「むき」あえた先で、また「あえ」て 9-1
当時の私は心を閉ざして、学校ではいつも一人で部屋の本棚から持ってきた本を読んでいた。いや、違うかな。読んでたわけじゃなくて、どちらかと言えばしがみついていたんだ。
あそこにある本は、今でさえ理解するのが難しくて、それを言葉や漢字を学び始めた小学生が読めるはずがなかった。
それでも知りたかった。知らなければいけないと思っていた。
買ってもらった辞書を片手に、必死になって言葉を調べて、自分の辞書に載っていない言葉があれば、図書室に行ってさらに分厚い辞書で調べる。遊んでいる暇なんてない。本を理解すた為に、授業以外の学校にいた時間と、母が帰ってくるまでの家の時間を全て費やした。
それでも、わからなかった。
わからない事を自分のせいだと否定しながら、必死にもがいていた。
そんな時に、葉桐先生と出会った。いつものように教室の隅で本を開いていると「どうしたの?」と当時、担任だった先生の方から話しかけてきてくれた。
最初は「友達と遊ばないの?」などと聞いてくるめんどくさい人だと思っていた。けれど、いつの頃からか、一緒に辞書を手に取ってくれて、私のわからない言葉を横から丁寧に教えてくれた。
同級生や他の先生たちと違って、ちゃんと私と向き合って、一緒に調べて教えてくれて……だから私も、そんな先生に少しずつ心を開いていった。それなのに……
“出てってください”と、記憶の中の幼い言葉が、胸を刺した。
「真惟ちゃん?」
懐かしい声に名前を呼ばれて意識を戻すと、時間が経ったのに昔と変わらない、よく知った先生の瞳と目が合った。
「……はい」
「ほんとうに、
「あ…はい、真惟です……」
よくわからない質問に、戸惑いながらも答えると、先生は私をじっくりと見て、それからほっとしたように、やさしく微笑んだ。
「おおきくなったね」
その言葉に、息を呑む。
胸が苦しくて、逃げ出したかった。
「髪、切っちゃたのね。雰囲気が変わってたから、声をかけた時不安になっちゃった」
「中学生の時に……似合わないですか?」
「ううん。ただ、綺麗で長い髪が印象に残ってたから。でも、今の髪型もとっても似合ってる」
「ありがとうございます……その、先生は……」
そこで止めて、ようやく記憶を追うのではなく、目の前にいる今の先生へと意識を向けた。
私の背が伸びたからか、先生が記憶の中よりも小さくて、いつも見上げていた目線が、今は自然にみられる。先生の目元には大きなクマがあった。昔はなかったのに、いつからあるのだろうか? その事が少し気になった。
「どうしたの? だまっちゃって。あ、もしかして、老けたかな?」
「あっ、いえ、そんな事は!」
私があわてると、先生はくすくすと笑い「冗談よ」と言うと、またすっと自然な表情に戻った。そうだった。先生はこんな感じだった。生徒が緊張し過ぎないように、時々冗談を混ぜて話をする。よく覚えてる。だって、先生のそんなところが、幼い私は少し苦手だったから。
でも、今はもっとからかって欲しかった。
怖いのに、苦しいのに、先生の声を聞いていたい。
ずっと夢見ていた。また、こうして向き合える時を。
後悔していたから。突き放して、何も言えず、目の前からいなくなってしまった時からずっと。話しかけるべきだった。あの時にちゃんと自分から謝れていたら、きっと今とは違っていたはずだから。
言うなら今だ。
遅いって事はわかっている。これが自己満足だって事も。それでも伝えなきゃいけない、そう思って、勇気を出して口を開く。もし、また会えた時の為に何度も何度も頭の中で練習してきた言葉を、息と一緒に振り絞って、そして、
「あの先生、私っ!」
「どうして遅くなちゃったの?」
タイミングよく重なった言葉に驚き、目を見開いた。
言おうとしていた言葉は止まり。硬直した気まずい空気が、刻々と流れる。私の勢いが強かったせいか先生も驚いて、目を点にしていた。
そうだ。今日ここにきたのは、これが目的じゃない。履き違えるな。今は私の事じゃなく、一刻も早くノアを迎えに行かなくちゃ。
一度目を閉じて、
「……ごめんなさい。えっと、
「ちょっと」
つらつらと、当たり前のように話す先生に、違和感を感じて言葉を遮った。びっくりして、先生が話すのを止める。
「ちょっと……待ってください」
おかしかった。私が知らないことを、先生は知っている前提で話している。そのずれが、どこかとてつもなく気持ち悪く感じた。
「もしかして、お母さんから何も聞いてないの?」
信じられない物を見たかのように、先生は言うと、私は眉を
母、と言われたことで何処か納得していても、動揺が隠せなかった。
「そっか……何と言うか、相変わらずのお母さんだね」
なにも言わずに、頷いた。
ぐちゃぐちゃした感情が、再び喉の奥を突き刺して、それを飲み込むために、視線を下げあごを引く。
「ごめんなさい、悪く言うつもりはなかったのだけど………私も何となくだけどお母さんの気持ちもわかるし…………」
私に気を遣ったのか、母を擁護するように、先生は言った。
「ええ……わかってます。わかっている………つもりです」
静かに、手のひらを握りしめる。
ここ最近の母がいつも以上に私を気にかけてくれていた事は知っている。何度も向こうから話しかけて、さっきだって電話をかけてきてくれた。けれど、それでも飲み込めない感情が胸の奥に刺さっている。
「そっか。うん………じゃあ、改めまして。私が城さんの担任の葉桐です。城さんの担任は去年からの引き続きです。城さんは今、図書室にいるから……真惟ちゃんさえよければ、そこまで一緒にいきましょうか」
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