数十年ぶりにあった友人がしんだ話

二階下

本編

 泰史が部屋に入ったとき、彼はベッドに腰掛け、ぼんやりと外を見ていた。名前を呼ぶとゆっくり振り向き、微笑みながら挨拶を返してくれた。

 手土産を見せると少し大袈裟に喜びながら受け取り、中身を見たあとに近くのサイドテーブルに置いた。


 泰史には元気な頃の彼に戻ったようにも見えた。だが結局彼は変わったままだった。誰とも知らない名前を出してお礼を言ったからだ。少し悲しくなったが指摘もせずに話を続けた。

 数分たつと彼の妹が部屋に入ってきた。手にした急須を載せたお盆を机におき、なれた様子でお茶を注ぐ。彼に湯飲みを手渡すと、彼はさっきの微笑みで妹に礼を言う、さすがに妹の名前は間違えなかったため、少し安堵した。

 三人で話すと自然にあの頃の話になった。彼が話すときは人物の名前が混沌としていたが出来事は間違えていなかったので理解することはできた。わざとではないかと思うほど毎回自分の名前が変わることに苦笑いを浮かべていると、彼は飄々とからかい、彼女は笑いをこらえていた。


 数週間後にまた彼のもとを訪ねると、また少し進行していた。彼は身に覚えのないことを言ってくるようになり、話が噛み合わなくなることも増えた。そして車椅子がベッドのそばにあった。彼が大あくびした後、自分とは違う誰かに向かって話しだしたことは、泰史がそれまでいくら聞いても教えてくれなかったことだった。彼の秘密を彼が望まぬ形で聞いてしまった気がして居た堪れなかった。


 次に訪ねたとき、彼は妹に対しても他人と同じように接するようになっていた。彼女は少し困ったような笑いを浮かべながら世話をしていたが、疲れがにじみ出ていた。

 泰史は彼が昔よく安楽死について話していたことを思い出した。今現在の生き方を彼自身は許容するのか疑問に思ったが、自分にはもうどうすることもできない。


 適当に間隔を空けながら彼のもとに通い続けること数年、泰史は彼の一報を受け取った。わかりきっていたことなのに少し涙がこぼれた。

 式に参列しながら思うのはやはり若かった時のこと。

 なぜ彼が数十年連絡を返してくれなかったのか、なぜあの時になって手紙をよこしたのか、全てわからなくなってしまった。


 煙の臭いの中、彼の妹に礼を言われた。

 とりあえず無難に返し、列に並ぶ。なんどかこういう場に来たが、慣れないし、慣れたくもない。

 思いが溢れ出して吐きそうになる。長い音信不通の時間があったのにも関わらず、自分の中で彼の占める割合は思った以上に大きかった。いや、合わなかった時間の分だけ、この短い間に急激に大きくしたのかもしれない。


 彼にとってはどうだったのか、最終列車で座りながら考える。

 他の人は目を閉じていて、自身の降りる駅のアナウンスで眠そうに立ち上がっていく。自分も少し眠かったが、眼を閉じると嫌なことを思い出しそうなので適当に吊り下げ広告を眺めていた。

 終点を告げる声がした。数十分ぼんやりしていたらしい。駅からタクシーを拾おうかと思ったが、作業的にすら人と話したくはない気分だった。黒い雲が頭上を覆う中ぼんやりと自宅に向かって歩いていく。


 喪失感はそもそもなかったが、その代わりに少し高揚していた。祖父母や親戚よりもある意味距離が近しい人物の、予想していた結末がそのままやってきたということが、まるで自分が見殺しにしたような奇妙な感覚をもたらしていた。かなりの時間を挟んで彼と付き合ったことも関係し、彼がいなくなったことによってなにか問題が発生することはなく、他人から見ればただの知人の一人にすぎないのだろうが、泰史にとっては彼の顛末が自分の世界観が変わるほどのことに思えていた。

 我が身に置き換えて考えるのは人の常だが、結局行き着く先は彼と同じで、どうしようもなくなる前にけりをつけたいということだった。ただ、今の日本では回りに迷惑をかけず、楽に終わらせるのは至難の技であって、詰まるところ彼と同じ結末を迎えるのかもしれないと諦めの感覚さえ覚えた。人の世は希望の通りにならないことも常といったところである。


 彼は独り身だったが妹がいた、少し羨ましくもあったが近い人とはいえ、他人が否応なしに世話をしないといけなくなるのは申し訳ない。それならば自分も独り身のままでもいいのかもしれない。

 いつの間にか家についていた。泰史は誰もいないのに帰宅を告げる。そして自分で返す。これを10年以上続けている。


 誰もいない家はなぜかいつもより不気味に思え、いつもと同じことを確かめる、なにか変わっていることを期待する。だが出てきたときと相違はない。泰史は酒を開けて浴びるように飲んだ。明日も仕事だったがいく気にはなれなかった。

 自分のこれまでの記憶が重なっていく…若い頃に非日常的なことを待ち望んでいた時、そんなことは起こらないと飲み込んだ時、自分の考え方が少数派だと炎上している人を見て気づいた時。

 つまり自分の世界が変わった時に考えたことがひっくり返っていっしょくたに落ちてきていた。だがそれで今の気持ちが隠れるならそれでいいと思えた。


 何も考えなくするために飲み続けているのにどんどんあいつの事ばっかり頭に浮かぶ。あいつは俺の変化が嫌だったから離れたのだろうか、あいつはいつも早く大人になって自由がほしいと言っていたのに、本当は子どものままでいたかったのだろうか。


 これは矛盾しているのか?いやしてない気がする。素面なら簡単に説明出来そうだが今は無理だ。

 朦朧としていく意識のなか、夢であいつと会って聞きたい気持ちともう彼を忘れてしまいたい気持ちが喧嘩しあっていた。


 いっそこのまま全て終わってもいい。これから毎晩考えそうな気がするから。

 どうせ来ないであろう終わりに挨拶をして、泰史は眠りに落ちた。

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