他の人と自分
家に帰る気が起きなかった。今日中に戻ればいいという気持ちが沸き、抗うこともなく休んだ。
「少年、家には帰らないのかね」
僕はこの人にならと今の気持ちを伝えた。
「ふむ、なら片づけを少し手伝ってくれないか?」
僕は一も二もなく手伝うと言った。寒い中泊めてもらって、おいしいものを食べさせてもらったのだ。
いつか何かの形で恩返しするのは自分の中で決めているが、このぐらいのことはしておきたいという気持ちもあった。
お昼には何とか全部片付いた。お昼は少し過ぎたけどブランチだという彼女は僕を誘ってくれた。
僕は言葉に甘えさせてもらうことにした。恩がつのる一方だ。
ふわふわの中身が半熟のチーズオムレツに昨日のバゲットの残りがご飯だった。
チーズはモッツァレラ系のよく伸びるものとゴーダ系の香りと味が濃厚なものをちょうどよくブレンドさあれたもの(市販)を使ってあり、味もさることながらよく伸びてもちもちとしていたため、触感からとても幸せになれるオムレツだった。
僕はそれらを食べながらお姉さんに質問した。
「なんでこんなにもご飯に凝っているのですか?」
「なんでかぁ……うまいものを食うのが趣味だからかなぁ。少年にもあるだろう、趣味」
「ありません」
お姉さんは不思議そうな顔をした。
「ゲームでも本を読むでも何でもいいんだぞ?」
「うちは僕が好きなものを持つとバツとしてなんでも没収してしまうんです。中学生の時に今まで頑張っていた部活を辞めさせられたときは泣きました。だから、趣味を持つ気概がもう湧かないんです」
「そっか……よし、じゃあいろんな趣味の人をお姉さんが紹介してあげよう。んでもって、大人になったらこれが趣味って言えるものを持つ!これが目標なんてのはどう?」
そう明るく提案してきたお姉さんを見て、少しの間僕は目を丸くした。
「大人になったらか……いいなぁ、それ」
「決まりだね。じゃあ、毎週土曜日は空いてるかい?」
「友達の家で勉強すると伝えてきます。何を勉強したかについては今までの勉強してきた貯金でごまかしますし問題はないと思います」
「そうかい」
じゃあ、土曜日にうちへおいで、おもしろい人を呼んでおくから。
その言葉にうきうきしながら家に帰った。
いつも通りに怒られ、大切にしてないものを没収され、次の土曜日になるのを待ち遠しく思った。
土曜日一日目。
今日出会ったのは政治家で隠れコスプレイヤーの人だった。
フリルのちょうどいい位置や体型をごまかす技術などについて熱く語ってくれた。お姉さんの知り合いだから話してくれただけで実は誰にも話してない秘密だったそうだ。
僕は誰にも打ち明けない趣味と自分ではない自分になる楽しみを知った。
土曜日二日目。
今日お話ししたのは、寝ることが趣味のデザイナーの双子だった。
ちょうどいい枕、布団だけでなく寝る前のルーティンや時間、場所にもこだわるそうだ。二人の好みはとても似ているらしいが、睡眠に求めるものは違った。
兄のほうは寝起きの爽快さを弟のほうは寝入りの深さを求めているらしく、微妙なところで意見が分かれるのだそう。
でも、そんな口論をしているときが一番楽しいのだと笑って語ってくれた。
僕は仲のいい人と趣味を共有する楽しさというものを知った。
土曜日三日目。
この日に出会ったのは、大工さんで趣味はDIYという人だった。
趣味で家具を作るのは仕事でやるのとはまた違うらしく、DIYでは失敗も味になり、自ら失敗しに行くこともあるのだと言っていた。
失敗を修正しているときに思いがけない発見をすることもあるらしい。
それを仕事で生かすこともあるのがまた面白く、仕事では逆にどれだけ完璧なものができたかに挑戦し、素晴らしいものができたときに誇らしい気持ちになれるのがいいと快活に笑って語ってくれた。
僕は趣味と仕事の住み分けついて学んだ。
土曜日四日目。
この日にお話ししたのは、とある企業に勤める営業マンさんで趣味はアニメと漫画とゲームということだった。
彼は趣味の幅が広いせいで同じ趣味の人よりも浅いことが悩みの種だと言った。しかし、彼が趣味について語っているときにはほかの人に負けないほどのこだわりを感じたし、何よりいろいろなことについている彼はとても楽しそうだった。
僕は趣味はいくつあってもいいのだということを学んだ。
僕はこの1か月間で趣味というものをたくさん知ったし、楽しみ方も知った。きっと周りの人はこんなにも笑顔で明るくなれる自分の世界を持っていたのだと気づいた。
しかし、自分だけがないというさみしさを感じた。早く大人になりたい。
土曜日五日目。
この日にお話ししたのは、アルバイターで趣味が温泉巡りなのだという。
