スピンオフ・君がいない




「また、この話題か……。」



 ため息混じりにそう呟いて、俺はせっかくつけたテレビをまた消してしまった。


 最近、とある事件が世間を騒がせている。


 若い男が自分の妻の遺体を二ヶ月にわたって自宅に放置したという事件。


 彼が妻を殺したわけじゃない。妻は病気で死んだらしい。


 だから殺人事件じゃなくて、死体遺棄事件だ。


 死体遺棄事件なんて、さして珍しくもない。そんなのどこにでもある話だと思う。


 この『どこにでもある話』がこれほどまでに世間の関心を集めているのには、理由がある。


 彼は、死んだ妻を春の女神ペルセポネーだと思い込んでいて、春になればまた生きて自分のもとに戻ってくると信じて疑わなかったらしい。


 まあ簡単にいうと、最愛の人を亡くして狂ってしまったっていうオチだ。


 当然彼は罪に問われて逮捕された訳だけども、世間はこれを究極の愛だとか、永遠の愛だとかいって綺麗なものとして祭り上げている。


 彼に同情したり、共感する声も多いが、俺は全くそうは思わない。


 死体になっても一緒にいたいなんて、本物のバカだ。


 死んでいるから死体なんだ。


 死体は、笑うことも泣くことも怒ることも喜ぶこともない。


 だって、魂がないのだから。


 魂がない体なんて、ただのぬけがらに過ぎない。


 その中に、なにもないから死体なんだ。


 彼だって、彼女の笑った顔やしぐさや声が、好きだったんだろう?


 でもそれは、彼女が生きていて、魂がある人だからそう思えるんだ。


 だから、死んでいて魂がない物に対して、それを望むのはお門違いってものさ。


 彼は彼女が生き返ると思っていたようだけど、死んだ人間が生き返るなんて、絶対にありえない。


 生きている人間と死んだ人間はもう二度と相まみえることはないんだ。


 心から愛した最愛の人を亡くして辛いのはわかるけれど、彼女のことは大切な思い出として心のなかにしまって、彼はちゃんと現実に向き合わなくちゃいけなかったんだ。



「ハァ……。」



 テレビの消えた狭い六畳間の部屋に、俺のため息だけが響く。


 日曜日の昼間だっていうのに、俺は鬱々とした気分でいた。


 デートはドタキャンされてしまうし、テレビではこの話題ばかりで気分が悪い。



「クソ……。菜乃花のやつ。」



 それにしても、あいつ。


 連絡ひとつよこさずドタキャンするなんて、どういうつもりなんだ。


 そう思うと、だんだんとイライラしてきて、俺は君に電話をかけることにした。



「……出ないな。」



 プルルル、プルルル。


 規則的なコールの音だけが続くばかりで、君は電話に出ない。



「あー、もう。……めんどくせぇー、」



 何回めかの留守電のアナウンスを聞いたところで、俺は携帯を投げ捨てひとり捨て台詞を吐いた。


 ……俺は、振られてしまったのだろうか。


 そんなことを考えていると、ベッドの下に投げ捨てられた携帯が音を立てて震えた。


 急いで携帯を拾い上げる。


 かけてきたのは、君だ。



「もしもし?……なんだ、切れてんじゃん。」



 上がった受話器のマークを押して、携帯を耳に当てる。


 しかし、電話の先からはツーツーという音が響くだけだ。



「うわ……。割れてるし。」



 ため息をついて、電話を切る。


 掛け直そうと携帯を見ると、やけを出して強く投げたせいか、画面が割れていた。


 右上の方から稲妻のようにヒビが入った画面を見て、なぜかふと胸騒ぎを感じ、俺は急いで君に電話を折り返す。


 プルルル、プルルル。


 はやく、出てくれ。


 そう思いながら電話が繋がるのを待っていると、電話の先から『もしもし』という声が聞こえた。



「もしもし?菜乃花?」





「克巳くん!」



 病院につくと、血相を変えた君のお母さんが俺の名前を呼んだ。


 ほんの数十分前までは、こんなことになるとは夢にも思わなかった。


 さっき電話に出たのは、君じゃなくて君のお母さんだった。


 電話で君のお母さんは、君が病院に運び込まれたと言った。


 君は、俺との待ち合わせ場所に向かう途中で、事故にあったらしい。


 ……意識不明の重体だという。


 それを聞いて俺は、いてもたってもいられなくなって、ほとんど部屋着のまま病院に駆けつけた。



「お母さん!菜乃花は、菜乃花は……!」



 半狂乱になりながら、君の状態を聞く。


 君が、いなくなってしまうかもしれない。

 

