91.嫉妬に狂った王子様

 暗がりの中で一人の少女が立っている。茶色の巻き毛、白い肌の顔にそばかすのある可愛らしい容姿の少女。彼女は、国を代表する大貴族オルレアン公爵の娘、セーラだった。


「アーサー......」


 セーラはにっこりと微笑んだ。彼女の笑みは、幼馴染の第四王子、アーサーに向けた物だった。彼女の白く細い手がアーサーの赤い前髪で隠れた左目に伸びる。小さい頃に疱瘡にかかったせいで瘢痕が残りほとんど開かなくなった左目。彼女の手は優しくアーサーの左目を撫でた。


「アーサー......」


 ああ、なんて美しい。まるで宝石。まるで物語の中のお姫様のようだ。アーサーは感嘆のため息をもらす。


 彼女の周りには格式高く高貴な血が通った選ばれた者しか近づくことができない。それだけ彼女は特別な存在だった。だからこそ、彼女の隣にふさわしいのは王子であり才能に恵まれた自分だけだ、とアーサーは思った。だが、......


 先日行われたダンスパーティー。セーラとペアになってダンスを踊り終えた時、アーサーは片膝をついて、セーラの手の甲に唇を近づけた。


「......あ!」


 しかし、セーラは咄嗟に手を引っ込めた。顔をあげて見た彼女の顔面は蒼白だった。


「ご、ごめんなさい......」


 セーラはそう言って背を向けて去っていった。その先には、金髪に赤い瞳の、あの憎き男リオが満面の笑みを浮かべてセーラを待っていた。


 ......


 ............


「アーサー様」


 途端に名前を呼ばれてアーサーは、意識を現在に集中する。


 今は城に貴族の要人が集まり、重大な軍儀を取り行っていた。これは、ガルカト王国全体の戦の方針を決める重要な会議だ。王族も集まっているが、国王の姿はない。これはいつもの事で、緑病のせいで認知症が進んだ王はここ数年まともな議論ができなくなっていた。たとえ出席していたとしても軍議にあまり口出ししなくなった。


「ヴァンドレイル領地に侵入してきた魚人国への対処はどうされますか?」


 貴族の一人がアーサーに意見を求める。他の王子達でなく、アーサーに声をかけたのは、ヴァンドレイル領地の貴族がアーサーの派閥であるからだ。


「そうだな。......ヴァンドレイル家の戦力だけでは対処しきれまい。狼聖騎士団の黒狼隊を向かわせよう」

「なりません」


 反論したのは、リオだった。彼は正式に王族として認められたわけではないが、騎士の称号を得てから一部の貴族の計らいでこの場に参加するようになった。


「ヴァンドレイル家にも優秀な騎士団があります。彼らのみで対処していただきましょう」

「それでは数が足りない!」


 アーサーは長机の向かいに座るリオをぎろりと睨みつけた。


「ヴァンドレイル騎士団とその他兵力をかき集めてざっと5千。それに対して、魚人国は5万はいる。どう考えても援軍を送るべきだ!」

「いいえ、ヴァンドレイル家の戦力で十分です」


 言い切るリオをこの場の全員が注視する。皆アーサーと同様に援軍を送るべきだと考えている。それを正面から否定するなんてどこの素人だ、と言いたくなる。だが、実際には、あの金獅子の団の団長リオが主張しているのだ。全員が固唾をのんでリオの話に耳を傾けた。


「ファラトゥドの陣形を張るのです」

「......なに?」

「地図をご覧ください。ここが丁度丘になっていて......」


 リオは地図を長机に置かれた地図を指差して、戦略の説明をする。


「......という戦法であれば、この規模の軍でも十分対応可能かと思います」


 リオの戦略は十分に様々な可能性が考慮されていて申し分がない。貴族達がたしかに納得できるものだった。だが、アーサーは反抗的な目でリオを睨みつけた。


「そんなの......万が一守りきれなかったらどうするんだ!」

「ヴァンドレイル騎士団は守りに優れた騎士団。必ず守りきるはずです。それよりも、今はスケイン領に兵を置いて獣公国に牽制をしなければなりません。少しでも人員をさくわけにはいきません」


 何人かの貴族が頷き、リオの意見にこの場が賛同する空気になる。


 しかし、アーサーは苛立って、皆に聞こえるぐらい大きな舌打ちをした。


「ど素人が少し出しゃばりすぎなんじゃないか?」

「......なんですって?」


 凍りつくような静寂が訪れる。敵意を剥き出しにするアーサーと、冷ややかな目つきのリオが睨み合う。


「確かレオナルド団長殿は先日無名の敵将に大きな怪我を負わされて逃げ帰ってこられたとか。そんな人間の戦略など信頼できない」

「......狼聖騎士団__自分の騎士団の活躍の場をとられるのが納得いきませんか?」

「違う!」


 ダンッとアーサーは長机に拳を叩いた。


 アーサーはいい加減に苛立ちが抑えられなくなった。そもそも、ついこの間までは、蚊帳の外だったリオが、いつの間にかこの軍儀に参加するようになったのが気に入らない。そればかりか、リオは事あるごとにアーサーの意見に反論し、そして貴族たちはその意見に納得するのだ。これでは面目丸潰れだ。


(くそッ......王子であるこの私を侮辱しやがって......!)


