生きる
K.K.
X
生きるってなんだ
呼吸することか
上手にできたって花丸をもらえることなのか
もっと努力しろって叱られることか
制限された自由のなかでもがくことか
自分らしくいることか
これらが正しいのなら、ボクは本当に『生きている』と言えるのだろうか
3月の上旬にしては、珍しい夏日。
全国各地の高校で卒業式が行われる中、私たちの通う雪宮高校でも卒業式が行われていた。
「奏雨 麗華」
奏雨麗華、通称レイ。私の高校生活の大部分を共にした、唯一の親友。式場にはその姿はない。昨日のリハーサルでは『明日は絶対いい式にしてやる!目指せ主任の涙腺崩壊!』なんて、馬鹿げたことを言っていたのに。親友はイベントがある毎に熱を出していた。本人曰く、体の調子が高ぶりすぎて天元突破したとのこと。何言ってんだと突っ込んだのはもう随分前の話だ。
返ってこない返事に寂しそうな顔をする担任。だが。いつまでもそんな表情を晒す訳にもいかず、さっさと切り替えて次の名前を呼ぶ。次は、私の番だ。
「霧谷 凛月」
「はい」
言われた通りに卒業証書を受け取り、そのまま壇上から降りて下に貼られたガムテープの目印に沿って歩く。ここを通るときは、毎回親友に軽い悪戯をされる。しかし、今日はそれがない。
なぜ、今日に限って居ないのか。人生で、1度しかない舞台なのに。この制服をきちんと着られるのはこれで最後なのだ。我儘ではあるが私はレイと一緒に記念として写真を残しておきたい。
段々とここにはいない親友のことで頭が飽和して、寂しくなってきた。そんな私を知らん振りして式は進んでいく。次は、3年間を振り返る呼びかけで、レイの代理は私。急遽変更された呼び掛けは、雪宮高校と別れる寂しさについてのものだった。
「3年間を過ごした私たちの学舎、雪宮高校。沢山の、思い出を築いたこの、場所とも。今日で……お別れ、です」
呼び掛けのときに涙が滲み出したのは、卒業する悲しさのせいなのか、レイが居ない寂しさせいなのか分からなかった。
レイが来ないまま式も、最後の学活も終わった。先生が名言を言っていたけど、私はレイの家に突撃したくて堪らなかった。先生には申し訳ないが、私は親友第一主義者である。その代わり学活で言っていたことをレイに伝えるから許して欲しい。
友達と何枚か写真撮影して、お母さんにレイの家に行く旨を伝えた。さあ行こう、と歩き出したとき。レイママが私の方に向かって走ってきているのが分かった。
「……え」
なぜレイ本人じゃなくてレイママが。しかも、結構急いできたのか髪の毛が少し崩れている。せっかくの美人が……いや、これはこれで綺麗である。
「りっちゃん!」
「は、はい!凛月です!」
そんなことを思っていたら早速変なことを口走った。
「ごめんね、晴れ舞台なのにこんなおばちゃんに付き合わせて」
「レイママが、おばちゃん? ちょ、鏡見てきてください、今すぐ、迅速に!」
「ふふ、ありがとうね。おばちゃん嬉しいわ。でも、今はりっちゃんに伝えなきゃいけないことがあって」
艶やかな笑みから真剣な顔に変わった。伝えなきゃいけないことは多分、いや絶対レイのことだと直感的に感じた。
「ここじゃあまりにも場違いすぎるから、おばちゃんの家に向かいながら話すわ」
「分かりました」
レイママのこんな真剣な表情は見たことがない。レイに、何が起きたのだろうか。
「…今日は卒業式じゃない? だから、私もレイが喜んでくれるのを願って朝から料理、頑張ったのよね。それで、レイを起こさないとって思って、部屋に行ったの。でも、そこには。部屋にレイの姿は無かったのよ。」
「…は」
