93.人殺し

 スケイン領にて、第4王子アーサーは自らが団長を務める聖狼騎士団に号令を発していた。


「これでは訓練が足りない! 夜通しやり直せ!」


 アーサーは唾を飛ばして怒鳴る。目の前には、自分の一回り、二回りも年上の獣人騎士達が並んでいる。その団長であるアーサーは、鬼の形相で団を睨みつける。


「いいか! 一週間後には挙兵する! それまでに俺の納得するレベルまで仕上げてこい!」

「しかしアーサー様、」


 アーサーの配下である、黒狼の獣人リッキーが口を挟む。彼はアーサーと年が近い事から付き人を任されている。普段から感情を消している獣人で、いきりたっているアーサー相手に冷静に進言した。


「スケイン領から兵を割いてはなりません。そう軍儀で決まったのでしょう? 騎士団を動かせば、獣公国が侵攻してくる可能性が格段に高まります。万が一にもここをとられれば西側の領土全体が危機に瀕します。レオナルド殿の意見は理に適っているかと......」

「ウッキーッ! 貴様ッ! この俺のやろうとする事にいちいち口出しするな! 猿顔のくせに! マーティンのスパイのくせに!」

「......私とマーティン殿下はつながっておりません。それと僕の名前はリッキーです」

「とぼけても無駄だ! 貴様、本当は陰で俺の行動をマーティンに報告しているのだろう! この裏切り猿が!」

「......」


 リッキーは特に顔色を変えずに黙り込んだ。これ以上何を言っても無駄だと判断したようだ。元々ぶっきらぼうな獣人だが、すました態度の彼にアーサーはますます頭に血がのぼる。


「いいか、貴様ら!」


 アーサーは今度は騎士達に向けて叫んだ。


「一週間だ! 一週間の内に、俺が求めるレベルまで仕上げてこい!」

「はい!」


 騎士達は、揃って返事をする。だが、その陰で何人かがひそひそと喋る。


「......あのガキ、何を焦っているんだ?」

「しっ! 聞こえるぞ」

「だって......」

「......」

「お前ら、絶対に他に言うんじゃねえぞ。ある筋によると、次の、王選びの試練の内容は、人気投票らしい。......しかも、投票権は平民を含めた国民全員にあるんだ」

「なんだって......!」

「それで、票が最も少なかった王子を落とすんだとさ」

「そんなの......」

「......ああ、そうだ。そんなことになれば、確実に落ちるのは、アーサー殿下だ。殿下の性格を知っている者はまず票を入れないだろうし、知らない者も年齢の若さとあの醜い片目を見れば入れないだろう。だから、聖狼騎士団に手柄を立てさせて、自分の人気を集めたいんだ」

「なんっじゃそりゃっ! 完全に自己都合じゃねえか!」

「しっ! 声がでかいって!」

「だいたい、俺達は先の戦でかなり消耗しきっている。今は休息が必要だ。小競り合いの平定ならまだしも大戦なんかできないぞ!」

「ああ、でもあの子供団長様はそんな俺らの事情なんか気にしないだろうな」


 騎士は小馬鹿にしたようにアーサーを遠目で見た。

 見ればアーサーは、歩兵部隊の一人に執拗にムチで叩いていた。


「この私の話が聞けないのかッ」


 ――バンバンバンッ


 歩兵は、痛みと辱めに必死に耐えていた。



 数刻後、アーサーは聖狼騎士団に厳しい鍛錬を申し付けて、一人馬車に乗って王都に帰還しようとしていた。しかし馬車に乗ろうとした時、


「王子様......」


 どこからか少女の声が聞こえた。アーサーは立ち止まって振り返る。


「王子様......アーサー様ですよね?」


 まだ10歳くらいだろうか。褐色肌に、短いくるくるとした黒い髪から小さな立ち耳の生えた黒狼の獣人少女だった。耳の大きさに反して尻尾は大きく、ぽふぽふと愛らしく振っている。身なりからして平民のようだった。


 アーサーが今馬車に乗ろうとしていた場所は人気のない閑散とした石畳の小さな道。周りには、彼女の親や友人らしき姿はない。

 

「聖狼騎士団が一週間後、遠征に赴くと聞きました」


 少女は王族という物に初めて出会ったのかもしれない。進言の許可も乞わず、平民ではありえないくらいずうずうしくアーサーに話しかける。アーサーもお供していたリッキーも馬車の御者までも思わず言葉を失う。


「私の父は聖狼騎士団の平民歩兵部隊に所属しています。ですがお願いです、どうか父を今回の遠征から外してくださいませんか? 父は昔から病がちで、今の時期は特に体調を崩します。今回の遠征、移動だけでもかなり体に障ると思います。どうかお願いです。父を連れて行かないでください!」

「......こいつ」


 ようやく我に返ったアーサーは腰に下げたムチを取り出した。


 ――バチッ


 そして、少女に叩きつけた。


「い、痛い! な、何を......何をするんですか!?


