86.毛糸の耳当て
次の日、金獅子の団は第三拠点の野営地に泊まっていた。ここで一夜明かし、早朝に出れば、夕方頃には王都に着く。
その日の夜も、ルーナはリオのテントに様子を見にやってきた。必要とあらば昨日のように裸で添い寝するが、ルーナはできればあまりやりたくなかった。
リオは丁度、上半身を脱いで自分で包帯を巻き直そうとしていたようだった。わずかに顔を歪めて痛みに堪えていた。「そんぐらい誰かに頼みなさいよ」と言ってルーナは包帯を巻いてやった。
するすると包帯を巻いている間、妙な沈黙が続く。
《それみろ! だから言ったじゃないか!》
ふと、ルーナは昨夜、副長ヘイグに言われた事を思い出した。誇り高き灰狼の彼にしては、珍しくいつもの冷静さを失って怒鳴った。
《お前がいる限りリオはお前を守ろうとする! 一歩間違えれば......リオは死んでしまっていたかもしれない! お前が......お前が、たかが無名の将相手にヘマしたせいで、金獅子の団が崩壊していたかもしれないんだぞ!》
わかりやすく怒りをぶつけてきたのはヘイグだけだったが、今回の件でルーナに怒りを覚えたのは彼だけではない。
――ルーナが無名の将相手に油断したせいでリオが大怪我をした。おそらく多くの金獅子の団の騎士達がそう思っている。勿論、彼らにどれだけ憎まれようがルーナにとってはどうでも良い。だが、ルーナ自身、リオにここまでの怪我を負わせてしまったのは自分のせいだ、もっと他にやりようがあったのではないか、とぐるぐると思い悩んでいた。
(あのネズミの将軍......。本当に威力半端なかったわ。ゲイリー級かも)
ルーナの視界には、真っ二つに割れたリオの黄金の鎧が置かれていた。ネズミ将軍の刃は鎧を砕き、リオの体を引き裂いた。鎧の割れ目からもネズミ将軍の打撃力が伝わる。
(でも、あのネズミ野郎......なんか見た事ある気がすんのよね......。どっかで戦った事あったかしら......?)
ネズミ将軍に『赤い鎧』でなく、『ルーナ』と呼ばれた時、どこか懐かしく感じた気がした。あの感覚は一体何だったのか、ルーナはいまいちよくわからない。
「言っとくけど、今回の件お前の責任じゃないからね」
突然リオが口を開き、ルーナの思考が止まる。
「俺が勝手にルーナをかばったんだ。変に責任感じるんじゃないぞ」
「はあ? 当然よ。こんな事でいちいち傷つく程私はお人よしでも繊細でもないわ」
「......そう。ならいいけど......」
「はい、おしまい」
ルーナは包帯を巻き終えて、ぽんっとリオの肩を軽くたたいた。
「ありがとう、ルーナ」
ルーナはふとリオの首に、石ころに紐がついただけの、へんてこなペンダントがさげられているのに気づいた。
「それ......」
「ん? ......ああ、これ? 昔、お前がドラゴンのペンダントだって騙されて、買ったやつだ。懐かしいだろ」
リオはイタズラっぽく笑う。
「これに銀貨3枚は高かったなあ」
「......。もしかして、ずっとつけてたの?」
「ああ。普段は服の下に入れてるからわからなかっただろ。斬られた時、これごとやられなくて本当に良かった」
「......なんでよ。ただのガラクタじゃん」
「でも、お前がくれたものだよ。俺がいつか王になるからってくれた俺だけのドラゴンのペンダント」
「......」
包帯を巻き終えると、リオは服を着た。
「そうだ、お前いるのならやっておきたい事があるんだった。ちょっといい?」
そう言って、リオは荷物からごそごそと何かをとる。
毛糸でできた耳当てだ。人間にしては長く、エルフにしては短い、ルーナの耳にだけすっぽりとおさまる毛糸の耳当て。編みかけのようだった。
「今使ってるやつ、だいぶボロボロになってただろ? そろそろ新しいの作ろうかなって思ってね。サイズ合わせたいからもうちょっとここにいてくれる?」
「......」
リオはあぐらをかいて、両手で器用に続きを編み始めた。
ルーナは無性に身体中がむかむかしてきた。
この光景を見られるのは、後どれくらいなのだろう。
ルーナがリオの心の大部分を占められるのは、後どれくらいで終わるのだろう。
胸がつんと切なくなってどうしようもなくなる。
「......」
ポスッと、ルーナはリオのあぐらの中に腰をうずめる。
リオは「お前って時々甘えただよな」と言ってルーナの前で腕を回し、普通に毛糸の耳当てを再び編み始めた。
ルーナは自分の長い耳を触る。
(耳......ここら辺で切ったら......)