つまり、『レイが消えた』ということか。何故、どうして。誰が。誰がよりによって今日、レイを連れ出したのだ。レイを助けてあげなくてはいけない。そうだ、助けてあげなくては。レイの唯一無二の親友である私が、私こそがレイを助けてあげなくてはならないんだ。
「りっちゃん?」
「あ、いえ。何でもないです。その話、詳しく聞かせてください」
いつの間にか足が止まっていたようだ。はやく家に行って、手がかりを探さないと。
「詳しく、っていってもねぇ……私も詳しいことが分からなくて、りっちゃんのところへ走ったのよ。レイに連絡しようとしたんだけど、スマホを置いてったらしくて連絡がつかないの」
「そう、ですか……」
なら、スマホを見れば何か分かるかもしれない。レイママは極度の機械音痴だから、慣れないスマホを扱うのは苦だっただろう。スマホにはロックがかかっているが、気合いでどうにかする。
その後レイママも私も何も言わず、沈黙が訪れた。春にも関わらず太陽が私たちをジリジリと照らして汗が出てくる。お母さんが用意してくれたレイ用の飲み物はとっくに温くなっていた。こんな暑い中、レイはどこにいるんだろう。
「着いたわね。さあ、上がって上がって」
「お邪魔しまーす」
靴を脱いでリビングへ通される。卓上にはポテトサラダや塩麹漬けの焼き鮭など、レイの好きなものが並んでいた。空腹のお腹にこれはくるものがある。
「……食べてく?」
「いえ、お気持ちだけいただきます。この料理はレイのためのものですから、私が食べる訳にはいきません」
「そう。でも、まだこれから動くのに何も食べないのは……買い置きしてた唐揚げ食べていく?」
そう言いながら冷蔵庫から唐揚げを取り出し、食卓の上へ置いた。質問ではあったけど、イエスしか答えがない。
「じゃあ、いただきます。」
「はい、召し上がれ」
レイママの優しさが詰まった美味しい唐揚げなはずなのに、今の私にはただのゴムの塊を噛んでいるようにしか感じなかった。
結局2、3個しか食べられず、調査にうつった。レイママは基本なんでもしていいと言っていたし、思う存分調べさせてもらおうと思う。
レイは居ないが、いつもの癖でノックをする。いつもと違って、返事はない。そのまま扉を開け、部屋に入る。白い壁、フローリングの床、小さめのベッドに勉強机。部屋の持ち主が居ないこと以外、いつも通りすぎる光景だった。
最初に机を見た。机上には私たちが受験した大学の赤本と、ノートが数冊積まれているだけで、特に手がかりとなりそうなものは無かった。
次に、机に付属している3段の引き出しを引いた。
最初に下段。高校で使った教科書しか入っていなかった。
次に中段。そこには予備の消しゴムやシャーペン、チェーンの切れたキーホルダーが入っていた。ここにも、手がかりとなりそうなものは無い。
最後に上段。ここは鍵付きの引き出しで、私も中を見たことがない。開かないだろうと思いつつ、試しに引いてみた。キィと引き出しは軽い音を立ててあっさりと開いた。
「……開い、え、何で?」
レイはどんな時であろうともここだけは開けようとしなかった。もしかして、何か手がかりがあるのか。空き巣みたいに引き出しの中身を出す。出てきたのは数十冊のノートだった。1番近くにあったノートを開いていみると、『日記』とだけ書かれたページが目に入る。
「日記なら、レイに起きたことが少しは書いてあったりするかなぁ。1番最新のは……これかな?」
3月14日
あと少しで高校卒業になる。凛月と同じ大学を受験したけど、明日が凛月と会える最後の機会になるかも。少し寂しい、かな。
一昨日書かれた日記は、他の日と比べて随分文章が少なかった。私と会えるのが昨日で最後とはどういうことなのか。想像はしたくないが、どちらかが受験に落ちてしまっていても今の時代ネットで繋がっていられる。2人の予定さえ合えばいつでも会うことは可能だ。何だか不穏な気配がしてくる。
