第113話 グラトニー

 エカチェリーナは悩んでいた。


 それはもう、人生で一番悩んでいるのではないかと言うほど悩んでいた。



「ちょっと先輩!? ちゃんとお話を聞いてくださってますか?」


「はいはい、聞いてるわよお?」


「結局決めるのは貴女なのよ?」


「正直うちはどっちでもええかなあ〜? カメリアの言う通りあんたが決める事やしな〜」


「モリーはねぇ……どっちかと言うのなら? ティアマかなあ?」


「自分はデナーリスが良いっすね」


「むう〜〜〜……」



 そうだ。 エカチェリーナは卵から生まれるであろうピグミードラゴンの名前で悩んでいたのだ。


 彼女の考えたピグミードラゴンの名前候補として挙がっているのが、【ティアマ】と【デナーリス】だ。

 勝手にメスだと思い込んでいるが、魔力に自分の想いを乗せて卵を育てると、その通りの子が生まれると言うジンクスを信じていたからだ。


 今日も肌見放さず 、トップ部に籠を取り付けたペンダントに卵を入れて胸元に放り込んでいる。


 ハイエルフは魔力は相当高く、ピグミードラゴンを育てるに当たって申し分ない量を有している。

 故に孵化する事を疑わずに名前を考案しているのだが……。



「それよりも、あんた、その卵はホンマに孵化するんかいな?」


「なんてことを仰いますの!? 私の魔力は全てこの子に与えておりますのよ?」


「せやけど、もう孵化する時期を過ぎてるんやないの?」


「そ、そそそ、そんな事はございませんわ? まだ孵化する可能性は十分にありますわよ? 少し遅れているだけじゃありませんの!?

 不吉な事を言わないで欲しいですわ、先輩!?」


「ああ、すまんな。 でも、もう五日も過ぎとるんやろ?」


「……………」


「ちょっとフラウ? 少し言い過ぎじゃないの? チェリーちゃんが泣きそうな顔してるじゃないの!?」


「そない言うても、こない毎日自慢されたら嫌味事の一つも言いたくなるぅゆぅもんよ〜」


「けど、少し心配っすね。 流石に遅い気もするっすわ」


「うっ……」


「ちょっとミリー?」


「いや、悪いっす。 悪気はないっす。 本当に心配してるんすわ」


「モリーも心配だわ。 モデナさんは何て言ってるのかしら?」


「モデナさんは……分からないって。 確かに遅れる事もあるから、希望を持って育てなさいって……仰っておられましたわ」


「専門家が言うなら、それを信じるしかないわね? 気を落とさずに希望を持ちなさい?」


「はい……」


「もう、名前はグラトニーに決まりやな!! きっと魔力をめちゃくちゃ喰ってるんやで!!」


「生まれて来てくれるなら……それでも構いませんわ……グラトニー……本当に大喰いですこと」



─ピキッ…


─っ!?


─ピキキっ!


 慌ててエカチェリーナが胸元から卵を取り出した!

