自分の家

 翌日にはお礼を言って家に向かった。その足取りは普段と比べて格段に遅かった。それでも、歩いていればいつかは目的地に着く。

 僕の足はもう家の前にあった。


「ただいま」


 返事はない。

 リビングに入るとテレビでゲームしながら仲間に当たり散らしている父と、僕を見るなりめんどくさそうな顔をしながらソファーでゴロゴロとしている母がいた。

 僕は父から近くもなく遠くもない距離に正座する。ゲームがひと段落した父は一度コントローラーを地面に置き、こちらに向き直る。


「頭は冷えたか。自分が悪いということを認めるか」

「はい」


 ここからは心を殺して、歩いているときにシミュレーションしたとおりに受け答えするのみだ。


「なら、今日からは自由時間と部活を没収する。空いた時間は全部勉強をやって今までの遅れを取り返せ。あと、今日休んだ分は、数日間徹夜でもしろ。いいな」

「はい」

「あと、くせ毛だし、男なんだから、髪を伸ばすのもやめろ。特徴的な服装をするのも大学上がってからでいいだろうから、お前の趣味で買ってきたアジアン系の服は着るなよ」

「はい」

「なんだ、その目と返事は。態度が悪いぞ。何か文句あるのか」

「いえ、ありません」

「ふん、下がれ」

「はい、失礼います」


 自分の部屋に戻る随分と家を出る前よりさっぱりしていた。お父さんが気に入らないものは捨ててしまったのだろう。さみしくなった棚から教科書を取り出す。

 あ、あの参考書もなくなってる。わかりやすくて好きだったんだけどな。

 そうして、しばらくいつも通りに過ごした。

 

 数日後、お父さんに呼び出された。


「なんだこの順位は、えぇ? 10位以内に行くと約束しただろう」

「……はい」


 十位以内いくよな?と聞かれて断るとまた怒るくせに、いくって言ってもこうなるんだよな。


「頑張らなかったからこんな順位になったんだろう。ちゃんと勉強しろよ」

「……はい」


 いわれた通り時間いっぱいやったし、わからないところは先生に聞いたりもした。

 前回よりも点数も順位も上がったのに数時間も怒られた。やっぱり、勉強しても意味ないなぁ。


「今晩は家に帰ってくるなっ!」

「……はい」


 そういって追い出された。


 とりあえず夜になるまでは警察が来るようなところでも問題ないだろう。

 僕は近くの住宅街を歩き、坂を上り、お気に入りの公園でベンチに座りぼーっとする。目の前は小さな崖になっており、がたんごとんと電車の通る音が聞こえる。

 そうして、僕は目を閉じて意識を手放した。


 数時間後。


「君、君!」


 僕は随分と寝ていたようだ。月が煌々と輝いて見える。


「こんな夜中にどうしたんだい。家まで送ろうか」


 斜め前には優しそうな顔のお巡りさんがいる。


「いえ、大丈夫です。公園で日向ぼっこしていたらそのまま寝てただけなので。一人で家に帰れますよ」

「そうか……気をつけて帰るんだぞ」

「はい」


 そういって家とは反対方向に歩き出す。お巡りさんが見えなくなったところで走り出す。時々無理にでも家までついてくる人がいるから気をつけなきゃなぁ。

 そう反省しながら歩き続ける。

 しばらくすると、あのお姉さんと出会った駅があった。僕は駅の中をのぞく。僕は案外長い間寝ていたのか、終電はもう過ぎ、誰もいなかった。

 外で寝るよりもいい。そう思って前と同じところに座り込む。もしかしたら、あの人と会えるかもしれないという、迷惑をかけちゃいけないと訴える理性とは裏腹の打算も少しあった。終電も終わっているというのに。