 もしかしたら、もう……。


 考えたくないけれど、いちばん最悪の事態を考えてしまう。


 君を、亡う。


 そう考えると、とても正気じゃいられなかった。



「安心して。あの子なら大丈夫よ。危なかったけれど、持ち直したわ……!」

「ああ……!」



 力強い声を聞いて、俺は膝から崩れ落ちた。


 頬に温かいものが伝う。


 涙が溢れて、止まらなかった。



「でも……。頭を強く打っていてね。この先ら目覚めるか……。目覚めても、この先どんな後遺症が起こるのか……まだ。」

「そんなこと。ただ、生きてさえいてくれれば。」



 膝をついて涙を流す俺に、お母さんは少し気まずそうな顔をしてそう言った。


 けれど、そんなことはもう、どうでもよかった。


 君が生きている。

 ただ、それだけでよかった。


 だって、生きてるってことは、君の中に魂があるってことだから。


 魂があるから、君はいるんだ。


 君がいれば、俺はそれだけでいいんだ。



「そうだ。菜乃花の顔を……見ていってあげて。克巳くんがいれば、きっとあの子もがんばれるから。」

「もちろんです。」



 袖で涙を拭って、立ち上がり、君のお母さんと並んで、病院の廊下を歩く。


 ちらりとお母さんの横顔を見ると、眦が潤んで、わずかに赤くなっていた。


 きっと、俺も似たような顔をしているんだろう。



「菜乃花、克巳くんが来てくれたわよ。」



 大きなガラスの壁の向こう側に、君はいた。


 あちこちに管や機械がつなげられていて、体には包帯がたくさん巻かれている。


 遠目からでも十分わかるぐらいに、痛々しい姿だ。


 それでも、君はたしかに、そこにいた。



「菜乃花、大好きだよ。愛してるよ。……本当に、生きててよかった。」





 君が事故にあってから今日でちょうど半年。


 今日も俺は、いつものように君の病室を訪ねていた。



「克巳くん。今日も来てくれたのね。」



 病室のドアを開けると、すぐに君のお母さんが出迎えてくれる。



「お母さん。また寝てないんじゃ?」

「ええ。昨日は、ずっと菜乃花に付きっきりだったから。」



 なんだか疲れた様子のお母さんにそう問いかけると、彼女は力なく笑ってそう言った。


 君のお母さんはこの半年の間で、ずいぶんとやつれてしまった。


 目の下にはクマが深く刻まれて、髪にはずいぶんと白いものが増えた。



「菜乃花、克巳くんが来てくれたわよ。」



 手足を縛られ、ベッドの上に横たわる君にお母さんが声をかける。


 しかし、反応はない。



「ちょっと昨日、暴れちゃってね。今は鎮静剤を打っておとなしくしてるけど……。もう、私のこともわからないみたい。」



 歯形のついた手の甲を撫でて、お母さんが寂しそうにそう言った。


 君はあの日事故にあって、なんとか命は助かったものの、昏睡状態になってしまった。


 体の傷は治っても、意識が戻らない。


 もう二度と目覚める事はないかもしれません。


 医者にそう言われていた最中、一ヶ月前、君の意識が戻った。


 しかし、全部がぜんぶ元通りというわけではなくて、君は頭を強く打ってしまったせいで、脳に重い障害が残ってしまった。



「菜乃花、おはよ。」

「あ、ア、アアー!!ウゥ、アァアー!!!」



 俺がそう声をかけると、いままでおとなしくしていたはずの君が急に大声を上げた。


 言葉にならない、赤ん坊が話す喃語のような叫び声が耳をつんざく。


 手足を縛られているというのに、君は力いっぱい動こうとするから、ギシギシと鉄のベッドが音を立てて軋む。



「ゔうーー!!あぎゃあああ!!あアー!」

「克巳くんが来てくれて嬉しいのかもね。」

「そうだといいんですけど。」

 