 見ると、卵の側面部からヒビが入り始めている。



「グラトニー!?」


─ピャッ♪


「「「「「「キャ───!!」」」」」」


「めちゃくちゃ可愛い♡」


「生まれる瞬間見れるとか最高っす」


「良かった〜!!」


「まさかの名前で反応すると言うね?」


「自分も責任感じ始めとったとこやで、助かったわ〜!」


「生まれてくれさえすれば……それで良いのです。 ね、グラトニー?」


─ピャッ♪

 グラトニーは殻をムシャムシャと食べ始めた。 大きさにして指先ほどしかないその身体は、確かにドラゴンのそれだ。

 小さな羽の様なピラピラしたものは付いてはいるが、まだまだ飛べそうにはない。


 そのあまりに小さな命はメタリックゴールドに輝く鱗に覆われて、その大きなつぶらな瞳は深いエメラルドグリーンだ。


 エカチェリーナは確かにその小さな命との繋がりを感じていた。 何を考えて、何を感じているのか、自身に、心に、つぶさに伝わるのだ。

 生まれて来たにも拘らず、へその緒で繋がってでもいるようだ。


 この子は本当にお腹を空かせているわ。 とてもよく食べるのね……グラトニー。 自分で名付け出来なかったのは癪だけど、なるほど、ぴったりの名前だわ。

 先ほどから、殻を食べ終えてあたくしの指をお噛み遊ばれておられる様子……少し痛いですわ……。



「いや! かなり痛いですわ!! グラトニー!? 離してくださいませんことっ!?」


「あらあら、お腹を空かせてるのね? モリー、何か食べさせられるモノがあるかしら?」


「モリーのピグミードラゴンの餌のブラッディフライの幼虫、乾燥ブラッディワームならあるけど……生まれたてのこの子には大き過ぎると思うよ? ……あ……」


「喰い付いた!?」


「でも、やっぱり大き過ぎて口に入りさえしないわね?」


「ちっこいのに欲張りなやっちゃな〜?」


「ほら、今千切ってあげるから、離してちょうだい?」



 ブラッディワームから素直に離れて待つグラトニー。 エカチェリーナは乾燥されたブラッディワームを、普段なら気持ち悪くて触ることも出来なかっただろうが、臆することもなく千切って見せた。

 千切った先から次々についばんでいくグラトニー。 ついに一匹丸々食べてしまった。 

 お腹がぷっくりと膨らんで満足そうだ。 少し眠たそうな顔をしている。



「モリー先輩、ワームをありがとうございます。 まだまだ沢山、分からない事もあると思いますので、また宜しければ教えてくださいませんか?」


「ええ、いくらでも教えてあげるから、何時でも、何でも聞いてちょうだい?」


「ありがとうございます!」



 エカチェリーナは指先でグラトニーを擦りながら、まるで恋人の寝顔でも見ているかのように、うっとりとその様子を見ていたのであった。



─図書館棟


 いくつもの魔導書が山積みにされて、パラパラと頁をめくり、読み終えては次の本をめくるを繰り返している。


 もう何日も図書館通いを続けて、大量の本を漁っている白い毛並みに黒い耳をしたサイアミーズと言う猫人種の獣人族・ノラ。

 ズレ落ちてくるメガネを時折直しながら、必死に何かを調べている。

 獣人族は視力が良すぎるために、読書の際はメガネで調整しなければ読みにくいのだ。 それ故に必要以上に学業に身を置く獣人族は極めて稀だと言える。


 しかし、先日から集中力が切れて本に集中出来ない日が続いている。

 胸の奥に燻る火種がいつ燃え上がらんとするのか、気が気でない。

 奴隷から開放されたあの日、じっと自分を優しい目で見守ってくれていた、あの黒猫がノワールだと確信した時から、理由も分からぬ熱い感情が心の底から湧き上がってくるのだ。

 確信はあるが何も証拠はないし、仮に事実であったとしても彼は覚えてなんかいないだろう。

 それにしても熱い。


 解っている。


 コレは恋だと言うことは。


 しかし、今のノラには不相応な感情なのだ。 何故なら彼女は──。



「やあ、今日も勉強熱心だね?」



 内心ぎくりとして声の主に目をやると、小さな巨人族のピコ=クエタが立っていた。

 ピコも何かしら大きな書物を片手に、眼帯ではない方の目、右目をこちらに向けている。 何故かその目には全てを見透かされている様な気がしてならない、空恐ろしさを感じる。

