第6話 痛くない

「「うわあああああああああああああああ!!!!」」


「んぎゃばっ!?」


 ティティアさんの上半身を押さえていた男は部屋の後方に、下半身をまさぐろうとしていたアニキと呼ばれる男は扉の方へと吹き飛ばされていった。強風で飛ばされるビニール袋のように軽々と勢いよく。

 2メートル近い体格の大男が自らの意思と関係なくあんなにも飛ぶなんて常識では考えられない。

 それこそティティアさんを中心に爆発でも起こらない限りはあり得ない事象だ。

 

 ガシャアアアアアアン!!!!

 

 後方に吹き飛ばされた男は食器棚にぶつかり、その衝撃で中身がこぼれたくさんの食器が床に打ち付けられた。ぶつかった衝撃に加えて割れた食器の破片が刺さったようでうめき声を上げている。


「むにゃあ?」


 俺がいくら泣いても目覚めなかったティティアさんがようやく覚醒した。ゆっくりと上体を起こし辺りを見回しても部屋の中は暗い。きちんと状況を把握できていないようでどこボーっとしている。


「ちくしょう! このクソ女なにしやがった!」


 破壊した扉の向こう側、比較的衝撃が吸収される地面へと吹き飛ばされたアニキは立ち上がるとティティアさんに殺意を向けた。

 

「おんぎゃああああああ!!!! ぶわああああ!!!」


 俺はただ大声で泣くことしかできない。理由も原理もわからなくていい。俺が泣くことでこいつらを追い払えるのなら喉が潰れるまで泣いてやる。


「あぎゃああああ!!!!! んばあああああ!!!」


 逃げることも戦うこともできない。無防備な赤ちゃんゆえの恐怖が俺の喉を奮い立たせる。さっきよりもボリュームは大きいはずだ。だけど、何も起きない。


「恐いよねマモルくん。大丈夫。こんなやつ私が」


「そのボテ腹で何ができるってんだ! まずはこのうるさいガキから殺してやる」


「あぎゃああああ!!!!! ぎゃあアアアア!!!」


 トゲの付いたメリケンサックが俺の体を目掛けて飛んでくる。ティティアさんはこの部屋のどこかにあるのであろう剣を取るためにベッドから起き上がった。絶対に間に合わない。


 せめてティティアさんとお腹の子供だけでも無事でいてほしい。お金を払って赤ちゃんプレイに興じる男の命一つで解決できるなら差し出してやる。仕事のモチベーションが上がったのは今後も赤ちゃんプレイができるからだ。根本的に人生の目的が見つかったわけじゃない。


 親は勝手に貯金と年金で生きていくだろう。親より先に死ぬのは親不幸と言われても、大人になってオムツを履いて母乳を吸うような息子はすでに親不孝者だ。養う家族がいないから死んでも誰に迷惑がかかるわけじゃない。


 明日以降はしばらく同僚に迷惑がかかるとしても、しばらくしたら新しい人員が補充されて何事もなかったかのように社会は回る。


 今生きるべきはティティアさん達だ。昔漫画で見た、腹筋に力を入れて剣を抜けなくする真似事でもしてみようか。

 この赤ちゃん体力でできる自信はないし、メリケンサックのトゲにそんな芸当ができる気もしないけど、、泣く以外に俺ができるのは挑戦することだけだ。


「ギャアギャアうるさいんだよクソガキがああああああ!!!!」


 死ぬ間際になると走馬灯が見えるというのはウソらしい。あるいは赤ちゃんだから走馬灯という概念がないのかもしれない。まさかここまで赤ちゃんになりきれるとは自分でもびっくりだ。