日記には普段の生活でレイが嬉しかったことや不安なこと、学校で友達と話した内容が細かく書かれていた。自分の気持ちを人に見られるのが小恥ずかしくて日記を隠していたのかもしれない。レイのことをよく知っていると自負している私から見ても、日記の内容は新鮮だった。だけど、手がかりになるようなものはなかった。
机にはなにも情報が無いのが分かった。次にレイがよくダイブしていたベッドを見てみる。机にスマホが無かったから、ここにあるかもしれない。パッと見は何も変化がない。枕元も見てみるが、きちんと整えられている。毛布をめくってみると、予想通りそこにはレイのスマホがあった。スマホを取ってみると、その下から三つ折りにされた1枚のメモが現れた。紙を開く。すると、メモの表面にはスマホのパスワードが、裏にはレイが書いたと思えない震えた文字で『メモを見て』とだけ書かれていた。普通、自分のスマホのパスワードをこんな分かりやすくメモしておかない。ならば、どうしてレイがメモを残したのか、なんて理由は1つしか思いつかなかった。
「レイは自分からどこかへ出ていった……嘘、何で」
電源を入れて、メモ通りのパスワードを打ち込んでみる。妙な緊張感が私を襲い、手はかたかたと震えていた。最後の文字を打ち込むとあっさりとロックは解かれる。1つ息を吐いて、言われた通りにメモアプリを見てみる。存在を主張するように1番上にある『X』と題されたメモを開いてみると、そこにはレイの硬い硬い殻に覆われた本心が書き綴ってあった。
________
私が僕であると自覚した。自覚を、してしまった。僕として生きるために、僕のことを伝えたいって思った。自分の在り方の名前は分からなかったから、誰かに頼りたかった。けれど、臆病な僕には出来なかった。変わるんじゃないか。人に指をさされて、笑われてしまうかもしれないと思うと怖かった。苦しかった。だから全部全部、隠してきた。行動も、考えも、心も。せめて、僕の現状を、在り方の名前を知りたかった。ネット検索をかけ、調べに調べた結果判明したのはただ1つ。僕は、少数派だった。多数派の陰に隠れていなければ、本音を全て心の底に押し込まなければ生きていけない。この事実だけは、嫌になるほど理解できた。
高校に進学した。その頃にはもう、周りに合わせるのは慣れてしまった。自分を殺すことに、慣れた。
僕のことを後々伝えずに後悔するなら、最初から言ってしまおうと思った。
「奏雨麗華です。レイって呼んでください。初めに伝えておきたいことが、あります」
予想外なことに、クラスの人達は僕を受け入れてくれた。差別されるのは覚悟してた。寧ろ、悪い方にしか考えていなかった。受け入れてくれるなんて思って無かった。一部学年の中では変な噂もたち、アウティングを受けた。慣れていたから無視していたが、友達は、凛月は無視しなかった。凛月はくだらない話でも、笑ってくれた。悩みだけじゃなくて、愚痴も聞いてくれた。
こんな経験、初めてだった。
誰かに話をじっくり聞いてもらえて、反応も貰えて。こんな事は初めてで新鮮だった。僕を殺して生きなくていいって、こんなにも幸せなのか。自分を殺さなくてもいい皆に、初めて嫉妬心を抱いた。
告白から1年がたち、春がきた。心臓がグシャグシャした。みんなは僕を受け入れてくれたのに。心のどこかでまだ僕のことを拒否してるんじゃないっかって疑ってしまうボクが居る。そんなボクが嫌いだ。大嫌いだ。
ああ、ああ、ああ! 胸糞悪い! ボクはただ、ボクとして生きてみたいって願っているだけなのに! 何が尊重だ、何が共生だ、何が助け合いだ。結局はボクたちをいい道具として扱って善人っぽく振舞いたいだけじゃないか!