 君は頭をブンブンと振って叫び続けている。


 相変わらず目の焦点は定まっていないから、君がなにを伝えたいのかはわからない。


 けれど、なにか思うところがあって、こうして周りに訴えているのだろう。


 最初こそ驚いたが、今はもう驚きもしない。


 俺は、ベッドサイドに置いてあるタオルで君の涎を拭いてあげながら、ナースコールを押した。



「あらあら山本さん、どうしたの?ちょっと興奮しちゃったかなあ?」



 ナースコールを押してすぐ、若い看護師が病室にやってきた。


 彼女はまるで赤ん坊に話しかけるような声色で君に話しかける。



「アァッ、アー!ウウッー!!アッアッアッー!!」

「お薬入れておきますね〜。」



 彼女は慣れた手つきで点滴を変えて、素早く君の状態を確認する。



「ああ。ちょっと汚れちゃて嫌だったんだね。お着替えしようか。準備して来ますね。」



 そう言って彼女はバタバタと慌ただしく病室を出ていった。


 どうやら、君はお漏らしをしてしまって、それが不快だったようだ。



「髪、直してあげるよ。顔も拭いてあげるからな。」



 しばらくすると、薬が効いてきたのか君は憑き物が落ちたようにおとなしくなった。


 さんざん暴れたせいで、髪の毛がぐしゃぐしゃになってしまった。


 顔も涎やら鼻水で汚れてしまっている。


 女の子なのに、そんな状態じゃあまりにも可哀想だ。


 そう思って、俺は君の髪を整える。


 手櫛を通すたびに、ゴワゴワとした硬い髪が俺の指を掠める。


 君は、髪がとても綺麗だった。


 サラサラしていて、柔らかくて。そんな君の髪が、俺は好きだった。


 君はそんな自分の髪が自慢で、いつも丁寧に手入れをしていたね。


 いまは、薬の副作用で毛質が変わってしまったけれど。


 でも、髪なんて君の一部分にしか過ぎない。


 俺は君の髪だけが好きだったわけじゃないから、いいんだ。



「いいね、綺麗になった。次は顔だ。」



 髪をひとしきり整えたら、次は顔だ。


 ニキビや吹き出物がたくさんできていて、肌が荒れているから、優しく拭いてあげないとな。


 濡れティッシュで口周りを拭いて綺麗にしてやっていると、ふと君の口周りにまばらに太い髭が生えていることに気づいた。


 女の子なのに髭なんておかしな話だけれど、これも薬の副作用だから仕方ない。


 毛深くなってしまっているのも、ニキビができてしまっているのも、全部副作用のせいだ。


 でも、俺はいつでも綺麗だったころの君の肌を思い出せるから、いいんだ。



「よし、いいよ。綺麗になって嬉しいなあ。」

「…………。」



 俺の問いかけに、君は答えない。


 ただぼーっと焦点の定まらない瞳で空を見つめるばかり。


 君は、笑うことも泣くことも怒ることも喜ぶこともない。


 自分の身だしなみを整えることもできない。


 ひとりで排泄をすることも、話すことすらできなくても。


 それでも、君は生きている。生きているから、魂がある。


 だって、君はちゃんといる。



「じゃあ……、そろそろ俺、帰るね。菜乃花、大好きだよ。」





「……ふぅ。」



 帰って早々、疲れた体をベッドに投げ出す。


 なぜだかなにもする気になれなくて、俺は着替えもせずに携帯をいじっていた。



「ん、これ……。」



 何気なくニュースのアプリを開くと、とあるニュースが目に留まった。


 例の事件の裁判がはじまったらしい。


 判決には、執行猶予がついた。


 彼は控訴はしないとのことだ。


 そんなことは、俺にとってはどうでもよかった。


 俺の目に留まったのは、彼の最終陳述だった。



『桜の舞う丘に二人で行ったときのことをいまでも、思い出すんです。

 さくらは、髪にいっぱい桜の花びらをつけていて。僕がそれをはらってやると、指で髪を耳にかけながら嬉しそうにはにかんで、ありがとうって言ったんです。

 そういうさくらのことが、僕は好きだったんです。

 さくらが冥界に行ってしまってからも、僕は彼女としばらくいっしょに暮らしましたけど、それはさくらであっても、さくらじゃなかったのかもしれない。


 僕が好きだった彼女は、あのときもうどこにもいなかったんですね。』



 最後の文を読んで、俺はふと君のことを思い出した。


 俺は、君のことが好きだ。

 

