115.父親と同じ景色

 一方、西の塔では、パトリシアが城門の開閉スイッチを巡って奮戦し続けていた。

 白い蝶が舞うように両手のダガーを自在に振るい敵を掻っ切っていく。


「......はあ......はあ」


 立て続けに塔を襲ってくる敵に、戦の鬼才と言われたパトリシアも流石に息が上がる。体中が斬られ意識が朦朧としている。純白の鎧はいつの間にか敵と自分の血で真っ赤に染まっている。今日だけで一体何人斬ったかわからない。間違いなく、今までで一番敵を相手にした。全身汗に塗れる。


「――――ッ」


 パトリシアは腹の痛みに顔を歪める。


 彼女の腹部には敵の剣が刺さっていた。引き抜けば失血死する。だが、このままでは確実に死が待っている。すぐに治療をしなければならない。いや、もしかしたらどの道もう手遅れかもしれない。


「すげえ......」


 パトリシアの背後ではルーナ隊の一人ダン(と言ったか? パトリシアはうろ覚えだ)が感嘆の声をもらしていた。ここに来るまでにいた数人のルーナ隊は度重なる戦いでダン以外が皆倒れた。だが、生き残った彼も既に生きているのがやっとな程の重症で頭から血を流して意識が朦朧としていた。もはや戦えず、死を悟った彼は開門のスイッチに座っておもりになる。


「レウミア城戦のルーナの50人斬りも......相当やべえって思ったけど......お前今軽く100人は超えて......たぞ......。まじで伝説じゃねえか......俺が......俺だけが今、伝説の1ページを見ているんだ......へへっ......」

「......」


 丁度その時、パトリシアが斬った兵士を最後に、一瞬敵の来襲が途切れた。パトリシアはその隙を狙って窓から顔を出し、ルーナの姿を探した。ザーッと雨は激しさを増している。

 驚いたことに、見下ろした先にリオがいた。腕には気絶したルーナが抱かれている。近くではネズミ将軍が倒れている。パトリシアはすぐに状況を察する。ネズミ将軍に追い詰められたルーナをリオが助けに来たのだ。彼らの周りには少数人の隊がいる。パトリシアはひとまずほっと胸を撫で下ろした。


 ――――ドッドッド


 城壁の外ではパトリシア達を追い立てるように太鼓の音が鳴り響く。この音は味方の退却の号令だ。リオが上を見上げる。そして、丁度パトリシアと目があった。


「――――っ」


 リオは焦りで顔が青くなっていた。リオの腕の中ではルーナが片目を大怪我して倒れている。身体中の怪我も深刻そうだ。すぐに治療をしなければ助からない。


「あああああああッッ」


 その時、背後からダンの苦痛の声があがり、パトリシアは素早く振り返った。いつの間にか、敵の新手がここまで侵入してきていた。その一人が、ダンを深く剣で突き刺していた。

 敵の剣は、動かなくなったダンの体を無情に振り払う。重い音をたてて城門が閉まり出す。


「......」


 このままではリオもルーナも城内に閉じ込められてしまう。今すぐに出て行かないと、本隊から孤立してしまう。


「......」


 腹の傷が焼けるように痛い。ドク、ドク、ドク。心臓の鼓動が腹から直接感じられる。


「......。............」


 パトリシアは目を瞑り、深く息を吸った。


 ――瞬間、パトリシアの中で決意が固まる。


「......っ」


 パトリシアは再び窓から顔をだした。腹に思い切り息を吸い込んだ。


「行ってええええええッ!」


 リオが驚いてパトリシアを見た。


「スイッチは私が守るからあああああ! 行ってえええええええッ!」


 パトリシアは人生で初めて大声を出した。

 

 リオは、はっとした顔になり、やがてこくりと頷いた。素早くルーナを馬に乗せ、隊を引き連れて閉まりかけている城門へ馬を走らせた。


 塔には続々と敵兵が入ってくる。パトリシアは両手のダガーを握りしめ、跳躍した。気づけば痛みが消えていた。くるくると体を回転させて敵を切り刻む。どこを斬れば、敵がうごかなくなるか、体が覚えている。スイッチの上に転がるように辿り着く。衝撃で腹の剣が深く刺さり、パトリシアは血を吐いた。