こんな今、捨ててしまってさっさと次へ進んだ方がいいんじゃないのか。そんな考えばかりがボクの脳内を支配した。僕を捨て去ってさえ、すれば。
……そうだ、死んでしまおう。全ては、ボクのために。ボクがボクのことを、愛せるために。
念入りに計画を立て、僕の心を捨てる覚悟だってした。けど、死ねなかった。否、ボクが死ぬことを放棄した。
ボクが生きてないのに、ボクが死ぬのはおかしいんじゃないか。だから、ボクがボクとして生きるために僕を殺そうとした。
『僕』が死んで、『ボク』が初めて生きる。それってなんだか、素敵じゃないか。思い立ったが吉日、早速動き出そう。計画を練り直して、誰にも気づかれないようにこっそりと準備を進めてきた。
そして、今日。同級生が雪宮高校を卒業する今日、ボクも僕から卒業しようって思ってここにきた。1つのメモ書きを残して。ボクの居場所が分かってしまうメモだ。凛月に見られたらまずい。あの話を覚えていたら、この場所はすぐに分かってしまう。しかも彼女は賢いから、きっとボクの急いで書いた文章に違和感を感じるのだ。あの減らず口を叩いているに違いない。そしてなんやかんや言いつつも、ボクの居場所を突き止めてしまうはずだ。にも関わらずメモを残したのは多分、1人は寂しかったんだろうな、なんて他人事に思う。
また、心臓がグシャグシャした。
「僕としての心を捨てる覚悟、したはず……なんだけどな」
なら、何故まだ心臓が心としての役割を果たしてしまうんだろうか。
________
「生きるって、何か分からない。だから、このメモのタイトルは未知数を表すX……。あのバカ、何で相談してくれなかったの。親友なのに。いつでも相談、のったのに……」
『つらい』『くるしい』『たすけて』。紛れもない、レイの本心。私は気づけなかった。レイを差別するやつを追い払っているだけで、レイを救えた気になっていた。あいつだけのヒーローになったつもりでいた。でも、実際は違う。
気づけなかった私のせいもあり、レイは苦しんでいたのだ。
メモを読み進めていくと、レイが段々と狂っていくのが分かった。『僕』が死んで、『ボク』が生きる。それって結局はレイ自身が死んでしまうことと同義ではないか。
ふざけんな、ふざけんなふざけんなふざけんな! 私を置いて死ぬなんて絶対に許さない、許してなんかやらない! 自殺するくらいなら、私が先にレイを殺してやるくらいだ。思い返せば、今日はずっとレイの掌の上で踊らされてばかりだ。その事実に気づいたら、何だか無性にむしゃくしゃしてきた。これはレイに何か一言言ってやらねば気が済まない。
「絶対、見つけ出す」
手がかりがあるとしたら、きっとこのメモアプリの中。ファイル一覧に戻って、一つ一つメモを開いて確認していく。この際プライベート侵害だの言ってられない。今回はレイに非がある。寧ろ、レイなら粗探しにされることも予測済みだろう。下から2番目のメモを開く。他のメモと違って、所々漢字が使われていた。
『ボクのせいか。ボクがいるから、わるいから。じゃあ何で、何でボクに突っかかってくる。そんな事してもボクもあいつらも損しかしてないんじゃ。あぁ、でもあいつらはボクを見て笑うのが生きがいじゃん。なら納得かも、人を貶すことででしか幸せを得られないなんて、あいつらもざんねんだね。
そんなやつらに苦しんでるボクも、みっともなさすぎるじゃん。認められたい……でもみんな、差別が好きだから無理、じゃんか』
「……なんか、拙い。無理やり文章を作った感じがして読んでて嫌なんだけど。というか、なんで平常時書いたと思われるメモがこのフォルダにあるの?」
書かれた日付は昨日。もしかして、レイの居場所を示す暗号ではないだろうか。妙に賢いレイのことだ。暗号の1つや2つ残していてもおかしくない。それならば、文章が拙いのも納得が行く。
「わざわざ暗号を残すってことは、何か手がかりがあると思うんだよね。しかも、あの用意周到なレイにしては文章が雑すぎるから、急いで書いたんでしょこれ。となれば、そんなに難しいものじゃないはず……」
とりあえず有名な文字ずらしや数字、アルファベット変換を試してみるもどうも上手くいかない。うんうんと唸って随分経つが何も思いつかない。
「っだああああ! 変に凝った暗号作ったなあのバカ! いやこれが作れてる時点でバカではないんだけどさあ!」
流石にずっと暗号と向き合うのは精神的にきついものがある。思わず後ろに倒れ、床に寝転がった。カーペットのもふもふ具合が心地いい。だらんと伸ばした手にこつり、と硬い感触がする。このふかふかを堪能している私の邪魔をするのは何だ。手の方を見ると、先程漁ってそのままにしておいた日記があった。大きなため息をつき、そのまま少しボーッとする。
