4.毒島巌72歳②

 東京近郊のベッドタウンであるI市。その住宅街は通りが松の木に囲まれた一帯で、人通りも少ない閑静な場所にあった。


 ピンポーン。


 佐伯と相川は、早速毒島巌の自宅を訪問した。築五十年は経過しているであろう古びた一軒家だ。庭木は荒れていて、人が住んでいる事が不思議だと思う佇まいだ。外から見た限りでも障子は破れ、外壁も塗装が剥げかけていて、一見して廃墟にも見受けられる、いわゆるボロ屋だった。


「誰だ、お前ら」


 玄関から顔を出した老人は、顔に深い皺が刻まれ、髪の毛は短髪だが白髪でぼさっとしておりやや薄くなっている。シミが散らばった顔には無精ひげが生えており、服装もヨレヨレのTシャツに毛玉が大量についたジャージと、お世辞にも小綺麗とは言い難い雰囲気だった。


「こんにちは。私達はI市役所の老害対策課のものです。私が相川で隣にいるのが佐伯です。この度、毒島巌様が老害として告発されまして、私達はそれに関するお手続きと、プロフィールムービーを制作するための担当となります。お話を聞かせて頂きたいのですが、少々お時間よろしいでしょうか?」


 相川が噛む事無くすらすらと挨拶をする。佐伯は横に突っ立っているだけだが、毒島は眼光鋭く二人を舐め回すように見ていた。


「老害対策課だぁ!? あの最近出来たふざけた法律の担当者ってわけか! 俺を告発したのは誰だ! ぶっ殺しに行ってやる!!」

「まぁまぁ落ち着いて下さい、毒島さん。何もあなたが絶対に死刑になるってわけじゃないんです。我々も精一杯プロフィールムービーを作らせていただきますから、どうかご協力のほどお願いいたします」


 相川は愛想笑いを顔に張り付けたままそう説得を試みる。毒島は納得いかなそうに不貞腐れた顔をしながらこう言い放った。


「この法律はよぅ、に出向かないと百パーセント死刑になるってやつだろ。さっきもワイドショーでそう言ってたぜ。俺がお前さんたちの提案を蹴るわけにはいかねぇってこったろ?」

「そうなんです、毒島さん。に出向かないと絶対に死刑になってしまうんですよ。それも近日中に。だから私達と頑張って最高のプロフィールムービーを作りましょう!」

 

 相川は手でガッツポーズを作って毒島を鼓舞する。その笑顔には裏が無さそうだった。毒島は、渋々ではあるが相川と佐伯を家に招き入れた。


 妻に十年前に先立たれ、一人暮らしをしている男の部屋は荒れていた。あちこちにインスタント食料品のゴミが散乱し、酒の空き缶が散らばっていて、掃除も行き届いていないせいか室内はすえた臭いがする。壁紙はタバコのヤニで茶色くなり、そこら中に埃が積もっていた。相川と佐伯は一瞬しかめっ面をしたが、そこは大人である、すぐに笑顔を取り繕うと毒島に招かれるまま居間に着席した。


「プロフィールムービー制作担当の佐伯です。では、毒島さんの生い立ちから聞かせて頂けますか?」


 毒島は反抗心を隠そうとしない態度であったが、ぽつりぽつりと自分の事を話し出した。約二時間の面接が終わる頃には、毒島はすっかりこの二人に気を許していた。


「なーに、俺だって全てを否定するつもりはないさ。お前さんたちが俺を死刑にしないために頑張ってくれているのだって認める。だがな、このふざけた法律は早々に廃止されるべきだと思わねーか?」


 相川と佐伯は困り顔になった。一市役所職員である自分たちが、政府の決めた事に口出しが出来るわけがない。


 一瞬、気まずい沈黙が流れたが、その流れを破ったのは相川だった。


「私たちは、市民の皆様のために出来る限りの事をするだけです。私たちは市民の皆様に安心安全に暮らして頂くために働いているのですから」

「へっ。ご立派だぜ」


 そう言って、毒島は豪快に笑った。


「俺はあんたたちが気に入ったぜ。なかなか骨のある若者だ。俺がこので無罪になったら、どうだ、一杯祝杯でもあげに行かねぇか?」

「ははは。考えておきますよ。ね、相川先輩」

「そうですね。毒島さん、私たちも精一杯頑張りますから、毒島さんも精一杯の弁明を考えておいてくださいね」

「あーあー、面倒くせぇなぁ。何を話せって言うんだよ。俺は俺の人生で反省すべき事なんてないぜ?」

「そういわないで下さいよ毒島さん」

 

 佐伯が調子よく毒島に合わせる。毒島は気分が良くなったようで、昼間だというのに焼酎をグラスに注いで飲み始めた。


「どうだ、兄ちゃん、一杯やらねぇか?」

「……。業務中ですので」

「真面目だなぁ……」


 毒島はグラスに注いだ焼酎をストレートのままグイッと飲み干すと、どこか満足げな表情を浮かべた。


「俺はよ、に行ったら全国放送で政権批判してやるんだ!」

「え……やめて下さいよ毒島さん。そんな事したら視聴者への心象が悪くなりますって」

「そうですよ、毒島さん。それじゃ、私たちが精いっぱいプロフィールムービーを作ったとしても台無しです」

「言いたい事言って死んで何が悪いって言うんだ。がはは。俺は大豆生田の野郎にがつんと言ってやるんだぜ」


 佐伯と相川は困惑した。だが、これ以上反対意見を述べても毒島は聞かないだろうと諦めた。


 そうして、佐伯と相川は市役所に帰り、プロフィールムービー作りに励んだ。プロフィールムービーが出来上がった数日後、ついに初めての老害審判が開かれる事になった。

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