 アーサーの頭が沸騰しそうだ。元よりアーサーは他の王子達と仲が悪かったが、ここ最近はリオが特に憎たらしかった。


 初めて金獅子の団に関わった時、その一味であるルーナに平民の前でコケにされて第一印象から最悪だった。その上、リオはセーラと距離を詰め、貴族達の羨望を集めている。この上なく目障りな存在だった。


「お前は先ほど『ファラトゥドの陣形』を語ったが、そもそもベルゲノール兵法学もまともに学んだ事もないだろう! そんな青二歳が、知ってる単語ばかり並べてても説得力に欠けるって言いたいんだよ!」


 この場の誰もがはっとした。貴族達が戦を学ぶ際に必要な学問の本は通常平民が手に入る物ではない。つまり、平民として暮らしてきたリオは貴族達が学ぶような戦に関する知識がない。

 しかし、それらの書物は一般に出回っていないものの、ガルカト王国の歴史上数多くの大戦に役立ってきた貴重な情報の宝庫だった。それを読んでいないとなると、悪い言い方をすれば、全く無学の人間が偉そうに貴族達に指示を出しているだけになってしまう。


 だが、リオは涼しい顔をしていた。


「それなら、先日読みましたよ」

「............は?」

「騎士の称号を与えられてからは、王立図書館も利用できるようになりましたからね。そこでお借りしました」

「あのなあッ! 一回読んだだけじゃ学んだとは言えないんだよ!」


 アーサーの怒りが頂点に達する。


「何周も読んで書いて頭に叩き込んで、聞かれれば答えられるようになって初めてそれを学んだと言えるんだ!」

「私は一周しか読んでおりませんが、全て頭の中に叩き込めたかと思いますよ」

「......なに?」

「例えば、今回ヴァンドレイル領地の戦について思案した場合、ファラトゥドの陣形の他に4個戦略を思いつきました。一つはベルゲノール兵法学のp14に載っていた星屑の陣、二つ目はp31の雷霆突破、三つ目は、すみません別の書物なのですがアルテナス兵法学のp145の囲地、そして、四つ目は名前をつけてませんが渦のように敵陣営を切り崩していく私オリジナルのやり方です」

「......」

「......」


 アーサー含めたその場の誰もがポカンと口を開ける。


「......もしかして......。..................のですか......?」


 貴族の一人が恐る恐る聞いた。


「ええ。私は一回見た物は大抵忘れません。ベルゲノール兵法学だけでなく、アルテナス兵法学、グリンバード古文書、ゼロから始める帝王学の学び、ファルクレス治国論、ミラージュリザード幻覚論......といった兵法学、地理学、歴史学等々の分野の本は遠征から帰った際に少しずつ読ませていただきました。感覚としては、大体3分の1が傭兵として積み上げてきた戦略と類似するものがあり、3分の1が自分でも思いつかないような学びがありました。残りは、僭越ながら疑問に思うような内容だったなというのが正直な感想です」

「......」

「アーサー殿下並びに皆様には私の学習進度を共有していなかったためにご心配をおかけし誠に申し訳ございませんでした。ですが、もう少しで王立図書館にあるその手の分野の書物は読み終え皆様の前提知識に追いつくかと思います。それまでは至らぬ部分もあるかと思います」

「......じゅうぶん、かと......」


 貴族が唖然としながら答えた。リオはそれを聞いてにっこりと微笑んだ。次いで、何も言えなくなっているアーサーにも笑みを向ける。だが、その目はやはりどこか冷ややかだった。まるで、『もう良いかい? くだらないマウントの取り合いに付き合っている暇はない』と言っているようだった。


「レオナルド殿それではこちらはいかがなされます?」


 ヴァンドレイル領地の話にケリがつくと、今度は他の戦の話もリオが頼られる流れになった。アーサーはギリリと歯軋りをした。


 その時、


 ――バンッ


 広間の扉が大きな音を立てて開いた。


「――――たんぽぽじゃ!」


 しわがれた声が響く。驚いて全員振り返った。


 白髪が混じった金髪に、やつれた人間の老人がたっていた。


「皆、たんぽぽじゃ!」


 老人はガルカト国の国王だった。緑病が進行し、前よりも肌が緑色に染まっているのが痛々しい。そんな様子とは裏腹に彼は無垢な笑顔を向けて貴族たちに黄色い歯を見せる。


「デア大樹の根本に生えておったんじゃ!」


 王は自慢げに片手を高く掲げた。その手には数本のタンポポが握られていた。


 デア大樹の周りは特殊な魔力マナに満ちており年中花々が咲き誇っている。季節外れのタンポポも生えていたのだろう。デア大樹は本来ならば、『王選び』のお告げを聴くための神聖な場所であり、普段は誰も立ち入らない。だがそんな事は耄碌もうろくの王は覚えておらず、ただ花を取るためだけに大樹の元へ訪れていたようだ。


「陛下。丁度今し方レオナルド殿が、ヴァンドレイル領の問題について、戦略を練って下さっていて......」


 貴族の一人が途中から来た王に今の会議の内容を説明しようとする。だが、王はキョトンとした顔で首を傾げた。


「フォルデン公爵、――――ゃ?」

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