日記の中身が気になる。……どうせ見ても怒られないだろうし、息抜きに見てしまえ。
「思い立ったら即行動、それが私のモットー、イエー」
雑な韻を踏んでバッとノートを開く。書かれた日付は去年の11月。内容は『体育の持久走滅びろ』や、『先生が授業中一発ギャグを言ったら見事に滑った。わろた』など授業のことも書いてあれば、『凛月に漫画を布教され読み始めたら思ったより面白かった。でも素直に言ったら調子乗りそうだから黙っとくことにする』と会話内容まで書いてあった。そんなことあったな、と思って次のページをめくろうとした時。急に雷に打たれたかのような衝撃を覚えた。思い出した。確か、珍しくレイが布教してきた小説に暗号のくだりがあった気がする。熱く語っていたのは印象的だ。
「確か、ナントカって本に載ってたって……タイトル、思い出せない。え、ほぼ情報なし?うそうそうそ」
待て、この日記にそのことも書いてあるのではないか。会話内容をこんなにも詳しく書いているレイだ。情報の海に沈むより、日記を見て探す方が余程現実的である。そうと決まれば早速探し始めなければ。しかし、数十冊もある日記を一つ一つ見る訳にもいかない。レイと暗号の話をしたのはその本の新シリーズが売られ始めたころ、去年の夏だった気がする。山積みにされたノートを見ると気が遠くなってくるが、全部レイを見つけ出すためだ。仕方がない。
「こ、れ、は……去年の10月。ならもう少し遡ればいいか」
ノートの山を崩さないようそうっと手を伸ばす。新しく取ったノートをパラパラと捲るが、それらしい話は書いていない。また新しくノートを取る。同じくパラパラとページを捲ってく中、あるページで指を止めた。
「やっぱりあった」
7月15日
いつも凛月から本を布教されるから今日は僕が布教し返した。布教したのはミステリー小説。特に主人公らが暗号解いてくシーンはつい熱くなってしまった。手紙と見せかけた暗号までは割と定番だと思うけど、二つ折り、三つ折りがされてる分、句点から後ろの文字だけ抜き取って読めって気づくか普通。でもでも?その複雑なひらめきのおかげで?喧嘩してた主人公たちの仲が深まってくのがこれまた胸熱なんだよなあ!でも僕だとこのシーンは……
「……読書感想文でも書くつもり?」
その後も延々と続いていく文章に思わず遠くを見つめる。だが、ようやく暗号の解法が分かったのだ。すぐさま切り替えて、メモ用紙とスマホと対峙する。メモ用紙は三つ折り。つまり、句読点から3文字目を抜き出せ、ということだろう。しかし、4行目の『あぁ、』はどうしろというのか。3文字目を抜きだそうにも句点である。とりあえずその部分を除いて、文字を抜き出してみた。
『せるいなてんじ得なんボじみらゃ』
奇妙な文章が出来上がる。抜き出す過程でどこか間違えてしまったのだろうか。メモをよく見返してみる。
「あ、句点の前だけ不自然なほど漢字使ってないじゃん。『ざんねん』とか予測変換で出てくるからひらがなで打ち込むよりはやいのに。……あー、読点前は抜き出さない前提で作ってるってこと?ってことは、句点前だけ抜き出せばおけってことね?」
ぶつぶつと独り言を言いながらメモを見返し、字を抜き出していく。そういえば、まだ1番下のメモは見ていない。最後に書き込まれた時間はこの暗号が書かれた時間より後になっている。もしかしたら、それにも何か書かれているかもしれない。そうこうして、句点前だけを抜き出して出来上がった言葉は。
『せいてんじんじゃ』
____晴天神社。
この街から少し離れた山奥の、毎年夏祭りが開催される神社。確か神社の裏側は、昔転落事故があり立ち入り禁止となっている。それに、山奥にあるから、あの場所には人気がない。ああもう、都合が悪すぎる。
レイは恐らく、本気だ。晴天神社に、レイがいる。今すぐにでも走り出したいが、最後のメモは見ておきたい。これで最後のメモに「これはドッキリで~す笑」とか書かれていたらキレるぞ。頼むからそんなこと書いていないでくれ。いや、やっぱり書いてあれ。
『麗華。母さんがくれた、私の名前。綺麗で、愛らしい名前。結構気に入っている。けど、それはボクには可愛すぎる。呼ばれる度にボクはどこまでいっても体に縛られているのだと自覚してしまい、嫌気がさして、吐き気がする。だから、この名前で呼ばないようにお願いした。
レイ。皆が言ってくれる僕の名前。私の名前よりも、性別を感じない、ボクに近い名前。これも、結構お気に入りだ。でも、それは僕であってボクじゃない。
じゃあ、ボクは? ボクの名前は何なんだろう。ワガママすぎるのは分かってる。そんな自分だってだいきらいだ。ボクは、自分を愛せない。でも、ねえ、ボクはだれ、だれ、だれ?