彼女は必要最低限の生活費以外のほぼすべてを温泉巡りに注いでいた。僕は貯蓄がほとんどないという、そのことに忌避感を覚えた。この人はもし今後大きなけががあったりしたらどうする気なのだろう。
結局その人とは口論になってしまい、それ以上語ることもなく分かれた。
その日の午後、僕は集中することができずに親に怒られた。そして、数回殴られた後に、家を追い出された。
せっかく紹介してもらった人とけんかして別れた手前、お姉さんの近くに行くのは後ろめたさもあり、なんだか気が引けた。
そうして反対方向に歩いた。
僕は歩き続けて見つけたスーパーの影に座るやっぱり僕は趣味なんか持てないんじゃないか。つまらないやつなんじゃないか。
そんなことを考えてると上から声がした。
「少年、今日もうちに来るかい?」
買い物帰りのお姉さんがいた。なんて言ったらいいのかわからなかった。
紹介してもらった人と喧嘩してしまったことを謝るべきだろうか……。
僕がなんて答えるべきか考えていると、彼女は僕の隣に座った。
「あの人と喧嘩しちゃったことを気にしてるのかい」
「……はい」
お姉さんはそれを聞いてクツクツと笑った。
「そんなこと気にしなくてもいいのに、ちょっとご飯食べようか」
ちょうど晩御飯の時間帯だった。
結局彼女に連れられて来てしまった。
自分の決意の弱さを感じる。
そこで出されたのはかなり崩れた形をした何かだった。
「食べながら話そうじゃないか」
僕は出された何かを口にする。
もそもそしており、どうとらえてもおいしいとは思えないものだった。
「ふう、少年はあの人の生き方は間違っていると思ったんだったよね」
「……はい」
「連れてきて説教をするつもりはなかったんだが……あんまり辛気臭い顔してるものだから単刀直入に。
少し耳に痛いことを言うが、君はお父さんにだめって言われてた生き方にあこがれたんだろう?
だから、趣味に生きる生き方を探した。だけれども今はどうだい。少年はお父さんと似たようなことをしたように私には見えるがなあ」
僕はその言葉に嫌悪感を覚えた。あんなのと一緒にしてくれるなと。
しかし、それ以上に、その言葉に納得してしまった自分がいたのだ。だから何も言えなかったし、胸の痛みには耐えるしかなかった。
僕の趣味や生き方そのものまで否定してきたあの父と同じことをしていた。
あのアルバイターさんも自分の生き方があったのだろう。それでも否定してしまったのはほかでもない僕なのだ。
しばらくは何も言えないままだったが、お姉さんはそれを責めるでもなく、せかすでもなく、僕がどんな答えを返すのか静かに待っていた。
いや、1つだけ動いていた。目の前にはぼそぼそだけどホカホカとあたたかく卵の香りのするなにかを僕の目の前においてくれていたのだ。
僕は小さくお礼を言って口に運ぶ。暖かかった。
正直なところ、今までに食べたものの中で最も食べ物とは言えないものだったと思う。ただ、ただとても暖かかったのだ。
食べ物にそれを作ってくれたお姉さんに心から癒されていた。
お姉さんの行動にならいモソモソとしたものを卵に浸して食べる。
それは、染み込みやすいパンだったようで卵の香りと暖かさをより感じた。
目の前にあるものを食べ終えると僕は1つ覚悟を決めた。
「お姉さん。僕、あの人に謝りたいです。僕は今まで親に生き方を縛られていると思ってた。けれど違ったんです。見方を変えれば世界はどんな形に、色にだって姿を変える。自分自身の常識が自分を縛っていたんです。もちろん、アルバイターさんの生き方が正解というわけではありませんが、不正解でもない。一人一人に世界の見え方があるんだ」
一呼吸に僕は言った。
お姉さんはにやりと笑った。
「その考え方だって正しいとは妄信しちゃだめだけどな。常に自分の考え方は更新して、そのうえで芯を持つ。それが大切だな」
僕はその言葉に大きくうなずいた。
「ん、それならもう1回だけ紹介してやるから、今度はちゃんと理解してみるんだ」
それから数日後に僕らは再開して、僕が謝る形でお互いに仲直りした。
大人になった僕は親元から遠く離れた町で小さな会社の社長をしていた。
今ではゆっくりとした時間を楽しむ余裕もある。
今の僕は娘の成長をまとめることが趣味だ。何よりもかわいく癒しだった。
しかし、今日はいつもより遅くなってしまった。娘ももうすっかり寝入ってしまっているだろう。
それでも、僕の足どりは軽い。家では妻が、きっと凝った夜食でも作っているのだろうと期待していた。
もう、僕の世界は寒いだけの夜ではなかった。
夜更かしご飯の2人 ティリト @texilitt_thefriel
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