は話を続けた。


「城さんね。お母さんが亡くなってから、ずっと心を閉ざしてたの。普通に受け答えしたり、笑ったりしてたけど、それが周りに迷惑をかけたく無くて、無理をしてるって事はわかってはいたわ。でもね、わかっていてもね、私には何もできなかった。先生なのに、大人なのに、怖気付いて、動けなかった。何もできなくて、ただ隣にいることしかできなかった」


 段々と強く、痛々しいほどに、先生の言葉に感情がこもる。今にも崩れてしまいそうなくらいに。


「また担任を任せてもらったとき、正直何をしてあげればいいのか分からなかった。もっと一緒に遊んであげたほうがいい? もっと城さんに意識を向けて、変化を見逃さないようにした方がいい? それとも……私には無理です、と潔く諦めた方がいい? 色々考えてみたけど、どれも違う気がしたの……城さんに元気になって欲しいのに、またちゃんと笑っていて欲しいのに、結局それは、私の一方的な押しつけにしかなっていないようで………だから、結局どうしたらいいのかわからなくて、気づけば今日になってた。でもね、そんな私の不安なんて杞憂きゆうだったみたいに、今日の城さんは何かが違ってた。確かに落ち込んではいたけど、でも言葉に意思が乗ってたの。何かを決意したように、すごく前向きに……春休みの前とは、見違えるように」


 先生が私に近寄り、手を伸ばして私の肩に触れる。もの悲しくて、でもどこかほっとしたような視線が私を見つめた。


「きっと、あなたのおかげよ」


 感謝されたようなその言葉に、目を見開いた。全てが固まる。まるで時が止まったかのように、声が出てこない。


「春休み中、真惟ちゃんが側にいてくれたから。逃げ出さずに、ちゃんと向き合ってくれたから。だから城さんは踏み出す事ができた。それって本当にすごい事。この数ヶ月、あの子の周りにいた誰もがしてあげられなかった事を、真惟ちゃんはしてあげたんだよ」


 目の前で私を見つめる先生の目の端に、光るものが見えた。


 何で? と声を出す前に、ふう、と大きな息が先生からこぼれ、肩に触れた先生の手が、ゆっくりと体温だけを残して離れていく。


「ごめんね。大人なのに……先生なのに、情け無いところ見せちゃって」

「いえ……そんな事は………」

「ねえ………真惟ちゃん」

 

 静かな声に、息を飲む。


「本当に、ごめんね」


 それが何に対しての謝罪なのか私が理解する前に、先生は再び歩き出した。


 ノアがいる図書室に向かって、何も言わずに、ただゆっくりと。私が向かうべき場所へと、足を進めた。

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