君はペルセポネー

スーパーボロンボロンアカデミィー

君はペルセポネー

 




 桜の舞う丘で、君が笑っている。


 ほら、早く来て。君が手招きをする。

 君の服に、髪に、肩に。白い桜の花びらがたくさんついている。


 たくさんついた花びらを手で払ってやると、君は嬉しそうに笑った。


 春は君の季節。春の君はとても美しい。まるで、女神のようだ。


 ……女神はちょっと大げさかもしれないな。

 だって、君は春が好きなだけのふつうの女の子だから。


 でも、僕にとって春の君はまちがいなく女神なんだ。


 夏の君も、秋の君も。冬の君だって。

 僕はいつの君だって、大好きだよ。


 でも、春の君だけは特別なんだ。

 春の君は、いっとう綺麗だから。


 知ってる?春になるたびに、僕はまた君に恋をするんだよ。


 ねえ、さくら。

 君は、僕のペルセポネー春の女神なんだよ。





「ん…………。」



 だんだんと、意識が覚醒していく。


 どうやら、懐かしい夢を見ていたようだ。


 まだ僕たちが高校生だったとき、君と二人で桜を見に行ったことがあった。


 そのときのことを、夢で見たんだ。


 僕の短い半生の中で、一番楽しかったとき。

 あのころは、なにもかもが楽しかった。



「ねえ、起きてよ。」



 僕のベッドで眠っている君に声をかける。


 掛け布団の隙間から覗くパジャマは、去年の十一月に僕がプレゼントしたものだ。


 女の子に人気のブランドのお店で見つけたんだ。


 お店の中は女の子ばっかりで、僕が一人で入るのは恥ずかしかったな。

 でも、桜のように薄いピンク色が、君によく似合うと思ったから。


 これをプレゼントしたとき、君はとても喜んでくれたね。

 毎日着るから。そう言って嬉しそうに笑う君の顔を、いまでも鮮明に思い出せるよ。


 それからというもの、君は本当に毎日このパジャマを着てくれている。


 気に入ってくれているみたいで、嬉しいよ。


 でも、これは冬用のパジャマだから。

 春になったら、着れなくなってしまうね。


 春用のパジャマは、三月の誕生日に買ってあげる。


 三月になったら、君の好きな春が来るよ。

 春は君の季節だ。君がいちばん綺麗な季節。


 春になったら、また一緒に桜を見にいこうね。

 去年免許を取ったから、どこへでも連れてってあげる。


 山梨や、長野なんてどうかな。

 空気の綺麗なところだから、きっと君も気にいると思うよ。



「おはよう。」



 君はひとりで起きられないから、僕が体を起こしてあげる。


 ぼさぼさになってしまった髪を整えてあげると、君のにおいがふわっと漂ってきた。


 昔から、君は僕がいないとなんにもできないんだ。


 でも大丈夫だよ。ぜんぶ僕がやってあげるから。


 君は、なにもしなくていいからね。



「今日も寒いね。」



 君はなにも言わない。


 ただ、ビー玉のような瞳で僕をじっと見つめるだけ。


 でも、いまはそれでいいんだ。


 春になったら、いろんなことを話そうね。



「また寝ちゃうの?」



 僕が君の側から離れると、君はなにも言わずにまた横になってしまった。


 最近君は寝てばかりだ。


 だって、いまは冬だから。

 君は昔から冬が苦手なんだよね。


 でも、あまりにも寝てばっかりだと、僕だってすこし寂しくなるよ。


 ベッドの上に腰掛けて、静かに横たわる君の頬を指で撫でてみる。


 最近、君はとても冷たい。


 君は、変わってしまったね。


 もう、前のように笑ったり、わがままを言ったりしてくれないのかな。



「今日は、おばさんと会ってくるからね。」



 今日は、おばさん……君のお母さんと会う約束をしている。


 本当は君も連れて行きたかったけれど、まだ冬だから、やめておくね。


 春になって、元気になったら会えばいいよ。

 きっと、おばさんも君に会えるのを楽しみにしているはずだから。



「寒いな……。」



 吐く息が白い。手先がかじかむ。


 冬の朝の空気は冷たくて、僕は凍えてしまいそうだ。


 朝ごはんと一緒に、熱いコーヒーを飲もう。


 僕は階段を降りて、一階にあるキッチンに向かった。


 冷蔵庫を開ける。ろくなものがない。


 冷凍庫に、まだ冷凍の焼きおにぎりが残っていたはず。今日は朝ご飯にそれを食べよう。


 そういえば、昨日の夜はなにを食べたっけ。


 なにも食べていない。昨日はなにも食べずにずっと君に話しかけていたんだ。

 

