閑話:モーヴ・モブデッサはアールヴ大森林の夢を見る

この作品は加須千花先生による二次創作ではありますが、御本人様の了承を得まして、掲載させていただいております。


加須千花先生、本当にありがとうございますm(_ _)m


──────────────


「モーヴ・モブデッサはアールヴ大森林の夢を見る(上)」


 ニヴルヘル冥国首都ナーストレンドの夜。

 国中を包み込む霧。

 闇をはらむ巨大な空洞。

 街のあちこちに散りばめられた月照石がっしょうせきが淡く発光し、ぼう、と霧を青白く烟らせる。


 いかがわしい嬌声が風にのる色街を抜け、路地裏を歩き、「倶楽部パンゲア」と看板のある階段を降りる。

 半地下になった薄暗い店内には、色づいて見えるほど充満した煙草の煙と、アルコールのツンとした匂い、そして若者たちの熱狂した汗の匂いがする。


 ドッ、ドッ、ドッ……、ダンダンダン……。


 腹に響く重低音が空間を埋め尽くす。

 ハードロックを聴くなら、「倶楽部パンゲア」。

 ここでは、他では聴けない、極上のデスメタルが毎晩聴ける。

 夜な夜な、音楽を求め、とろりとした目の、奇抜な格好をした若者が集まるのだ。


 あたし、モーヴ・モブデッサも、その一人。


 あたしは、29歳、しがない地味な魔救隊の事務員だ。事務を一手に引き受けて、1日中座り仕事。もう十年続けている。

 十人並みのモブ人生。

 それがあたしだ。

 勉強もそこそこ、容姿もそこそこ、とにかく小心者で、輪を乱す行動は一切しない。空気のモーヴ。


(それでも良いじゃない。なにも、突出したところがなくたって。日々、代わり映えしない生活だって。空気って言われたってさ……。)


 そう思っていたあたしが、何を思ったか、29歳の誕生日───一人で過ごしていたんだけど───ふらふら、音楽好きの間で評判だ、というここ、「倶楽部パンゲア」に足を踏み入れてしまった。

 なんと、仕事返りの、スーツのままで!

 パッツンパッツンの革のタイツや、鋲が生えた服、奇抜なタトゥー、そういった服装の若者の間で、浮きに浮きまくって、あたしはすぐに、この店のドアをくぐった事を後悔した。

 恥ずかしさで顔を火照らせながら、


(一杯だけ、一杯だけ、お酒を飲んだら、帰ろう。それで、29歳の冒険は終わりよ、モーヴ!)


 と己を励まし、うつむいたまま、バーのカウンターによろよろと手をついた。


「───いらっしゃい。ご注文は?」


 バーテンダーの声は、若い男のものだった。





     〜続く〜




二次創作。

「モーヴ・モブデッサはアールヴ大森林の夢を見る(中)」



「…………。」


 あたしは、29歳にもなって、あまり酒の種類も知らない。こういうところでは、何、と注文するのが、スマートなのだろう?


(……ミルクが注文したい。)


 さっき、お酒を頼む、と決めたのに、さっそく、ノンアルコールを注文したくなる自分が情けない。

 あたしが、うつむいたまま、唇を閉じたり、開いたりしていると、すっ、と目の前に、カクテルグラスが置かれた。


「えっ?」

「僕のおすすめです。マルサラワインをベースに、桃ジュースと、オーガカサブランカで香り付けをしています。」


 顔をあげると、ニヒルで格好良い男の人だった。耳にピアス。目があうと、にこっ、と笑った。


「飲みやすく、爽やかな甘さは、大森林の木陰で昼寝するかのよう。───アールヴの緑陰りょくいん、という名前のカクテルです。どうぞ。」

「……ありがとう。」


 あたしは端正な顔のバーテンダーに感謝しつつ、そっと、カクテルを口に含んでみた。


「……美味しい。」


 ひんやり冷えた「アールヴの緑陰」は、甘く、爽やかで、飲みやすく、後味にオーガカサブランカの華やかな香りが残った。

 まるで、アールヴ大森林の大木にもたれかかり、木陰に安らぐよう。

 有名なカクテルなのだろうか?


