未来
「それで、それで?」
今年で6歳になる息子が話しの続きをねだっている。最近、はっきり喋れるようになってきた。
「それからワシントン、ラスベガスに行ってから、ここに来た。お金がないから、もちろんヒッチハイクでね」
「なんで?なんで、ここに来たの?」
我が子はなぜなぜ期だ。なぜなぜ期とは、小さい子どもが大人に理由を質問したがる時期のこと。嬉しい反面、ちょっと面倒くさかったりもする。
「うーん。そうだな」
少し、見上げて考える。天井は元々そういう色だったのか、少し黄ばんでいる。蛍光灯はいくつか不規則に点滅していて、寿命を訴えていた。
「ここら辺は日本でも有名な所だったから。でも、結局はなんとなくかな」
「ふ~ん」
息子は興味無さげに返事をした。テーブルに上半身を預け、半ば寝そべったように座っている。長かったのか。飽きっぽいところは、妻に似たのかもしれない。
「ここから面白いんだけど、聞く〜?」
「もういい」
「じゃあ、勝手に話すね。聞かなくてもいいから」
息子は面倒くさそうに溜め息を付いた。
「カジノで遊んで酔ってたお父さんは、スラムに迷い込んだんだ」
「えっ。だいじょぶだったの?」
ここら辺のスラム街はアメリカ屈指の治安の悪さを誇る。今でもショッキングな事件が後を絶たない。
「全然大丈夫じゃなかった。知らない男達に囲まれて、ボコボコにされた」
「ラッキーだったね」
「うん。今思うとね。お父さんか、そいつらが銃を持ってたら、死んでた。結局、金、ウクレレ、服、全部盗られた。お父さんはごみ箱を漁りながら、しばらく生活してた。お前、絶対はそこには入るなよ」
「ハイハイ。で、どれくらい?」
「時間とかよく分からなかったけど、冬を3回くらい越したかな」
「お父さん、タフだね」
「そうだろ。雪国男児は強いんだ」
「ユキグニダンジ?」
「寒いとこ出身の日本人男性のこと」
「へぇ。それで?」
「しばらく、ごみ箱で拾ったウクレレ演奏したり、ごみ箱で見つけた食べ物を食べたり、ギリギリ生き残ってたんだ」
「ウクレレなんて、落ちてるの?」
実を言うと、近くのメキシコ街で盗んだようなものだったが、息子に言うのは憚られた。適当に誤魔化し、話を続ける。
「それでも、やっぱり限界が来た。もう死んだな~。って思ってら、なんと、あの『天気ちゃん』が助けてくれたんだ!」
「おー!」
「それが君のお母さんってわけ」
「お母さんはなんで、そんなスラム街なんかにいたの?」
「分かんない。細かいことは気にしないからね」
「……もしかして、作り話?」
「いやいや」
「お父さんにしては面白い嘘だったけど」
息子にこんなに信用されない俺って、ちょっと情けない。必死になって説明しようとするが、聞く耳を持たず、息子は爪をいじくっている。
「ちょっと二人ともー!開店の準備、手伝って!」
店のカウンターから妻、天気ちゃんの声が響く。
最近、小さなカンティーナを始めた。カンティーナとは、メキシコの大衆居酒屋のことだ。実は、カンティーナには店の中でメキシコ音楽を演奏する文化がある。妻はウクレレの演奏を仕事にしたいという俺の我が儘を叶えてくれたのだ。全く、頭が上がらない。
「二人とも、こっちで台拭き絞って、椅子とテーブルを拭いて。終わったら、あんたはウクレレ持って来て」
「ねぇ。お母さん」
息子は台拭きを濡しながら、言う。
「お父さんをスラムで拾ったって、ほんと?」
「本当だよ」
「ここに来る前、日本の新幹線で話したってところも?」
「本当」
「なんでお母さんはさ……」
「ほら。後で答えるから、お父さんと今は準備して」
息子は小さく頷いてから、こっちに走って来た。その足取りは以前と比べて確かなものになっていが、息子が走っていると、目が行ってしまう。
「お父さん、ごめん。ほんとだった」
「いいよ。別に」
「もうちょっと聞いていい?」
「いいけど、仕事しながらね」
俺はテーブル、息子は椅子を拭きながら、話し始めた。
「お父さんの運命の人はお母さんだったの?」
「まぁ。そうだったんじゃないかな」
曖昧に答えると、
「そこは、断言してよ!」
と妻の声が聞こえた。彼女は耳がいい。一緒に暮らし始めて分かったことの1つだ。
「看板、外に出してくるね」息子に小さく呟く。
外に出ると、澄んだ空が広がっていた。最近は雨も減って、夏が近づいているのを感じる。俺は店の前にメニュー看板を出して、伸びをした。
「今日も1日、頑張るぞ」
店のドアを開け、中に入る。
『いい曲だね。なんていうの?』
誰かが言った。
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