 君と一緒にいると、僕はご飯を食べることも忘れてしまうんだ。


 そのぐらい、僕は君のことが大好きだから。


 冷凍庫を開けて、冷凍の焼きおにぎりを取り出す。

 そろそろ氷も無くなりそうだ。

 帰りにスーパーに寄って、買ってこないと。


 そういえば、前にスーパーに行ったのはいつだっただろう。


 一週間前だっけ。もしかしたら、二週間前かもしれない。


 君と一緒にいるのが楽しくて、買い物に行くことも忘れてしまったよ。


 凍った焼きおにぎりを電子レンジに放り込んで、お湯を沸かす。


 朝ごはんの支度をしている間に、出かける準備を済ませてしまおう。


 洗面所に行って、顔を洗う。


 顔を洗って、髭を剃る。

 そういえば、髭を剃るのも久しぶりだ。


 おばさんに会うのだから、身だしなみはきちんとしていかないと。


 君のお母さんにだらしない男だって、思われたくないからね。


 丁寧に髭を剃って、眉毛を整えて、髪をセットして、着替える。


 身支度を整えるのにだいぶ時間がかかってしまったみたいだ。


 約束の時間まで、あまり時間がない。


 ごはんを食べるのは帰ってきてからにしよう。


 冷房をつけて、僕は家を出た。





 久しぶりに外に出たから、日差しがとても眩しい。


 僕は、待ち合わせの場所へと急いだ。


 待ち合わせ場所は、僕の家からさほど遠くないファミレスだ。


 お店のドアを開けると、暖かい空気が僕の体を包んだ。


 暖房がついているんだ。


 暖かい風が冷たくなった頬や鼻を溶かしていく。


 おばさんは、まだ来てないみたいだ。


 店員の女の子に待ち合わせだと伝え、僕は角のソファー席にひとりで座った。


 とりあえず、ドリンクバーを頼もう。


 ベルを鳴らして店員を呼ぶ。



「お伺いいたします〜。」



 ベルを鳴らしてすぐ、さっき僕を案内してくれた女の子がオーダーを取りに来てくれた。



「ドリンクバーふたつ。」

「単品でよろしいでしょうか?」

「はい。」

「かしこまりました。ごゆっくりどうぞ〜。」



 ニコッと笑って、スタスタと彼女は歩いていく。


 とても、感じのいい女の子だ。


 歳は僕と同じぐらいに見える。アルバイトだろうか。

 少しぽっちゃりとしている子で、血色のいい丸い顔がとても可愛らしかった。



誠也せいやくん。遅くなってごめんなさいね。」

「桃子おばさん。お久しぶりです。」


 

 そんなことを考えていると、おばさんが僕に声をかけてきた。


 あいかわらず、綺麗な人だ。君によく似ている。


 きっと、君がもっと大人になったら、こういうふうになるんだろう。


 

「誠也くん、痩せたわね……。ちゃんと食べてる?」

「ええまあ……。ところで、急にどうしたんですか?」



 おばさんの話を適当に受け流して、そう問いかけた。


 今日、僕がおばさんと会っている理由は、おばさんに呼び出されたからだ。


 一体、どうしたんだろう。



「……さくらと別れてほしいの。」



 そう言って、おばさんは君の名前の書かれた離婚届を僕に渡してきた。


 さくらと別れろだって?


 冗談じゃない。さくらは、僕がいないとなんにもできないんだ。


 どうしてそんなことを言うんだろう。


 さくらと一緒になると伝えた時は、あんなに喜んでくれたじゃないか。


 ありがとう、ありがとうと何度も言って、涙まで流していた。


 それなのに。

 それなのに、今更別れろなんて、納得できるわけないじゃないか。



「嫌です。さくらは僕の妻だ。さくらを幸せにしてあげてくれって言ったのはおばさんじゃないか。」

「……そうよね。あのときはそれが一番いいことだと思ったわ。でもね、それは私のエゴだったわ。」

「……僕が、いけないんですか?」



 僕は、浮気もしないしギャンブルもしない。

 酒やタバコだってしない。 

 

 いつでもさくらのことを一番に考えている。

 やらされているわけじゃない。

 僕がしたいから、そうしているだけ。


 僕の、なにがいけないんだろうか。


 僕の性格は、おばさんだってよくわかっているはずだ。


 だって、僕とさくらは幼馴染なんだから。

 

 僕が、どんな人間か。どれだけさくらのことを大事に思っているか。


 さくらと同じくらい、あなたは僕のことを見てきたでしょう?


 それを知っているのに、どうしてそんなことを言うんだろう。



「……違うわ。誠也くんはなにも悪くない。悪いのは私。あなたに甘えてしまった私がいけないのよ。あの子は昔から誠也くんのことが大好きだったから……。あなたには未来があるわ。けど、あの子にはないのよ。あなたの未来を、私のエゴで……娘のせいで縛り付けるのは、もう辛いの。」



 おばさんは、なにを言っているんだろう。


 さくらには未来がない?


