夜更かしご飯の2人
ティリト
夜更かしご飯の2人
「ここはもう閉めるから出て行ってくれないか? 」
「わかりました」
そういって僕は今いるところから立ち上がりそそくさと去る。
声をかけて僕を起こした全く知らない男の人も見えなくなるところまで歩き、僕は軽く体を伸ばす。
「んー……ここもダメだったか。やっぱりこの時間は歩くしかないのかな」
そういって歩く道は少しばかり頼りない街頭の明かりに照らされていた。夜、僕は一人で歩いている。
でも、これはしょうがないことなのだ。今日もお父さんを怒らせて家を追い出されてしまったからだ。
自ら家出したわけでもなく、お金が足りなかったりするわけでもなく、やんちゃな友人がいるわけでもない。
親と不仲なだけなのだ。まあ、追い出されるのはたまにだけれども……。
最初の頃は不安でいっぱいの夜だったが、こう何回も追い出されていると慣れてしまう。今日の寝床を探して歩きだす。
公園や大きな道はよくない。警察に見つかり家に帰されれば、家で親に何をされるかわからないし、学校の成績にも影響が出てしまうかもしれない。
しかし、私有地に居座るとなるとさっきみたいに追い出される可能性がある。追い出されるだけならいい。絡まれたり、警察に連絡されたときは厄介だった。
結局、夜中に追い出されてしまえば歩き続けるしかないのかもしれない。
少し休むために近くの駅の防火扉の陰で座り込む。疲れた時には、防犯カメラも見えず、一目からも避けられるここは長居しやすい。
日によって酔っ払いが寝ていたり、駅によって吐しゃ物が巻き散らかされていたりと隠れられない時もあるが、それを差し引いても一度は確認しとくべき場所だろう。
座り込んだ後は顔を膝にうずくめる。なるべく時間が過ぎるのを待つのだ。目をつぶって軽く寝落ちてしまいたい。夜なのに眠れない時間が続く。同じ体勢になっていると余計な事まで考えてしまう。
そのうちだんだんとみじめになってしまい、天井を見上げる。
「ああ、さみしいなあ」
ポロリとこぼれた言葉はするりと胸の中にしみこんでくる。まるで、心の隙間を埋めるかのように入ってきた言霊が心から寂しいという気持ちにさせられてしまう。
こんな時はいつも決まった歌を口ずさむ。
「あなたと二人過ごす日々は唐突に終わりを迎えるかもしれない。しかし、それはきっとあなたにとって、そして私にとって新たな門出なのだ。だから寂しくなんてない。あなたがいない時間も私にとって大切なものだから。だから、どうか、一人でいさせてください。運命にあらがう力も気力もない私たちはきっと寂しくないなんて言葉でごまかすしかないのだから」
次の歌詞を歌うために息を深く吸ったところ僕は一人分の小さな拍手を耳にした。
目の前を見たら足が見える。ああ、油断しすぎたのかもしれない。むりやり家に帰されるのだろうか。家に帰ったら父に何をされるのであろうか。
しかし目の前にいた女性は何をするわけでもなく、ただ静かに問うてきた。
「家出かい? 少年」
「まあ、そんなものです」
「ふーんそんなものか」
お互いに見つめあう。
「うちに来るかい? 外で座りっぱなしっていうのもつらいだろう」
ありがたい言葉だったが、親に追い出されて自棄になっている自分からなけなしの警戒心を絞り出して断った。
「すみません、いきなりお邪魔になるというのも悪いですし……というか、今家に帰ったらたぶん怒られるので遠慮しておきます」
「私に気を使ったりなんてしなくてもいいんだよ。しかも、体調悪くしていたほうが次の日に響くだろう?そしたらそのことで怒られるんじゃないかな」
それは、暗にこんなところで座っていても何の意味もないということを伝えていた。その言葉はきっと僕を連れていくための口実だったのだろうが、私はほのかな抵抗と納得を感じた。
僕はこんなところに意味がないことは理解していた、なんでこんなことをしているのだろうと焦燥を感じてもいた。
そんな気持ちを消すためにたくさんの言い訳も考えていた。親に追い出されたのだから仕方がないと。
だから、「いきなり出てきてわかった口をきくな、僕がどれだけつらい思いに耐えて、無駄なんじゃないかという不安に耐えてここにいると思っているんだ」というのが正直な気持ちだった。
だが、心は彼女についていきたかった。寒いのも、独りぼっちも嫌だった。どれだけ信用できない人とでも、話したかったのだ。