「いくらでも呑めそう。あの……、あたし、お酒の名前、良く知らなくて……。」

「ええ、ご存知ないでしょう。僕がさっき、お客さんの為に作った、オリジナルカクテルです。お気に召したなら、良かった。」

「!」


 あたしは、ビックリして息を呑んだ。


(この人、格好いいー!)


 しかし、そう思っても、気の利いた言葉がとっさに口から出てくるわけもなく。ただ瞬きしながら、そのバーテンダーを見ていると、バーの奥から、


「おい、ベノム! そろそろ準備しろ!」


 と声がかかった。バーテンダーは振り返り、


「はい!」


 と返事をし、あたしを見て、また、にこっ、と笑った。


「ごゆっくり。」


 あたしは頷き、バーテンダーを見送り……。

 10分ほどして、魂を抜かれた。




      〜続く〜




 二次創作。

「モーヴ・モブデッサはアールヴ大森林の夢を見る(下)」



「虫けらどもぉ! 集会サバトへ集まったか! いいか……、良く聴け! 魂でシャウトしろ!」


 さっきまで、丁寧なイケメン、好印象なバーテンダーだったベノムさんは、バンド「サマエル」のベノムとなり、舞台上からマイクを手に、群がる観客に罵詈雑言を浴びせるシンガーとなったのだ。


「ええええーっ!」


 あたしは、その変身ぶりに驚き、間抜けな大声をだした。


(……痺れるくらい、格好良い!)


 デスボイスが店を雷のように走り、空気をつんざく。鼓膜が破けそう。




 ──ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙!


 ──誰か殺して!


 ──ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙!


 ──誰か壊して!




 それは、魂の叫び。

 迸る、全てを破壊したい衝動。




 ああ、これだ。




 あたしが求めていたのは、叫びたかったのは、これだ。

 何が、十人並のモブ人生。

 何が、空気のモーヴ。

 そんなの、クソ喰らえ!

 全部壊して、ガンガンに叩きのめして、火をつけて燃やしてしまえ!

 本当のあたしは───、もっと自由だ!


 舞台上で、ベノムが、あたしの神が、「叫べぇぇぇ!」とマイクに向かって声をぶつけた。


「ベノムゥ──────ッ!」


 気がついたら、カウンターを立ち、「サマエル」の音楽に酔いしれる大勢の観客と一緒に、腹の底から叫び、頭をガンガン、振っている自分がいた。


 気持ちいい───ッ!!

 あたし、生きてるぅーっ。


「姉ちゃん、いかしてんなぁ! ヘッドバンギングが決まってんぜ!」


 知らない、いかついお兄ちゃんが、ビッ、と親指を立てて、声をかけてくる。


「そうでしょ!」


 弾む息で、はちきれんばかりの笑顔で、あたしは答える。


 ───その日から。


 あたしは、仕事返りに、「倶楽部パンゲア」に入り浸るようになった。ちゃっかり、ロッカーで、どーんと振り切れた服装にチェンジするのよ。

 うふふ。職場の同僚も、友人も、だーれも、知らないの。あたしの秘密。


 大好きよ、「サマエル」。

 ありがとう、ベノム。


 ……実は、通いつめる日々のなかで、こっそり、マスターに、


「ベノムさんって、好きな人、いるのかな……?」


 と訊いてしまった。マスターは、


「秘密にしてくれよ。ものすごい高嶺の花の女性(本当は異母妹)を、助けるべく、あいつは頑張ってるんだ。他の女性に目がいく事はないだろう。」


 と教えてくれた。


「そっかぁ……。」


 その晩は泣いた。


 バーテンダーの時は礼儀正しくて、でも、眼差しに苦労人というか、悲哀を漂わせた人。

 ライブステージに立つと一変、マグマのような怒りを放つ人。

 あたしに、アールヴの緑陰を教えてくれた人。

 あなたは、あたしの人生を変えてくれた。あたしの代わりに、叫んでくれた。


 ……推し活で良いの。

 どこまでも、ついてくわっ! ベノムっ!




     ───完───

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