 ああ、きっと、さくらの病気のことを言っているんだな。


 さくらは、病気だった。

 ちょっと前まで、病気だったんだ。


 でも、いまは違う。


 仮に病気だとしたって、僕はさくらのことが大好きだから、なにも問題はないけどね。



「病気は治りましたよ。今は冬だからだめですけど、春になればさくらとふたりでおばさんのところに会いに行きます。 」

「……治った?どういうこと?……それに、春になればって……?」



 おばさんは、驚いたような顔をした。


 そりゃあそうだ。


 この間まで病気だった娘が、いきなり治ったなんて聞いたら、びっくりするだろう。


 けど、本当なんだ。


 信じられないだろうけれど。


 普通の人だったら、あの病気にかかってしまったら、もう戻ってくることはないから。


 けど、さくらは普通の人とは違う。


 さくらは、女神ペルセポネーだもの。


 夏秋冬にどんなことがあっても、春になったら美しい姿で僕に春を運んできてくれる。



「さくらはペルセポネーなんです。春の女神だから。」

「誠也くん。あなたは……昔から、ギリシア神話が好きだったわね。特に、冥界下りの話が。」

「ええ。」



 ゼウスに唆されたハーデスが、若く美しい女神であるコレーをさらってしまう物語。


 コレーは、ハーデスの妻となり、冥界の女王・ペルセポネーと名前を変えた。


 それに怒ったペルセポネーの母であるデーメーテールは、嘆き悲しみ、ハーデスを唆したゼウスに抗議したんだ。

 

 ペルセポネーはゼウスの命令により、地上に戻れることになった。


 しかし彼女は冥界の食べ物ざくろを食べてしまったから、冬の間は冥界で過ごし、春になると地上に戻ってくる。



「だってペルセポネーって、さくらに似てるじゃないですか。ね?さくらは、ほんとうにペルセポネーになったんですよ。」



 冬が大嫌いで、春が大好きなさくらは、ペルセポネーそっくりだ。


 昔からずっと、そう思っていた。


 思っていたのが、ついに本当になったんだ。


 だから僕は冥界下りの話がもっと好きになったんだ。



「そうね……。変なことを言ってごめんなさい。さっき私が言ったことは、忘れてね。」



 おばさんはどうやら納得してくれたようだ。


 けれど、どうしてだろう。青い顔をしている。


 ふう、と息を吐いておばさんは立ち上がった。


 伝票を持ってレジで会計をする。


 僕が出すと言ったのに、おばさんはいいのよと言って強引にふたり分の会計を済ませてしまった。



「……ところで、さくらは元気?もしよかったら、これからあの子の顔を見に行ってもいいかしら。」

「ずっと寝てますけど、それでもいいなら。」



 断る必要もないから、二つ返事で受け入れる。

 

 そんなことなら最初から、家に会いにきてくれればよかったのに。


 まったく。親子揃って変なところでかっこつけなんだから。困ったものだよ。



「ありがとう。ちょっとその前にお手洗いに行ってくるわね……。」

「はい。」



 待合スペースの椅子に座って、トイレに行ったおばさんを待つ。


 ……ずいぶん、長いな。


 化粧直しだろうか。


 女の人はやることが多くて大変だ。



「おまたせ。行きましょう。」



携帯を手に持ったおばさんが、トイレから出てきた。


 おばさんはそそくさと鞄に携帯をしまって、僕と一緒にお店を出る。



「あ、コンビニに寄ってもいいですか?」

「……ええ。外で待っているわね。」

「すみません。」



 そうだ。氷を買って帰らないと。


 本当はスーパーに寄りたかったけど、さすがにそこまでわがままは言っていられない。


 帰り道にあるコンビニで、ロックアイスを3袋買った。



「誠也くん、お酒でも飲むの?」

「僕は飲みませんよ。さくらが使うんです。」

「……そう。」



 自分から聞いてきたくせに、僕の答えを聞いておばさんはくぐもった顔をした。


 どうしたんだろう。さっきから、様子がおかしい。


 やっぱり、具合が悪いんだろうか。


 ちょっと心配だ。



「彼で間違いないですね?」

「はい……。」



 家の玄関に着いてすぐ、ふたり組の警察官がおばさんにそう話しかけた。


 若い警察官と、中年の警察官のふたり組だ。


 おばさんは、中年の警察官の問いかけに青い顔のまま頷く。


 そうしてそのまま、若い警察官が僕に話しかけてきた。



「君、矢本誠也くん?」

「はい。そうですけど。」

「君が部屋に危ないものを隠してるって通報がね、あったんだけど、入れてくれるかな?」



 危ないものを隠している?