 しばらく体を丸めて顔をうずくめていると近くに足音が聞こえた。

 まずい、この距離だと逃げられないぞ。さすがにこの時間はさっきにお巡りさんみたいな言い訳は通じない。一発で家に帰されてしまう。

 焦った僕は立ち上がり、壁に寄り掛かる。よし、見つかったら近くのホテルに向かっている最中だと説明しよう。

 作戦を練って待ち構える。そうして通りがかったのは……。


「あれ、少年。今日も家出かい?」

「なんだ、おねえさんか」


 心配して損した。僕はまた床に座り込む。


「まあね、今日も家から追い出されちゃった」

「ふーん、そうだったの」


 お姉さんは特段驚いた風でもなく答える。家出だと思っていなかったのか、家を追い出されたことを信じてなかったのかわからなかった。


「お姉さんはなんでここにいるの?終電はもう過ぎてるはずだけど」

「この辺で買い物を済ませてから帰ろうかと思っていたら遅くなってしまってね。というよりも、前回あった時も終電は過ぎていただろう」

「む、そうか」


 お姉さんは少しおかしそうにしていた。


「ところで、今日もうちに来るかい」

「……ぜひ」


 そう言って彼女の隣に立つ。

 僕は彼女のアパートに向かって歩いているときに質問をしてみた。


「そういえば、なんで僕を家にあげてくれるんですか? 未成年だから連れているところを見られたらお巡りさんになんて言われるかわからないですし……一応異性ですし」

「うーん……しいて言うなら捨て犬みたいな顔してたからかな。まあ、あまり深くは聞かないでくれ。自分でもなんで君を連れているのかわからないんだ」

「そんなものですか」

「そんなもん」


 彼女はあまり表情を変えなかった。ただ、自分でもわからないといった時だけは困ったような身が笑いをしていた。

 そうして家に着くと彼女は僕にこう宣言した。


「今日はスペシャル夜食デーだ!」

「すぺしゃる?」

「特別なという意味だ」

「それぐらい知ってますよ!」


 僕は少し彼女に怒ったふりをして見せる。しかし、彼女は意に介した様子もなく。


「まあ、見たらわかる」


 と言って、アパートの中に入った。

 中はバーのような飾りつけと道具がおいてあり、とても凝っていた。


「こっちおいで」


 前回、お姉さんが着替えていた部屋に手招きされた。入ってすぐに。


「この服に着替えてね。ちょうどサイズが合いそうで持ってるのこれしかなかったけど、入らなかったらまた何か方法考えるから言ってね、無理して着ちゃダメ。あと、終わったら声かけてね、仕上げてあげる」

 

 彼女はそう言って部屋から出て行った。

 渡された服を開いてみると女もののドレスだった。なるほどドレスコードも再現しているということか。僕は女性ものを着ることにはなんの抵抗もなかったが、人に借りたものを切るというむずがゆさはあった。

 身にまとった後は「終わりました」と声をかける。


「ふむふむ、これ履いてすね毛とごつい関節を少しでもごまかして」


 黒いスパッツが手渡される。すぐに履いた。


「あと、ちょっと髪の毛まとめるからじっとしてて」


 手際よく髪をまとめられる。


「軽くお化粧のせるからすまし顔して」


 肌の色が明るくなる。


「よし、次は私が着替えるから出てって」


 僕は素早く退散する。近くにおいてあった姿見を見て、僕だとは思えない出来上がりに満足をして近くの椅子に座る。

 それにしても居酒屋セットかぁ……。ほかにもいろんな名前のがおいてあったなあ。

 きっと、それらもスペシャルな日に使う用なのだろう。


 そんなことを考えて数分、きれいになったお姉さんが出てきた。


「よし、行くよ」


 そう言って、手作りバーの中に入る。

 僕が着替えている間に作られたのだろうお酒とおつまみが並んでいる。僕はレモネードだったが。

 お姉さんは席に座って黙々と食べ始める。とても幸せそうな顔だ。

 僕はいつの間にか家を追い出されているということをすっかり忘れて楽しんでいた。


 まずは机におかれてあるものから食べてみよう。……生ハム?