 獣人族の勘や感覚はわりと信憑性がある分、慎重に相手をしなければならないと気を引き締めて言葉を絞り出す。



「ピコさんも毎日難しそうなご本をお読みになられておりますね?」


「ああ、これはもはや病気だよ。 僕は本と言う本を心の底から愛しているんだ。 ははは……おっといけない!」


「ふふ、司書の方が見てますね、怖い怖い♪」


「今日も魔導具の調べ物かい?」


「え!? ま……まあ……」


「今日はし、少しボクと話をしませんか?」


「…………………」


「嫌なら構わないよ? 勉強の邪魔をする気はないんだ」


「いや、そんな……では、少しだけ」


「良かった。 隣に座らせてもらうよ?」


「は、はい、どうぞ!」



─ゴス……

 ピコはノラの隣の席に座り、分厚い本を机に置いた。

 音から相当重いと思われる本だが、彼は片手で持っていた事を不思議に思うも口には出さない。



「さて、ノラたん。 ボクはキミも含めて今の友達が大好きだ」


「え、え!? ピコさん?」


「先日、キミの言葉を遮って横槍を入れたのは、キミを助けるためだが、ボクは他の友達の事も心配なんだ」


「ぴ、ピコさん? いったい何を……」


「キミに確認したい事が一つある」


「う…………は、はい、何でしょう?」


「キミはレジスタンスだね?」


「────っ!?」



 ノラは大きな声が出そうなのを我慢して、否定の言葉を出せなかった。 駄目だ、顔に出てしまった。



「その顔はビンゴかな? 心配しなくて良い、別に何も干渉する気はないんだ」


「どうしてそれを……」


「うん、キミは単純に強さを求めてこの学園に入学した。 そうだろう?」


「……はい」


「今の獣人族が強さを求める理由なんて一つしかないじゃないか、国を取り戻す為さ」


「……返す言葉もありません。 ほ……他の皆はこの事を?」


「いや、誰にも話してないし、話す気もないから安心してくれるかな?」


「……あ、ありがとうございます。 そ、それで……、ピコさんはそれを知って私をどうしようと……?」


「ん? どうもしないよ?」


「では、どうしてそんな事を……」


「うん、これだけは言っておきたくてね。 キミの問題はキミの問題だ。 他の皆を巻き込もうだなんて思わないで欲しい。 それだけだ」


「そんな事は当然です! 私はハナからそんなつもりはありません!!」


「うん、解ってる。 だからボクはキミの事も好きなんだ。 でも、ちゃんと確認だけはしておきたくてね?」


「あ……はい。 お気遣いありがとうございます」


「例には及ばないよ。 キミはとても良い子だ。

 皆がキミの事を知れば放ってはおけないだろう。 だからって別に隠さなくて良いし、距離を置く必要もない。 必然的にそうなるなら、ボクは止めはしないんだ。

 もしかしたら、場合によってはボクだって加担するかも知れないからね?」


「わ、私は……このままお友達でいて良いのでしょうか?」


「何を言ってるんだい? もう皆友達だろう? それともキミは、そうは思っていないのかい?」


「いえ!! 皆、大切なお友達です!!」


「なら、それで良いじゃないか? 無理しなくて良い。 キミはキミのままで、いつも通りのキミで居れば良いんだ」


「……はい!」


「本当に良い子だ。 それから、お探しの本はコレだろう?」



 ピコが持ってきた分厚い本をポンポンと叩く。

 表表紙には【超獣化】と書いてある。



「そ、それは──!?」


「うん、獣人族が強さを求めるなら超獣化ビースト。 これをおいて他にはないだろう?

 獣人族が魔法なんてナンセンスだ。 キミはこの学園で身体強化のその先を目指したかった、そうだろう?」


「ふふ……ピコさんは何でもお見通しなんですね!? でも、お礼を言わせてください。


 ありがとうございます!


 私、この学園に入学出来て、皆と出会えて、本当に良かったです!!」


「ははは、喜んでもらえてこちらも嬉しいよ。 それからお節介ついでにもう一つ忠告をしておいてあげる」


「忠告……ですか?」 



 ピコがノラの耳元でつぶやく。



「……ノワールたんを見過ぎだよ?」


「──っ!?」


「じゃあ、ボクは行くよ! 勉強頑張ってね!?」



 ノラは赤面した顔を俯いて隠すのに必死で、返事を返せなかった。

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