……なんか、もうつかれちゃった』
一目散に駆け出した。持ってきていた荷物も全部ほっぽり出して、レイのスマホもベッドの上に乱雑に置いて。バタバタと足音をたてて急いで階段を下る。レイママが「凛月ちゃん?! な、え? 大丈夫?!」と叫んでいる。申し訳ないがそれに答えるほどの時間はない。50m走最高記録が生涯で9秒台の私の足が、人生で1番速く動いている。太陽は西の山に沈もうとしている。まずい。暗号解読にあまりにも時間がかかりすぎた。もっと、もっともっともっともっと急げ、早く動け、私の足。速く、速く、速く!取り返しがつくうちに。平日の夕方、制服を着て、全力疾走する私を道行く人はじろじろと見てくるが、そんなこと気にしてはいられない。
『こんなボクでも照らしてくれた太陽が消えるのと一緒に、ボクも消えたい』
レイが……いや、親友が書いた最後の一文が、脳内に焼き付いて離れない。
________
「……なんで、捨てちゃったんだろう。自分から捨てなければ、誰かがボクを見てくれるかもしれない人生なのに。ボクを認めて、理解してくれる人に出会えるかもしれない、の、に。
……だから、か。『かもしれない』って、凄く小さい望みに、ボクのこれからの人生全てがかかってるから。そんな一時の夢しか見れないくらいなら、捨てちゃった方がいいって思っちゃったんだ。
あーあ、クズだなぁ、ボク」
今の自分を冷静に解析しつつ、ろくに動かない頬の筋肉を動かそうとした。遠の昔に、表情筋は寂れてしまった。それはどうやら最期まで、ろくに動いてくれないらしい。肺の中のものを吐き出して、真っ赤な鳥居を潜った。神社の裏側にまわって、鬱蒼と茂っている草木をかきわけて進む。たどり着いたのは学校の3階より高い、20mほどの高さがある崖。事前にこの下の土は固く、比較的大きめな石もあることは確認してある。当たりどころが悪ければ、生き延びてしまう。
太陽は沈みかけている。ボクは、飛び降りる準備をする。大丈夫だ。今更、このまま生き続ける以上の恐怖などない。足を1歩、前に踏み出す。
「さようなら、ぼく」
死ぬ。そのはずだった。なのに、その瞬間に。
「_______!」
初めて、ボクの名前が呼ばれた。
________
私の腕の中にいる親友は生きている。呼吸をしている。死んでいない。家から疾走して約20分、なんとか、間に合った。
「……り、つき」
「……許さない。私を置いていこうとしたこと、絶対に、許してなんかやらない」
「ごめ、ん」
「……なんで、置いてこうとしたの」
私の問いかけに親友は俯き、目に涙を湛える。やがて堪えきれなくなった涙と本音が、悲痛な声となった。
「ボク、いやだった。ワガママすぎる自分が。生きられない自分が。嫌いで、嫌いで嫌いで嫌いで嫌いで大っ嫌いだ! 心と体が一致してないとかどうでもよかった。それがボクの普通だから。人から向けられる好奇心が、軽蔑が、同情が苦しくて、怖くてしょうがなかった。ボクは、自分を愛したかった! ただ……ただボクも、生きたかった!」
泣きじゃくって、怒りを露わにして叫ぶ姿に目を背けたいと思ってしまう。しっかりしろ、ここで私が逃げたらだめだ。それこそ、親友は本当に潰れてしまう。
「……なら、私が愛する 。レイママにも、担任にも、他の友達に負けないくらい私があんたを愛するから。……だから、私の前から、居なくならないで。お願いだから……もう、不安にさせないでよ」
「……。凛月ってさ、結構ボクに依存、してるよね」
依存。
私が。親友に。依存。
脳内で一言ずつ丁寧に繰り返す。言葉を理解した時、もやもやとした蟠りが一気に解れた。親友が消えたと聞いた時や、親友が死のうとしていると知った時の取り乱し方。思い返してみれば、私はこいつに依存していると自覚せざるを得ない。
「確かに。でもさ、私は依存することは悪いことだと思わない。寧ろ、依存することって精神を安定させる土台を増やしてることだと思うの。……だから、もしあんたが私より先に死んだら、私を不安定にさせた罪で殺すから」