 心当たりがない。


 変なものを買った覚えはないし、もらった覚えもない。


 だいたい、最近は家から一歩も出ていないし、誰とも会っていない。



「ええ、いいですよ。」



 やましいことはなにもないので、僕は二つ返事を返した。

 


「じゃあ、開けますよ。」

「うっ……寒い。どうしてこんなに寒いんだ?」

「だって、冷房をつけてますから。」



 家の鍵を開けてドアを開くと、警察官が身を震わせた。


 冷房をつけているというと、警察官の顔がぐっと引き締まった。


 寒いのが苦手なんだろうか。



「君は勝手に動かないでね。俺たちに着いてきて。」

「ええはい。わかりました。」



 家に入ろうとすると、若い警察官にそう言われた。別に断る必要もないので、僕は彼の言う通りにした。



「この臭いはなに……?」

「奥さん、大丈夫ですか。」


 

 四人で廊下を歩く。


 おばさんは、あいかわらず具合が悪そうだ。


 中年の警察官がおばさんを宥めている。



「奥さんは、ここで待っていた方がいい。」

「いいんです。私も、娘がどうなっているかこの目で確かめたいんです。」



 階段を上がって、二階の寝室の扉の前で、足が止まる。


 おばさんと中年の警察官がなにかを話しているけれど、よく聞こえなかった。



「先輩、開けますよ……。」

「ああ……。」



 若い警察官が、ぐっと真面目な顔をして寝室のドアの取っ手に手をかける。


 中年の警察官も重く頷いて、若い警察官は、取っ手を下に捻った。


 扉が、ゆっくりと開いていく。



「いやあああっ!!さくら!さくら……!!」

「うっ……!奥さん、触らないで!」



 おばさんが、警察官の制止を振り切って、ベッドに横たわるさくらのところへ駆けていく。


 それをぼうっと見ている間になぜか、僕は警察官に手錠をかけられてしまった。



「君、これはどういうことかな?」

「どういうことって、なんです?」


 

 ふたりの警察官が、僕を睨め付ける。


 まるで僕がわるいことをしているとでもいうように。



「あれは、死体だよね?しかも、ずいぶん時間が経った……。」

「死体?」

「ベッドに寝ている女の子のことだよ。死んでるよね。」



 警察官が言う死体は、どうやらさくらのことらしい。


 なるほど。この人たちは、さくらが死んでいると思っているんだ。



「死んでないですよ。死んだ人は、戻ってこないでしょ。さくらは、春になったら戻ってきますから。冥界下りをしているだけです。」



 あの日、動かなくなったさくらを見て、僕はすぐに気づいたんだ。


 それは、冬の初めだった。


 ペルセポネーは冬になると冥界へ行ってしまう。


 だからわかったんだ。さくらは、ペルセポネーになったんだと。

 


「誠也くん……、さくらはペルセポネー春の女神じゃないのよ。人間なの。だから、春になっても戻ってくることはないの。さくらは、……死んだのよ!」

「なにを言ってるんです?そんなはずないじゃないですか。」

 


 さくらは死んでなんかいない。冥界下りをしているだけだ。


 人は死んだらもどってこない。


 僕の親は人間だから、もう二度と会えない。


 でも、さくらはペルセポネーになったから、春になれば戻ってくる。



「ごめんなさい。ごめんなさい……。誠也くん。私のせいよ……。私があのとき、娘の幸せだけじゃなくて、少しでも誠也くんの未来のことを考えていれば。……私のせいで、あなたの心まで壊してしまった。本当に、ごめんなさい……。」



 おばさんが泣き崩れる。


 僕に許しを乞うように、ごめんなさいごめんなさいと、何度も何度も繰り返す。


 なにを謝っているんだろう。僕はこんなにも幸せなのに。


 だって、僕が大好きなさくらは、僕が大好きな春の女神になれたんだから。



「とりあえず、現行犯ね。」



 ふたりがかりで警察官が、僕の体を抑える。

 それからのことは、もう、よく覚えていない。





 あの日、僕は逮捕されてしまった。


 罪名は死体遺棄らしいけれど、僕にはよくわからない。


 死体は、人に使う言葉だ。死んだ人だから、死体って言うんだ。


 さくらは死んでいない。


 だって、神様になったのだから。


 それをなんどもなんども説明しているのに、だれもわかってくれない。


 そのうえ、僕のことを病人扱いする。


 とうとう、僕はなんとかという病名をつけられて、病院に入れられてしまった。


 病室の窓から桜の木が見える。


 蕾が膨らんでいる。もうすぐ、咲きそうだ。


 桜が咲いたら、春になる。


 春になれば、君が戻ってくる。

 

 僕はそれをいまかいまかと待ち続けているんだ。


 はやく、僕のところに戻っておいで。


 僕の、ペルセポネー。

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