現実

 気付くと、懐かしいスラムにいた。嗅ぎ慣れた悪臭、盗んだウクレレ、奇声、全て知っている。

 俺は、今までの物語のほとんどが走馬灯と、妄想であることを理解した。夢から覚めてしまった。こちらが現実なのだ。

 目をぼんやりと開けていると、視界に知らない女が映った。

 コイツだ。コイツが俺の夢を奪ったんだ。声が出ない。どうして、俺を覚ました?善意のつもりか?なぜ、いつも他人は俺の生き方に干渉してくるんだ。好きにさせろよ。お前が話しかけなければ、幸せに死ねたのに。

 俺は力一杯、その女をビンタした。つもりだったが、実際は汚れた手が、女の頬に触れただけだった。その頬はふわりと柔らかい。俺の手はその頬をゆっくりと撫でながら、落下していく。次は黒く艷やかな髪を掠めた。意識が遠のいていく。最後に何か、頬よりも柔らかい、それでいて弾力のある何かに触れた気がした。

 その瞬間、俺は懐かしく、恐ろしいあの感覚を思い出した。


「おじさん、分かってたでしょ?最初から」

真っ白い、何もない空間にあの頃のギャル、『天気ちゃん』が立っていた。

「そうかもしれない」

「記憶の奥から私を引っ張り出しておいて、さっき会った女に興奮するとか、最低だね」

「ごめん」

 自分でも、そう思う。勝手に家を出て、恋と失恋して、それに懲りず走馬灯ですら、迷惑をかける。自分勝手にも程がある。でも、もう死ぬなら、このくらいの我が儘は許される。と思いたい。

「天気ちゃん」

彼女は答えない。

「もし本物の天気ちゃんに会ったら、話し掛けてもいいかな?」

 天気ちゃんは大きく肩を落として、溜め息を付く。妄想の息子にそっくりの仕草で。

「知らない」


 背中に衝撃を感じた。どうやら、どこかに運び出されたようだ。眠い。痛い。もう楽になりたい。

 突然、体を横向きにされ、口の中に硬いチューブが押し込まれた。その中からどろりとしたものが流れてくる。それは味がないのに、とてつもなく美味かった。それが出てくるであろう物体を手で抑える、ゆっくりと吸い続ける。

 少し飲んだところで、チューブは口の中から出ようと動き始めた。駄目だ。もっと飲みたい。硬いチューブを噛み、抑えつける。やがて、チューブは逃げようとするのをやめた。俺はそれが液体を出さなくなっても、しゃぶり続けた。

 目を開けると、先程触れたと思われる女性と、体格のいい男性がこちらを見ている。

何か言っているようだが、よく分からない。

 そういえば、ホームレス保護団体なるものを聞いたことがある。コイツらがそうなのかもしれない。まさか、俺がそれに助けられるなんて。

 つくづく、自分が嫌になる。また、俺は俺を辞めることが出来なかったのだから。

 安心したからなのか、飲んだものが胃から全て出てきた。今までのゲロ、全て集めても足りないくらい、吐いた。周りは騒いでいるようだが、今はともかく気分がいい。最悪な自分に笑えてくるくらい、いい気分だ。

 濡れた道路の上で寝返りを打って、空を見上げる。そこには、薄い月と、あの女と男の顔、下乳、夕焼けとも夜ともつかない出来損ないの星空が広がっていた。

「綺麗だ」

男は叫んだ。 

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運命の人 @tyoudoiioyu

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