 君の笑顔が好きだ。

 困ったように眉を下げてはにかむ、君の笑顔が好きだ。


 君の髪が好きだ。

 柔らかくていい匂いがして、どこを触ってもするりと手を抜けていく、君の髪が好きだ。


 君の肌が好きだ。

 白くてすべすべしていて、触れると肌に吸い付いてくる、シミひとつない綺麗な、君の肌が好きだ。


 君のしぐさが好きだ。

 無意識のうちに前髪を触るくせがあったね。困ったときに下唇を噛むところも、かわいい。君のしぐさが好きだ。


 君の声が好きだ。

 ふつうより幾分か高くて、アニメみたいな声を気にしていたね。けれど俺はそんな君の声が好きだ。


 君のこころが好きだ。

 涙もろくて、優柔不断。

 困っている人を放っておけない優しい性格だったね。君のこころが好きだ。


 君の好きなところをあげたらきりがないぐらい、俺は君のことが好きだ。


 けれど、俺の好きな君は、いまどこにいるんだろう。


 君は君なのに。


 君は生きていて、魂があって、いまもちゃんと『いる』はずなのに。


 そのはずなのに。

 君が、どこにもいない。


 君は、もう笑うことも泣くことも怒ることも喜ぶこともない。


 生きているのに、死体と一緒だ。


 君の魂は、体だけを残してどこかに行ってしまったんだ。


 それは果たして、君は生きていると言えるんだろうか。


 俺は、そんな君のことが、好きと言えるのだろうか。



「…………ッ、」



 ……この事件の彼と俺は、なんら変わりはないんだ。


 俺の中で、なにかがばらばらに壊れていく音がする。


 君はもういないと、気づいてしまったから。


 今の君は魂のないただの抜け殻で、俺はそれにきみの面影を探していたに過ぎないんだ。



「……ン、」



 真実に気づいてしまい、ただ呆然としていると、突然携帯が震えた。


 どうやら、なんらかの速報が入ったというニュースアプリの通知だ。


 通知欄を見ると、例の彼が拘置所で自殺を図り、死んでいるのが発見されたというニュースだった。


 ……ああ、彼女のところへ行けたんだな。

 

 俺は、ただぼんやりとそんなことを考えていた。





 今日も俺は、いつものように君の病室を訪ねていた。


 俺が君の病室を訪ねるのは、今日が最後になるだろう。


 いつもいるはずの君のお母さんは、今日に限っていなかった。


 きっと席を外しているんだろう。

 けれど、俺にとっては好都合だった。


 ベッドサイドにあるテレビがつきっぱなしになっていて、お昼のワイドショーが流れている。


 話題は、昨晩彼が自殺をしたことについて。


 テレビの音をバックに、俺は君に近づく。



「おはよう、菜乃花。今日も来たよ。」

「…………。」



 君に声をかけるけれど、君はぼんやりと空を見つめるばかり。


 君の胸に手を当てると、ドクンドクンと心臓が鼓動を刻んでいる。



「生きてるんだよあ、」



 生きているはずなのに、やっぱり君はもうそこにはいなかった。


 君の魂は、体だけを残してどこかへ行ってしまったんだ。


 そう思うとやっぱり辛くなって、俺は耐えられないから、俺は君のすべてを終わらせることにした。





 君だけが生きがいだった。

 

 でも、君はもういない。


 体も魂も、遠くへ行ってしまったんだ。


 俺は、君を亡ったんだ。


 それなら、俺は生きている意味もない。 

 

 きっと、彼も同じ気持ちだったんだろう。


 俺も、君と同じところへ行くことにした。

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君はペルセポネー スーパーボロンボロンアカデミィー @nxpr30

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