「このガキッ! 調子に乗りやがって!」


 ――ザクッ


 敵兵の剣がパトリシアの右胸を刺した。刃は深く刺さり、後ろに貫通した。


「――――」


 通常、小さな少女の体では耐えられない怪我を負う。だが、パトリシアは歯を食いしばり立った。ダンの死体をスイッチの上に乗せ、それを守るように敵兵の前に立ちはだかる。意識が朦朧とする。人を斬る事を覚えた体だけが勝手に動いていく。


「な、なんだ......こいつ......なんなんだよ......なんでそんなんなっても動けるんだよッ」

「ば、化け物だ......」


 敵兵が動揺の声をあげる。


 だが、パトリシアの耳には彼らの声はもう聞こえていない。代わりに、聞こえるはずのない声が耳に響く。


《お前気味悪いんだよ》


 懐かしい声......ゲイリーの声だ。......自分に一切興味を示してくれなかった父親。


《こっち見んじゃねえ。また抉ってやるか?》


 暴力をふるい続け、自分から感情を奪った父親。


《男の友情ごっこも大概にして! もっと私達の事を大事にしてよ!》

《ごっこ……? ごっこだと……。てめえ、金獅子の団を……俺の仲間をごっこ呼ばわりすんじゃねえよ。誰がてめえの分まで稼いでやってると思ってんだ、この粗大ゴミ女が!》

《最低! 死ね! あんたなんか死んでしまえばいい!》


 帰ってきては母と喧嘩し、挙句殺してしまった父親。


 パトリシアは結局最後まであの人の事をどう思えば良いのかわからなかった。憎みたくても、憎めない。赦したくても、赦せない。戦場にいても、答えは見つからなかった。だけど、


(だけど......戦場ここに来れて......本当に良かった......)


 まぶたを閉じれば、見えてくる。


《パトリシア、お前本当にすげえよ!》


 初めて自分を認めてくれた仲間達。見た事のない種族と会話し、想像もつかなかった外の人々や生物の暮らしを目にする。危険な冒険、明かされる謎、発見された金銀財宝。まるで御伽話の1ページのような信じられない冒険の数々。全部、下町で息を潜めるように暮らしていたあの頃には想像もつかない日々だった。


 胸と腹の傷が着実に、パトリシアの余命を宣告している。もし、あの日、金獅子の団に入る事を拒み、大人しく孤児院に帰っていれば、今頃平穏な日々を送っていただろう。死ぬ事もなかっただろうし、人を殺す事もなかった。


 死ぬのが、怖い。


 パトリシアは驚いた。自分の中の感情はもうずっと昔に失くしたと思っていた。でも違った。今は怖くてたまらない。死がこんなに怖くて、冷たい物だと思わなかった。何度も人を殺して、殺して殺してもわからなかった。自分が死ぬ時になってようやくわかった。


 ――死ぬのは、怖い。


 怖い。怖い怖い怖い。......




「......でも、......」


 ......だからこそ、戦場は輝かしい場所だった。目も開けられない程まばゆく美しい場所。儚い夢に満ち、命と命がせめぎ合う。

 できれば、生きたい。生きて、金獅子の団がこの先何を成し遂げるのかどんな夢を果たすのか見てみたい。その先の世界を見てみたい。もっと冒険がしたい。もっと伝説を作りたい。

 夢に囚われた男達の気持ちがパトリシアには痛い程わかる。


 そして、この景色をゲイリーはずっと見てきたのだ。


(だから、......だから......ここに来れて良かった。......ありがとう、ルーナ)


 そう心の中で呟いたパトリシアが最後に思い浮かんだのは、自分に愛情を向けてくれた不器用なハーフエルフだった。


 敵兵達がパトリシアを取り囲み、剣を向けた。


(――――お願い、間に合って......)


 無数の刃が少女の体を貫いた。

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