そんなことを考えていたら、いつの間にか体は立ち上がり彼女のコートの裾をつかんでいた。
そのコートは冬が終わりかけているからとは言えそれは寒いだろうという春物で、長い間丁寧に手入れされていると感じられた。そして何よりも、そのコートには人のぬくもりが染みつくように残っていた。
彼女は、僕のことを一瞥すると歩き出した。歩いてほどなく、小さなアパートの一室についた。
「まあ、おもしろいものもないが腰を下ろして休んでくれ」
彼女はそう言って隣の部屋に行った。僕は駅にいた時と同じように部屋の隅で丸くなった。
同じ姿勢、同じ夜でもただ屋根と壁があるだけでこんなにも温かいのかと驚く。
しかし、なんとなく彼女の部屋だからあたたかいのであって、ほかの人の部屋そうでもないのではないかと思ったりもした。
しばらくすると、彼女は隣の部屋から出てきて玄関近くの二口コンロの前に立ってフライパンを並べ始める。
僕は居場所のいいところを探して座り込み顔をうずくめる。
「少年はその姿勢が好きなのかい?」
「いえ、なんとなくです」
「そうかい」
なんだか指摘された姿勢でいるのもばつが悪く感じ、胡坐をかいてみる。彼女のいるキッチンからは、じゅうじゅうといい匂いと音がして僕の胃を刺激する。
「よいしょっと、できた」
そういって彼女が持ってきた皿には加熱されて皮がふにゃってなったトマトと油がギトギトのベーコンが所狭しと並んでいる。彼女は缶に入ったビールを持ってきて隣にドカッと座った。
「食ってもいいぞ」
彼女はそう言いビールを開ける。開けたビールはそのまま飲まずコップに移して飲んでいた。
僕は目の前に出された料理に最初は戸惑っていたが、ゆうっくりとトマトを手に取り口に放り込んだ。
あったかいトマトは中の汁を溢れさせながら口全体を、その次に胃を、さらに体と心全体をあたたかくしていく。トマトスープとは違い、中の汁だけが水分のためサラリとした口触りと果肉部分のシャキシャキとした触感を感じる。そして、加工されていないからか、トマトの新鮮な青臭さがトマトの甘味といい共存をしていた。
僕はその一口でもう限界だった。
ちょっとフライパンで加熱されただけのトマトがとんでもなく美味しかったのだ。気づけば頬が濡れていた。
「そんなにおいしそうに食べてくれりゃトマトも本望だなぁ。それ、ベーコンも食いな」
ビールをごきゅごきゅとのどに流すように飲みながら、ベーコンをフォークにさしながらこっちに向けてくる。僕はそれを口に入れた。
とてつもなく甘かった。砂糖の甘さではなく、脂の甘さだった。ギトギトだったのは本来のベーコンが脂身をたくさん持っていたことと焼くときにバターをひいていたのが原因だろう。濃厚でねっとりとしたうまみと甘味はお腹がすいている今、劇毒のように僕の体を震わせた。
そして追加で口に入れたトマトのさらさらとした液体が口の中のねっとりを感じなくさせる。すると、またうまみのあるベーコンに戻りたくなる。無限ループだった。
「夜中にこういうの食うと異様にうまいよなぁ」
彼女は誰に聞かせるでもなく一人ごちる。
そうなのだ。加熱されたトマトは良いとして、こんな夜中にカロリーの高そうなベーコンだなんて絶対に体に悪い。でも、それを意識すると余計においしく感じた。
とても、それはとても美味しかった。言葉が出なかった。体の芯から温まっているようだった。
僕の好きな小説のセリフでつらいことがあった後に「なぜか心の芯の部分が痛い。これが続くと、人の心は折れるのかもしれない。」という表現がある。成程、これは心が折れそうだと思ってことが何度もあった。今の僕はそんな心の芯をあたたかいクッションで包んで支えられているような、そんな気持ちになった。
彼女はもくもくと食べては飲んでを幸せそうに繰り返していた。隣に彼女がいたからかいつもよりも食事がさみしくなかった。
お皿が小さかったこともあり、きれいになくなった皿を彼女はシンクに運んだ。僕は手伝おうとしたけれども、キッチンが狭かったこともあり結局何もできなかった。
そして彼女はシャワーを浴び終えた後、「シャワー使いたかったら使ってもいいよ」という言葉を残して近くのソファーに横になった。僕はまた部屋の隅に丸まって寝た。
もう、寒さは感じなかった。
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