「あ、それ自家製だから」


 自家製ということは彼女が作ったのか?そう思うととても貴重なものに思えてきた。

 その生ハムを口に放ると、口の中の水分が随分と持っていかれた。出されていたレモネードではなく水を飲む。

 うまい。とてつもないうま味と塩味が僕の口を襲う。焼いたり蒸したりしていたは逃げてしまう生ハム独特のうま味が最大限に感じられる。

 さらに、塩味は随分と濃いがそれはこの生ハムのいいところをどこも阻害せずに、むしろうま味を閉じ込めるいい役割を果たしていた。

 すっと僕の前にお米が差し出される。


「……この雰囲気の中では邪道だけど」


 お姉さんは迷った末にお米を取り出して分けてくれた。

 お米をお箸で持ち上げるとかなり柔らかいお米だということが分かった。お米を生ハムで包んで口に入れる。

 なるほど、これは邪道だろうと出す価値がある。多分お米はなるべく甘い品種を探して選んだのだろう。お米がねっとり甘い。これだけでも十分こだわりを感じた。

 しかし、ここに生ハムが加わるとどうだ。すごいうまい。何がすごいって生ハムに対してものすごい量のお米がなくなってしまったり、生ハムの余韻だけでもしばらくお米が進んでしまうこのあふれ出んばかりのうま味がだ。

 生ハム自体の香りだけでもとても良い香りだったのだが、水蒸気を出すホカホカご飯と合わさるとさらに強く香りを感じ、もはや匂いだけで楽しめるほどの存在感を放つ。

 生ハムのうま味を感じる香りとお米の炊き立ての香りがちょうど合うのだ。そんなことを思っていると、隣ではお姉さんが生ハムにコショウをかけていた。

 僕が取りやすいところに置いておくという配慮を感じながら。僕もかけてみる。


「これは……っ!」


 コショウの辛みは塩味とよく合っていた。ただそれだけじゃない。

 このコショウ、実をがりがりと削る粗挽きタイプだ。挽き立ての香りは生ハムの香りとお米の香りにさらなる香り高さを与えている。

 鼻を通るようなコショウの香りはここまで素晴らしいものだとは今までに感じたことがない。

 そうして二人で食べていると生ハムはすぐになくなってしまった。


「ほい、ドーン」


 彼女はすかさず二品目とワイン二本目を出していた。てか、お酒二本開けるつもりなのか!?

 と、思ったら先ほど飲んでいたお酒は半分ほど残してあり、ボトルキープするかのような保管をされていた。


 二品目はバゲットウィズいろんなもの。

 こちらが本命だったのか、お姉さんは出しただけでうきうきしていた。

 バゲットはとても堅かった。そういうものを選んだらしい。その分薄く切られているが。それらを踏まえて、しっかりと焼いてちょうどいい塩梅に焦げ目をつけていた。サクサクとした触感と香ばしい香りが存分に楽しめるものだった。

 でも、お姉さんはバゲットだけ口に入れて、「小麦の香りがしない」と不満そうな顔をしていた。さすがに焼きたてのバゲットでもない限りなかなかないだろう。

 それにしても、具材は味の濃いものが多かった。お姉さん曰くワインはすっきりとしているから味の濃いものと合うらしい。濃厚なワインもあるらしいけどね。

 それらの具材の中で僕のお気に入りはエビのオイル煮だった。塩気のきいたエビは海鮮物のいい香りをきちんと漂わせていた。

 まさかこれ「今日買って冷蔵庫に入れておいたえびだから冷凍してないよ」みたいなことはないだろうか。でも生ハムまで作るお姉さんだ、ありうる。

 そのおかげか、オリーブオイルとエビの香りがとてもよくあっていておいしかったのだが。


「ふー、おなかいっぱい」

「僕もです」


 僕もお姉さんも食べ終えるころには満腹だった。しかし、お姉さんはそれでは満足せず、アイスを出してきた。

 これは、お腹いっぱいでも入りそうなさっぱりとしたものだった。レモネード作る過程でできるはちみつに漬かったレモンを使っているから甘いながらにすっきりとした味になるらしい。時々、レモンの皮のようなものがあるがこれも柔らかくなっていてとてもアイスに合っていた。


 彼女は使ったお皿を水につけてシャワーを浴びに行った。僕はその間の着替えて顔を洗った。

 シャワーから出てきた彼女は部屋からクッションと毛布を出してバーの隅っこで眠った。

 僕も今日は少しだけお姉さんの近くで眠った。

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