第四話 そんなんじゃないって

 どの家も、それなりの問題を抱えているんだなあと思う。


「最近、帰ってくるの遅いわよね」

「そうなの?」


 母さんの問い掛けに、さらにお義父さんが疑問符を被せて送って来た。


「まあね」

「あら、彼女?」

「そんなんじゃないよ」


 僕が返すと母さんはニヤァとしたままなにも言って来なかった。本当にそんなんじゃないんだって。


 夕食を食べ終えて自室で宿題をしているとノックが響いた。


「どうぞ」


 ——ガチャッ。

 僕の応答の前に入って来るのが母さんで、あとに入って来るのがお義父さんだ。


そうくん、お小遣い足りてる?」

「なんで?」

「あ、いや、彼女が出来たらいろいろ入用だろうし」

「母さんにも言ったけれど、そんなんじゃないよ」

「ごめん。でも、そうくんは無欲だよね。俺だったらしめしめと思ってお小遣い貰っちゃうから」

「だって悪いし」

「悪いことなんかないよ。もしかして、部活に入らないのもお金が掛かるから? そんなの、気にしなくて良いからね」


 そんなの、って。

 僕の気遣いを否定しなくても良いじゃないかよ。


「大丈夫だから。今宿題してるから。ごめん」


 悪くないのに謝るのは、この話を終わらせたいからだ。お義父さんは察して部屋を出て行ってくれた。


 お義父さんは悪くない。けれど、言葉の節々が引っ掛かる。ご厚意に甘えられない。どうしても他人の感が拭えない。

 中学生のころに再婚したからだろう。父に甘える時期をとうに過ぎてから家族になったものだから。お義父さんも別に、他人みたいに接してくれたら気が楽なのに。

 運動系の部活もやりたくないわけじゃあない。けれど僕は運動音痴だ。自分すら期待できない自分に、親を期待させるなんて申し訳ない。


※  ※  ※  ※



「それで、そうくんは部活動やりたくないわけじゃあないんだよね」


 昨日の話を璃愛りあさんにした。もちろん彼女ができたと疑われていることは伏せて。


「やりたい部活動はあるよ。でも、運動音痴だからさ」

「なんでわかるの?」

「うちの中学、小さいから運動部しかないうえに入部が必須で、友達の薦めでバレー部に入ったんだけど、楽しいとか以前に痛くて。相手が思いっきり打って来た球をレシーブしなきゃいけないなんて拷問だよ。逃げたら怒られるし。チームのためには痛い思いしなきゃいけなくて、しかもそれが当たり前のことで、もうそんなの洗脳じゃないか」

「それは苦手そうだね」

「そのうえ、人数も少ないせいでレギュラーになっちゃって。僕のせいで負けることがほとんど。チームメイトからは叱責ばかりだったよ」

「嫌になるよね。なら、そうくんがやりたい部活ってなに?」

「テニス部」


 璃愛りあさんは片眉を下げる。どういうこと? って、言わなくても聞こえてくる。


「運動は苦手だけど、嫌いではないんだよね。でも、チーム戦は嫌だ。迷惑を掛けるから。その点テニスは団体戦じゃなくて個人戦に出れば、誰に迷惑をかけるわけでもないし」


 璃愛りあさんは納得した様子で、コクンと頷く。


「お義父さんには、甘えられない?」


 今度は僕が納得できない気持ちでコクンと頷いた。


「そうだよね。『わたし』だもんね」


 お互いに人の視線ばかりを気にして生きている。璃愛りあさんは人の期待通りの自分に成って、僕はやりたいことを我慢して。誰かのために自分を殺している。でもそうじゃないと生きていけない。死に物狂いで死んでいる。だから生きられる。


「もしもそうくんが部活を始められたら、わたしも挑戦してみようかな。詩の公募」

「受賞したら本に載るってこと? すごい」

「気が早いよ」

「でもだったら、僕のことなんか気にせず出しなよ。お金は掛からないんでしょ?」

「出すのは無料だけど、簡単に言わないでよ」


 そんなに難しいことだろうか。僕が部活を始めることより簡単なことのように思う。親の了解はいらないし、お金もいらない。もうすでに出来上がった詩はあるのだから、あとは応募の手続きさえ踏めば出せる。


「手続きが面倒なのはわかるけど、もったいないよ。出しなよ」

「だから、そんなに簡単じゃないんだってば……」


 いつもより低く放たれた声に、僕の心臓を凍り付いた。これは怒りではない。失望だ。

 彼女の表情には影が落ちていた。

 黄色い線より内側におさがりくださいのアナウンス。

 彼女はぴくっと小さく震えてから、あのいつもの笑顔を磔にした。それだけで、もう僕は『わたし』ではないのだと確信した。

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