119.取り返しのつかない喧嘩

「じゃあ兄貴が私と結婚してよ」

「......え?」


 リオは困惑の表情を見せた。


「私から居場所を奪うって言うなら、結婚して面倒見てよ。どうなの? 私と結婚できるの?」

「それは......」


 リオは口ごもった。全くもって、想像通りの反応だった。想像通りだからこそ、ルーナの苛立ちは更に増した。


「わかってるわよ! レオナルド、あんたにとって夢が一番大事! だから足を引っ張る私は夢の邪魔よね! あんたにとっての私は他の人と同じ、ただの手駒!」


 ――違う......本当はこんな事言いたくないのに。


 ズキズキとルーナの右目が痛む。


「......な!そんな訳......」

「そんな訳なくない! 散々人をこき使って戦わせておいて使えなくなったらぽい。私の体を見てよ! 傷だらけ! 女として生きていけない! ハーフエルフの私にどこにも居場所なんてない! 私に逃げ場をなくしたのはあんたよ!」


 ――違う! 兄貴のために剣を持つ事を選んだのは自分だ......。


「死んでいった仲間達も、積み上げてきた死体の山も全部、全部あんたのせい! 今の金獅子の団を見てよ! 異種族で仲良しこよしなんてできるわけがなかった! 『ルーデルの統一』? 『平和な世界』? 全部所詮は幻想よ! そんな物のために皆、皆、死んでいった! パトリシアもね! あんたは王子様でもなんでもない! 死神よ! 皆あんたのせいで人生滅茶苦茶よ!」

「......」

「ははっ、何その目。だったらさっさと死ねって? 言われなくても死んでやるわよ。あんたらのいない所で一人静かに......――――!!」


 突然、ルーナは目を見開いて、押し黙った。

 苦しい。目の前の信じられない光景にルーナは硬直する。


 リオが、


「――――っ、う......くッ......」


 首をしめられ、背後の大木に背中から激突する。大木に押し付けられるような体勢になり、逃れる事ができない。


「あに......や......め......っ......」

「......」


 リオの口はきつく結ばれている。


(......あにき......いつから......)


 その時、ルーナは初めてちゃんとリオの顔を見た。


(......いつから、......?)


 リオの赤い瞳には深い疲労が滲んでいる。痩せ細り、肌はくすみ、かつての『金獅子』の輝きを失っていた。

 

(......私の......せいなの......?)


 ルーナは無意識に身震いした。


 そして、気づいた。


 リオの表情にはさっきまでの戸惑いも困惑もない。あるのは、揺らぎのない殺意だった。


「お前を......いっそ......この手で......」


 ルーナの背中にヒヤリと汗が流れる。


 ――リオは本気だ。本気でルーナを殺そうとしている。


「う、うう......ぐ......」


 リオの両手がぐいぐいと締め上げてくる。呼吸ができないだけでなく、気管が指で突き破られそうに痛い。頭の中に白い空白が生じる。


 やばい、このままでは殺される。殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される。


 ルーナは咄嗟に、腰に下げていた短剣に手を伸ばした。反射的にそれを握りしめ、そして――


 ――――リオの手首を掻き切った。


「――――」


 ブシャッと溢れんばかりの血が流れる。

 リオは斬られた右手首を他方の手で抑えて痛みに耐える。


「......っ......う......ぐ......」


 リオの手が離れて、ルーナは肺いっぱいに息を吸った。


「はあ......はあ......。......あ、ああああああああああああ」


 ルーナは自分が取り返しのつかない事をしてしまった事に気づく。


 リオの手首の傷はかなり深い。ドクドクドク......。大量の血が流れ出て、わずかに白い物が見える。少し見ただけでわかる。もう、右手では剣を握る事はできないだろう。


「あ......あ......」


 ルーナは居ても立ってもいられず、逃げ出した。


「あ......待っ......」


 リオは痛みに耐えながら、逃げていくルーナの背中に片手を伸ばした。


「......行かないで......」


 だが、その手はルーナを掴む事はできなかった。

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