 一応30年以上生きて来た記憶はあるし、両親にバレたらとか仕事のこともちゃんと覚えてる。自分にとってこれらのことがたいしたものじゃないかもしれない。

 そんな侘しい人生を華々しく散らすきっかけをくれたティティアさんさんには感謝だ。誰かを守って死ぬ。その名に恥じぬ終わり方だと思う。


「死ねごらあああああああああ!!!!!」


 せめて視覚からの情報をシャットダウンしようと目をぎゅっと瞑ると闇が広がった。自分では腹筋に力を込めているつもりだが、それによって何かが起きたような気もしない。


 そもそも相手が顔を殴ってきたら計画は台無しだ。顔の筋肉に力を入れて剣を抜けなくした漫画は読んだことがない。あまりにも相手依存の計画だった。


 ………………………………………………………………………………………………。


 どれくらいの時間が経過しただろう。痛みを全く感じない。あの一撃であっけなく死んでしまった。

 ティティアさんは剣を取ることができただろうか。男達の話では剣を持たれたら終わりらしい。俺の助けなんていらないくらい強い剣士なんだ。

 彼女が本気を出せるまでの時間を稼げていたら嬉しい。きっと成功したと信じて俺は永い眠りにつこう。


 幸せな人生だった。


「クソッ!!! どうなってんだこのガキ!! なんでビクともしねえんだ。硬いわけじゃねえ。ただの赤ん坊なのに! クソがっ!」


「あぎゃ?」


 耳に入った汚い声に反応して目を開けるとしっかりと世界が広がっていた。死後の世界じゃない。めぐみさんと過ごしていた部屋ではなく、ティティアさんと一緒に寝ていた方の部屋だ。


 アニキは血眼になって拳を振るっている。その矛先は間違いなく俺で、トゲが目に入ると思って再び視界を閉じると一切の痛みがない。


 一体何が起きているのかと確認するためにまぶたを上げると、やっぱりアニキは俺に殴りかかっている。


 このやり取りを何回か繰り返したところで俺は勇気を振り絞ることにした。振りかかる拳をしっかりと見届ける。

 まばたきをしないようにクワッと見開いてそのトゲと対峙した。


「んば??」


 どう考えても眼球を貫いてもおかしくないそのトゲは本当にギリギリのところで止まっている。いや、感覚を研ぎ澄ますとかすかに目がチリチリと痛い。砂が目の中に入ったような異物感で涙がじわっと溢れ出る。


 ただ、それだけだった。見た目のダメージと実際のダメージが釣り合っていない。アニキは顔への攻撃を諦めて胸や腹、足を無差別に殴り続けている。攻撃箇所を想ったように動かせないのは相変わらずなので抵抗も逃亡もできないが、ダメージは全くない。


 痛覚がないだけで実はボロボロになっているという気配もない。出血していないし、むしろメリケンサックのトゲがより硬いものにぶつかり続けたように少しずつ丸みを帯びていた。


「なんなんだよコイツ。ティティアのガキじゃねえよな? おい? てめえもバケモノなのか? ええ!?」


「あぎゃぎゃ!」


 オムツを履いて赤ちゃんになりきっている成人男性は広い意味ではバケモノかもしれない。ただ、メリケンサックでいくら殴られても一切のダメージがないタイプのバケモノになった覚えは全くない。


 自分でもこの状況が不思議なくらいで、何か心当たりがあるなら教えてほしいくらいだ。


「アニキ!! 危ない!」


「は?」


 仲間の声に反応してわずかに首を傾けたのが功を奏したのか風はアニキの耳たぶを斬っただけだった。


「やはり動きが鈍ってますね。出産前の弱った私を狙うなんて、清々しいくらいの卑怯で褒めてあげたくなります」


 ティティアさんの声が聞こえた方に顔を向けると剣の間合いから大きく離れたところに鎮座していた。出産間近の大きなお腹とは不釣り合いな剣は月明かりに照らされて神秘的な雰囲気を放っている。


 こいつらが装備しているメリケンサックとは格が違う。素人目で見てもハッキリと伝わる業物だ。


「逃げましょう! 剣を持ったティティアはマズい!」


「ちくしょうが!!!! 気持ち悪いガキのせいで計画が台無しだ」


「逃がしま……っ!」


「あばぶ!?」


 剣を振りかぶった途端、ティティアさんはお腹を押さえて座り込んでしまった。


「へ……へへ。その腹じゃあまともに戦えねえよな」


「アニキ、逃げましょうって。また立ち上がったら」


「……ちっ」


「待ちなさ……い。今ここで仕留めて」


「あぎゃぎゃ! ばぶば」


「マモルくん?」


「おんぎゃあああああああ!!!! んばあああああ!!!!」


「そうだよね。ごめんね。恐かったね。大丈夫。恐い人達はどっかに行ったから」


 大男達が走り去っていくのを確認してティティアさんは剣を置いた。ベッドの脇に剣があるというのは何とも物騒な光景だが、護身用に木刀を置くように親御さんから言われている人だっている。その延長戦上みたいなものだと自分を納得させた。


「ありがとうマモルくん。キミのおかげで私も、この子もケガしなかった。ううん。生きられた」


「ばばぶ」


 俺の力じゃない。ティティアさんの剣技のおかげだ。明らかに斬撃が飛んでいて、剣を持っているという一点だけでどんなに隙を見せてもあいつらは逃げていった。鬼に金棒どころの話じゃない。剣士として頂点に立っていることがこの短い時間で伝わってきた。

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