116.ルーナの弱点

 ......


 ............



「目が覚めましたか」


 横から聞き慣れた声が聞こえる。ルーナはすぐにそれが、ルーナ隊の一人アランの声だと気づく。自分はどこかに横たわっているみたいだ。彼に目を向けようとしたその時、ルーナは右目に激痛が走り、咄嗟に手で抑える。


「......っ」


 その動作をしただけで、体中も痛む。そこかしこを怪我しているようだ。起き上がる事すらまともにできそうにない。


 開く左目でやっと周りを見渡した。ルーナは冷たい床の上に横たわっていた。車輪の軋む音が耳に入り、揺れる感覚が体に伝わってくる。雨がまだポツリポツリと降っているようだが、屋根が彼女を守った。

 どうやら、荷馬車の上で横たわっているようだった。金獅子の団の武器や必要な物を乗せている中、大してスペースがない所でルーナは寝ていた。傍では、アランが床に正座して悲し気な目を向けていた。


「ルーナ......その右目はもう......。顔に大きな傷も残って......。僕が......ついていれば......」


 アランはぐっと堪えるように俯いた。


 ルーナは手で触れて初めて右目に布が巻かれている事に気づく。布越しにあるはずのない凹凸を感じ、奇妙な感覚を覚える。


 右目はもう使えない__ルーナはすぐに悟った。戦場においてそれがどれだけ重い意味を持つか彼女は理解していた。視界が悪くなれば、どれだけ剣の腕が落ちることか。だが両目を失ったわけではないのが、不幸中の幸いだ。そうなれば、最早戦う事もできなくなる。ルーナは震える手をそっと下ろした。


 ルーナからは見えないが、荷馬車の外では金獅子の団の軍が移動しているのだろう。馬のいななき声や足音がいくつも聞こえる。その雑音はルーナに戦の終わりを告げていた。


「......私......気絶してたのね。あのネズミ野郎に右目をやられて......。教えてよ、あのネズミ野郎はどうなったの? 戦は?」

「あのネズミ将軍はリオ団長が倒しました。戦は......僕達の負けです」

「......そう......。......。他の皆は? 無事?」

「無事......とは言い難いですね。獣公国の奇襲でルーナ隊は3分の2もやられてしまいました。ジョエル副隊長にケン、デニス、ヘンリーさんは無事です。途中はぐれてしまい本当に申し訳ございませんでした」


 その時、ルーナはハッとして顔をあげた。


「パティは......!? パティはどうなったの!? 私と一緒に西の塔にいたはずよ!」

「......」


 アランは暗い面持ちだった。その時、彼とは別の方向から声が聞こえた。


「パトリシアは......死んだ」


 リオだ。声をかけられてやっとルーナはリオがいる事に気づいた。彼は荷馬車の奥の陰で静かに座っていた。


「......は......? ......なんて?」

「パトリシアは死んだ。報告によると、獣公国が金獅子の団の『白い蝶』を討ち取ったと公言した。パトリシアは6大英傑並みに名を上げていたから、公国兵もしっかり確認しただろうし、間違いないよ」

「な、なんで......私と一緒に助けたんじゃないの......?」

「スイッチを誰かが触れていないと城門が開かない。パトリシアは俺達を外に逃すために塔に残った」


 その言葉を聞いた途端、真っ白だったルーナの心に、悲しみと激しい怒りが込み上がる。


 パトリシアは自分のために命を捧げたのだ。


 ルーナは拳を握りしめた。


「......。......見捨てたの......?」

「彼女は既に重症を負っていた」

「言い訳なんかしないで! 見捨てたのかって聞いてんのよ!」


 ルーナは体中の痛みも忘れ、床を這ってリオに詰め寄る。


「ルーナ、寝ていたほうがいいですよ......」

「放っておいて」

「......」


 アランはこれ以上何も言わず固唾をのんだ。ルーナはリオを睨みつけた。


「......ああ、そうだ。パトリシアを見捨てた。俺の判断だ」


 ――――パンッ


 ルーナはリオの頬を力の限り叩いた。ルーナの目は怒りに満ちていた。


「......」

「......」


 リオの頬が赤く腫れる。彼は表情一つ変えなかった。


「......王都までの道のりは長い。今のうちに寝て体力を回復しておけ」

「......」


 それだけ言うと荷馬車を止めて降りようとする。

 彼の去り際、ルーナは一言言った。


「レオナルド、私はあんたを絶対に許さない」



 リオとルーナが口論する陰で、誰かが人に聞かれない声でぽつりと呟く。


「リオの弱点は、ルーナ。ルーナの弱点はパトリシア......、ふふっ......」


 計画通りと言わんばかりにひそかにほくそ笑んだ。



 戦が終わり、金獅子の団は王都に帰還した。しかし、彼らを待っていたのは期待を裏切られた人々の冷たい視線だった。


「――――おい、聞いたか? 金獅子の団が青の都に負けたらしい」

「ほ、本当か? あの、金獅子の団が?」

「ああ。青の都を基点に、獣公国と魚人国は西側随所の侵略が容易になるだろうな」

「......あんな小さな街も落とせなかったのか」


 負けるはずのない戦に、無敵の金獅子の団が敗北した。王都の人々にとってこれ程衝撃的な事はなかった。有名である分、人気である分、期待を裏切られた世間の目は厳しかった。


 噂が噂を呼んでいく。そのうちに、人々の中で自然と、ある疑問が生まれてくる。


 ――何故、金獅子の団は負けたのか?


 実際の所は、獣公国が金獅子の団になりすます奇策によって負けた。だが、民衆はそれよりももっと興味のひく話を伝え広めていく。


「――金獅子の団の中で。獣度の高い獣人の騎士達が獣公国に寝返ったんだそうだ」


 噂に噂が重なった事により、金獅子の団の姿に扮した獣公国兵の攻撃が、本当に獣人達が裏切った事にされていく。噂好きの民衆が面白半分にでっちあげたのもあるが、王都に根強く残る「獣度の高い獣人への差別」が拍車をかける。


 この件を皮切りに、王都では社会団体が爆発的に増えた。曰く、


「やはり、獣人は獣の血が流れている」

「野蛮な獣は管理しなければならない」

「早く『開かずの塔』を開いて、かつてのダークエルフのように獣人にも制裁を!」


 差別の目は獣公国だけでなく、ガルカト王国内の獣人__とりわけ獣度の高い獣人にも向けられていった。ある所では獣人を侮蔑し、ある所では職業募集で「獣人以外」と書かれ、ある所では完全に分かれて住む居住区ができた。


 全ての種族が手を取り合う多種族国家ガルカト王国。そのはずなのに、獣人の居場所がなくなっていく。それはまるで流行病のように着実に広まっていった。

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