――お嫁さんになれないかな。
そこまで考えて、1人ため息をついた。見た目は、リオやセーラに比べて耳が少し長いだけ。寿命だって、リオと出会った当初は10代前半くらいの見た目だったのに対して今は後半くらい。たしかにリオよりも若干の成長の遅さはあるが、エルフみたいに全く変化がわからない程じゃない。
本当に長い耳の先を切ってしまえば、ルーナも人間として受け入れられるのではないか?
そうしたら、リオとのこの曖昧な関係性も変わるのではないか?
そんな考えが頭に浮かぶ。
「なんか浮かない顔だね」
「......兄貴がこうやって私のために時間を使ってくれる日はあとどれくらいで終わるのかなって......」
ルーナはぽつりとつぶやく。
「兄貴がなんだか離れていくみたいで......」
ルーナは言葉を途切れさせた。
「どうしたんだよ。今夜は妙に素直だな、お前」
リオが笑う。
「やっぱ、城のペットになるか?」
「......」
「ははっ冗談だよ。俺は王になってお前は右腕としてずっと傍にいればいい。今までと変わらない」
「......そっか」
「......。サイズこんなもんか?」
リオがルーナの耳に毛糸を当てると、くすぐったくて長い耳をバタバタさせた。
*
王都ロモントに帰還すると、すぐにリオはオルレアン公爵の別邸へ運び込まれた。本当は行きつけの宿に運ぼうとしたが、リオの大傷の知らせを受けたオルレアン公爵が、それでは傷に響いてしまうと、わざわざ中央街にある別邸のベッドを用意してくれたのだ。
いつも寝ている宿の何倍もの寝心地の良いふかふかのベッドで、リオは横になっている。こんなに大掛かりにしなくてももうだいぶ傷は癒えたよとリオは笑うが、次々と貴族たちが見舞いに来て、ベッドから抜け出せない雰囲気になってしまった。そんな中で、
――バタバタバタバタ
誰かが走ってくる足音が聞こえてくる。
「レオナルド様ッ!」
バンッと扉を開けて入ってきたのは、オルレアン公爵の娘セーラだった。セーラはかなり急いでいたらしく、ドレスが乱れ、額に汗がにじみ、息が上がっている。目は、泣いていたのか、少し赤く腫れている。余程心配していたのだろう。このままリオに抱きつくんじゃないかという勢いだったが、リオの傷を慮ってか、そのようなことはしなかった。
「お体は大丈夫ですか?」
「ええ、お陰様で、もうすっかり回復しました。お気を煩わせてしまい、本当に申し訳ございません」
「......いえ......」
この時、オルレアン公爵が咳払いをした。
すると、慌てて他の貴族たちが部屋から出て行った。金獅子の団の騎士達も空気を読んで、セーラとリオを二人きりにさせるべく部屋から出て行く。ルーナだけは少しためらったが、やはり部屋から出て行った。
「......うっ......ううっ......」
ルーナ達が部屋から出て行くと、やがてセーラーは静かにすすり泣き出した。
「だから......だから、戦になど行ってほしくなかったのです......。守りの指輪なんて意味がなかった」
「いいえ、この指輪があったからこそ、生きて帰ることができました。大切なお母様の指輪をセーラ様にお返しせねばと、その一心で帰って来れたのですよ」
「......」
リオはセーラの左手の薬指に金色の守りの指輪をはめた。二人の間に沈黙が訪れる。リオの赤い瞳はじっとセーラーを見据えた。
「すみません、たしかにセーラ様のおっしゃる通り、私は戦において死と隣り合わせですね。ですから、手遅れになる前に申し上げておきたいのです」
「......?」
「――――セーラ様、心からお慕いしております。どうか、俺と結婚してくださいませんか?」
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