第156話 世界の慟哭

 ギンヌンガガプの深淵の上昇気流で遥か上空まで舞い上がった僕たちは、薄暗くなりキラキラと街の灯りが煌めき始めたユグドラシルを眺めていた。


 それぞれの国がそれぞれの色を思わせてキラキラと明滅して見える中、ひときわ明るく輝く国がある。


 帝国だ。


 帝国はギラギラとギラつき、なんなら情緒もなく下品な印象さえ覚える。

 無駄に高くそびえるバベルは、ユグドラシルを越えようとする新しい光の大樹に見える。

 しかしまだこの世界はユグドラシルを中心に動いていると言えよう。 霊魂可視化を通してこの世界を視ると、ユグドラシルを中心に世界が大きく循環しているのが解るのだ。


「凄い……凄いね、みんな!? ボクはなんてちっぽけなんだ!! そして世界はなんて大きいんだろう!?」



 一番初めに声を上げたのはピコだった。



「うん。 あたくしも初めてこれを観た時にそう思いましたわ! そしてこう思いましたの。 世界はユグドラシルの意思のもとに動いている。 その意思に逆らう帝国は、やはり忌むべき存在なんだと」



 そうエカチェリーナさんが言うとノラさんがそれに続く。



「はい。 同感です。 私はこの景色を観て、祖国奪還への想いを強くしました。 帝国の圧政は許されない! この美しく尊い世界を穢す帝国を決して許してはいけないんだ、と。」


「ロゼはねぇ。 きっとこの世界にとってはいてはいけない子なんだよ。 そう思った」


「シエルもそう。 本当はいてはいけない。 でも今はユグドラシルに必要とされている。 私たちがこの世界をキレイなもとの世界にもどす一助となりたい。 そう思った」



 ロゼとシエルがそう言うとビビさんが二人の頭をコレでもかって位に撫でて、その豊満な胸に抱き寄せた。



「「うぷぷ…」」


「うふふ。 良いのよ、あなたたちはココに居て良いの。 皆あなたたちが大好きよ。 もう決して、いてはいけない、なんて思わないで? ほら、ノワたんがあんな顔になってる」


「ぐぬぬ……」



 どんな顔をしていたのだろう? とても居た堪れない気分なのは確かだ。 そして僕自身も同様の存在なのだ。



「あたしは決意を新たにしたかしら。 あのギラギラした下品な棒を圧し折って、あのビカビカした穢らわしい街に突き立てるわ」


「ビビさん!?」


「本気よ? けれど其の為には全然力が足りない。 あたしの力だけではとても及びもつかないかしら。 世界これを観て、それを思い知らされたわよ。 正直なところ、悔しくてはらわたが煮えくり返っているかしら」


「僕は……っ!? どうしたバンシー!?」



 見るとバンシーはボロボロと大粒の涙を零して泣いている。 声にもならない声が口元からこぼれ落ちる。



「あ……ああ……。 こんな悲しい世界……生命が、多くの生命が泣いている。 苦しんでいる。 悲鳴を上げている。

 歪に肥大した魂。 歪められ繋ぎ合わされた魂。 魂と呼ぶにはもはや原型を留めない魂が……泣いている。 死を渇望している。 無理矢理生まれ、弄り倒され、甚振られ殺されを繰り返し、歪んだ生を苦しんでいる。

 それが恨み辛み、怨念となって澱となり、遣り場のない世界の慟哭が聴こえるの……助けてクロ!! 助けて!! あ……ああ……あああああ!」


「バンシー!!」


 僕は咄嗟にバンシーを抱き寄せ、何とか慰めようとしたが言葉らしい言葉が出て来ない。


 けれど。


「バンシー?」


「う……うん」


「僕は君を泣かせたくない! 泣かせたくないんだ!

 君の涙を止めたい! どうすれば良い??

 どうすれば笑ってくれる??