「……なに、それ。死んでるのに殺すとか、おかしいんじゃないの」
小さな笑い声が聞こえてくる。ようやく上げた顔は、今までの憑き物が落ちたような、非情に綺麗なものだった。後ろから指す西日がいいアクセントになり映える。
「……やっと、笑った」
私がそう言うとぽかんと親友は腑抜けた表情を晒す。かと思ったら、また顔を俯かせて肩を震わせはじめた。待て、何がトラウマのトリガーとなったのだ。
「…っふふ、あは、あっはははははは!」
親友は突然、豪快に笑いだした。
「え、急に笑いだした……こわ」
「ひど。はぁー……なんかさ、泣いて、怒って、笑って……ボク、人間みたいに生きてるなって」
「はあ? 生まれた時から人間だっての」
「……うん。そう、だな」
私の言葉に返してくれるその顔が、安堵しきっているもので、えもいわれぬ高揚感を覚える。私は、親友を今度こそ救えたんだという優越感に浸っている。それがまた、まだ話していたいと願う気持ちになる。
「私、今度こそあんただけのヒーローになりたい。私は、あんたを救えればそれでいいから。帰ったら色々、聞かせてね」
「……」
「ちょっと?今きまったところなんだけどー?」
「……あ、ごめん。でも、そんなことしなくてもとっくに凛月はボクのヒーローだからな」
品もなくげらげらと笑う私と、くすくすと控えめに笑う親友。こんなに2人で笑いあったのは初めてではないだろうか。こいつと笑い合うことが、こんなにも幸せなものとは思わなかった。不意に「ねぇ、凛月」と呼ばれる。
「生きるって何だろうって、ずっと考えてたんだ。でも、たかだか18年しか生きてないボクが分かる訳もないし、誰かが定義してくれてる訳でもない。正直、もう考えるだけでも面倒くさい。人によって意味は違うし、ボクには分からない、未知のものだって思ってる。けど、今だけは違う。直感で感じるんだ」
親友は、涙を拭いながら言い切った。
「ボク、今をさいっこうに生きているよ。」
「その言葉が聞けて私は大満足!さ、帰ろ!色んな人が首長くして待ってるから!」
「……うん」
________
元気よく走り出した凛月の背はどんどん遠ざかっていく。ちらりと後ろの崖を見る。流石にもう、自殺する気はない。ただただ赤い赤い夕日が、ボクをさす。その光に刺殺されそうな気分だが、それでもいいかと思ってしまうボクがいるのは何故だろう。
少しぼーっとしていたが、凛月がボクを呼ぶ声で我に返った。視線の先では、凛月が律儀にもボクを待ってくれている。
『___私は、あんたを救えればそれでいいから。帰ったら色々、聞かせてね』
脳内で凛月の声が流れてくる。
ボクを、救う。そのためには、話さなければならない。向き合わなければ、ならない。本当にボクを救うかも、新たな枷となるかも分からない行為を、わざわざしなければいけない。
ここ数年間で、すっかり身についた多数派を優先させる行い。凛月もまた、多数派の1人だ。ボクを分かってくれようとしてくれているけれど、彼女がボクを理解することはできない。彼女の言葉は、ボクにただ空っぽな望みを、期待をさせるだけの言葉だ。不十分な理解だからこそ吐ける優しさ。ああ、鬱陶しくて堪らない。
ボクにとって親友のその優しさは、ただのありがた迷惑にしかならない。けれど、これを言ったら親友はひどく傷つくことくらい分かっている。優先されるべきものを傷つけるのは、社会は悪だとみなすから黙っておく。結局ボクは、ボクを守ることしかできないのだ。
僕は凛月を信じていた。ボクは親友を信じてない。
『あんただけのヒーローになりたい』
また、心臓がグシャグシャした。
「……ごめんな、親友」
ボクは、あなたをヒーローとして、見る事は出来ない。
生きる K.K. @Reiusan
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