 少女は驚いて声を張り上げた。


 ――バチッ


「......ッ」

「何を......だと? お前......この、俺にそんな口を......平民のくせに進言する許可も与えられていないのに、この俺にそんな口を聞いておいて......何をだと......!?」


 ――――バチッバチッバチッ


「......!」


 やっと、アーサーが怒り狂っている事に気づき、少女は顔面を蒼白にした。


 彼女にとってはほんの少しお願いをしただけだった。あんなに大勢の兵士がいるのなら、病弱な父を一人抜けさせてもらうなんて瑣末さまつな事だろう、と。だが、彼女にとっては小さなお願いでも、目の前の王子は自分に対して要求する厚かましい平民に激怒する。

 かわいそうに、今まで優しい人たちに囲まれて育ったのかもしれない。少女の表情は天変地異が起きたかのように絶望的だった。

 アーサーは何度も何度も強く強く少女を叩きつけた。


「......ッ......。やめ、やめてください......!」

「この俺に命令するな!」

「――――っ」

「いいか、貴様王族に逆らっておいてただですむと思うなよッ!」

「さ、逆らっていません!」 

「あのなァッ、平民が王族の意向に文句を言えば逆らったって言うんだ! 今に見てろ! 不敬罪で家族ごと捕らえてやるッ」

「そんなっ! お父さんとお母さんは関係ありません! ごめッ......んなさい!ごめんなさい! お願いですから許してください!」


 ――バチッバチッバチッ


「ごめんなさいごめんなさいもうしません......だから、お父さん達は......はぁ、はぁ、はぁ、あ、あ、あああああああ――」


 突然、少女は胸を抑えて苦しみ出した。口を開けて悲痛な表情になり、そのまま凍りついたように動かなくなった。

 しばらく、なぶった後で、アーサーはようやく少女の異変に気づき、ムチを止める。


「......あ? なんだ?」


 ムチを止めても少女は一向に動かない。絶望した表情のまま一切微動だにしなかった。配下のリッキーが、すぐさま少女の呼吸や心音を確認する。


「......亡くなっています」

「....................................は? ......何だと?」


 アーサーは少女の顔を見た。今にも泣き出しそうな顔のまま、凍りついて動かなない。


「は? ......は? 少し痛めつけただけじゃないか」

「......もしかしたら、元々持病があったのかもしれません。それで衝撃を与えられて、心臓が止まってしまった可能性があります」

「......は? そん......は?」


 アーサーは目の前の現実が理解できず硬直する。


 普段の彼は騎士団団長とは名ばかりで、実際には戦中後ろで待機してるだけの立ち位置だ。先陣切る事などないし、具体的に戦略を練って指示するのも別の人間だ。従って、彼は人を殺した事がない。戦略にも関わっていないので、間接的にすら人を殺した事がない。


 つまり、アーサーは今、ここで初めて人を殺した。


「......」


 今、ここで――――


「......」


 さっきまで血色の良かった少女の肌が別人のように真っ白になっている。少女の死んだ目は悪魔を見るように、たしかにアーサーを見つめていた。


「......は……はひ、ひひ……ヒヒヒッ!」


 アーサーは口端を吊り上げて、奇妙な笑い声をあげた。


「ご遺体はどうされますか?」


 あくまで平静を保ってリッキーはアーサーに問う。


「ひひひっ......放置しておけ。王子に無礼を働いたこの女が悪いんだ」

「……」

「なんだ文句あるのか!」

「......いえ」

「言っておくが、この事は誰にも言うなよ! この女が悪いとはいえ、噂次第で馬鹿な一般市民の心証を損ねかねない。そうなれば第3の試練に響くからな。いいか、俺の手にかかればお前の家など簡単に潰せるんだ。万が一にも他の奴にこの話を漏らすんじゃないぞ、わかったな!?」

「......はい」


 その時、アーサーは何事か思いついたように目を光らせた。


「......ひひひっ......そうだ......良い事を思いついた。おい、ウッキー、騎士団の挙兵は取りやめだ」

「......はい?」

「ひ......ひひ......。......俺の人気をあげるんじゃなくて、あいつ__レオナルドを下げればいいんだ。なんて簡単な事に気がつかなかったんだ。......ひ、ひひっヒヒ」

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