 教えてくれ、バンシー!?」



 必死に絞り出した言葉はそれだけだった。 それしか絞り出せなかった。



「……う、うん。


 クロ。


 私、あなたに逢えて良かった……。 


 私はバンシー。


 これは名前ではありません。


 生命の終焉を告げる者です。


 どうすれば良いのか、私にもわからない……。


 けれど。


 何かを成そうとして、どうしても抗えない窮地に立った時には。


 私に名前をください。


 私の持てる力の全てをあなたに預けます」



 バンシーはそう言うと、涙を拭き取るように僕の胸に顔をうずめた。 僕はバンシーをやすようにその身体を優しく抱き寄せた。



「クロ、あなた良い精霊と契約出来たわね?」


「ビビさん?」


「精霊はユグドラシルの子と言っても過言では無いわ。 その力はユグドラシルに依存するもので、その存在そのものもその限りかしら。

 この子はユグドラシル、この世界の慟哭を感じ取れるほどに大きな力を持っている。 既に具現化している地点で上位精霊なのは間違いない。

 つまり、この子に名前を授けて「個」を成せばこの子の力は解放されて新たな存在となり、覚醒した力は大いなる力を秘めている事でしょう」


「この子と契約する時に、ルーさんにもそんな事を言われました」


「そなた、ルー様に会ったと申すのか!?」


「へ?」


「マリード、ルーさんて誰なの?」


「ピコ、ルー様は我々精霊の神とも言うべきお方。 そして我らが精霊国ティル・ナ・ノーグの王にあらせられます」


「なん……ですと?」


「ノワール!! まだそんなとんでもない話を隠し持っていたの!?」


「え、何なんですか。 別に話す様な事でもないでしょう?」


「逆に話してはイケないのではないかしら?」


「でも、口止めされていませんよ?」


「精霊国なんて、私やその身辺で行った事がある者なんていないかしら? あの精霊王の盟友と呼ばれる大賢者、ノアハートくらいしか考えが及ばないくらいよ?

 そもそも精霊国の存在すら伝承でしかないのによ? 何なのあんた、本当に頭三つくらい飛び抜けておかしいわよ?」


「僕はどちらかと言えば巻き込まれたと思っていたのですが、どうやら精霊王のお喚びがあったみたいです」


「精霊王直々にお喚びって何よそれ!?」


「ホントだよ? にぃにはルーによばれてティル・ニャ・ニョーギュに行ったんだよ? バンシーちゃんとはセイレーのイズミ?とかでケーヤクしたんだよ」


「精霊の泉……賢者、ノアハートの伝承は本当だったのね……」


「バンシーの言っている事の意味は解るかしら?」


「それとなく……。 帝国の行っている実験体の事ですよね?」


「そうね。 バンシーの感じでは帝国は相当手を広げて、生命を弄んでいるようね?」


「はい。 キンゴレの時に使われた精霊石はおそらくは天然のものではなく、人工的なものでした。 つまり、人工的に精霊やその他の生命も創られている可能性が高いと思っています」


「それは本当なの?」


「はい、ボクたちもこの目で見て感じました。 彼らはとても危うい実験をしている様に思えます」


「ともすれば、帝国の脅威は底が知れないわね?」


「ええ、僕の友だちのドラゴン、ウラノスもインスマスのファームで創られた可能性があります」


「ドラゴンまで!? あなたはまたなんて情報を……しかし、重要な情報だわ。 帝国は貪欲に力を欲し、創ろうとしている。

 ロゼやシエルの事も考えると、既に実用化されて生み出されている生命もあると考えるべきかしら?

 しかし、帝国はこの余りある力が自分の手に余るとは考えないのかしら? 何れ自分に矛先が向けられる可能性とか?」


「神に挑んでいる地点で、それらを凌駕していると、思い込んでいるのではありませんか?」


「ピコたんの言う通り、そうかも知れないわね。 もはや我々の国は眼中になく、必要に応じて攻め入っている感じ、相手にもされていない、そんな気がするわ?」


「私たちの国マーナガルムもヤルンヴィドの鉄の大森林が無ければ、攻め入る価値なんてありません。 きっと連合国軍も適当に往なされているだけだと思います。

 世界を平定するとなると、それだけ人手と予算が必要になるので、手を出さないだけだと思っています」


「そうね、それよりも人類未踏の天界へ侵攻する方が得るものが大きいと判断しているのでしょう。 魔界と連合国軍への牽制で手が割かれている分、天界への侵攻は遅れているみたいだけど、神が墜ちたらこの世界はもう帝国の思いのままになるでしょうね……」


─………………。


「マリード」


「何だピコ」


「ボクはヨトゥンを守る為に力が欲しい。 キミはその力になってくれるかい?」


「当然だ。 我はピコの盟友だぞ!」


「そう言ってもらえると心強いよ! ありがとうマリード!!」


「バンシー、マリード、精霊の国へ戻ったら精霊王に伝えてくれないか? この世に紛い物の精霊が生まれ落ちている可能性がある。 精霊門、精霊の道、精霊の国が彼らの侵入を許すとも思えないけれど、入り込む可能性は十分にある。 油断しないようにと!!」


「我が友ピコよ、しかと伝えよう! 感謝する!!」


「バンシーもわかった! 大精霊樹や皆にも伝えとく!」


「ありがとう!! それじゃ、もう暗いからそろそろ戻ろう! マリード、お願い!!」


「相分かった!」


「楽しかったわ、ありがとう!」


「本当に私も良かったです!」


「ロゼはもっと遊びたい♪」


「シエルも遊びたいな〜♪」


「ビビは帰りたくな〜い♪」


「僕はお腹すいたから帰るよ?」


「「「けちんぼ!」」」


「今日はラーメンだけど?」


「「「帰る!!」」」


「「「らーめん……」」」


「り、寮に来る?」


「「「行きます!!」」」



 僕たちはマリードに夜の街を抜けて寮まで運んでもらった。

 バンシーはなかなか帰ってくれなかったが、ラーメンを食べると眠くなって帰って行ったのだ。

 因みにこの日のラーメンは担々麺だった。

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