第105話 フライト

 エカチェリーナさんが僕の顔をまじまじと見て言う。



「ねえ? ノワたん? ドラゴンって……喋れるの?」


「え?」


「だってあなた、今お話してたでしょう?」


「ええ、独り言とは思えませんでしたよ?」


「それはまあ、なんとなく?」


「あなた、テイマーか何か?」


「いえ、そんなスキルは持っていませんが……そ、そんな事よりも! 紹介するよ!

 この子が僕の相棒のウラノス!!

 ウラノス、この人たちはお友達のノラさんとエカチェリーナさんだ! 宜しくな!?」


─クエア!!

 ウラノスがひとつ返事をすると、首を下ろして二人に顔を近付けた。

 二人をやや観察すると頷いた。



「さ、さささ、触っても良いのかしら?」


─クエア!


「良いみたいだよ?」


「本当!? 城のドラゴンたちは少しも触らせてくれなかったのに!?」



 エカチェリーナは恐る恐ると言った感じで、ウラノスの頬の辺りに手を当てた。



「か……可愛い!! ウラノスたん、宜しくお願いしますわ!!」


─ルルルル……

 喉を鳴らしている……機嫌が良さそうだ。

 エカチェリーナさんはロゼに訊いていた通り、本当にドラゴンが好きそうだ。 さっきからニヤけ顔がエグい……。 そして、めっちゃ撫で回している!?

 まあ、ウラノスも嫌そうではないので構わない……か?



「あ、あのっ!」


「ノラさん!?」


「わっ、私も触らせていただいても宜しいでしょうか?」


「あら、独り占めしてごめんなさい?」



 ウラノスはノラさんの方に向き直して頭を下ろす。

 ノラさんも恐る恐る手を差し出すと、ウラノスの頬に手を当てた。



「あぁ……尊い……」


「ノラさん?」


「はっ!? いえ、すみませんすみません!」



 一瞬恍惚とした表情を見せたノラさんは、我に返って頭を振って見せた。

 きっとこの子もドラゴンの魅力にやられたクチだな。


 ドラゴンと言う生き物は、人よりも階位が高い存在だと言える。 見ているだけでその尊厳が窺える程にオーラを感じるのだ。

 実際に霊魂可視化で視てみると、非常に濃厚なエーテルやアストラル体が視える。 人のソレとはまるで異なるのだ。


 それにしても……ウラノス、一回り大きくなったなぁ? 怪我もすっかり癒えて、肉付きも良くなった。 体表も滑らかで形はゴツゴツはしているものの、軽く艶があって美しくも見える。

 マシューさんやモデナさんがちゃんと世話をしてくれている証拠だと言える。 本当に有り難い。



「やあ、クロ君!!」


「ちょっ!? マシューさん!?」



 僕はサドルを持って現れたマシューさんに、慌てて口に人差し指を立てるが、もう遅いだろう……。 まあ、仕方ないか。



「「クロ……?」」



 二人が僕を見て言う。



「ああ、ちょっと事情がありまして、僕たちは本名を隠しているんです。 学園側は了承済みですが、学園の生徒には黙っていていただけると助かります……」


「……分かりましたわ。 私もあまり知られたくない顔がありますものね?」


「私も分かりました! 決して口外しません!」


「僕はクロ、ロゼはシロと言う名前なのです。 そして、このウラノスの事も他言無用でお願いしますね。 ロゼが話してしまったところは、もう仕方ありませんが……あまり知られたくないので」


「分かっておりますわ! こんな真っ黒な黒竜、見た事もございませんもの!!」


「わ、私も初めて見ました!」


「まあ、口止め料と言っては下品ですが、二人が良ければ一緒に乗ってみますか? まあ、ドラゴンが許してくれればですが……」


「そんな事が出来ますの?」


「少し待ってください」


『ウラノス、マデリーン、友達を乗せて一緒に飛んでも構わないだろうか? 資格が無いのは分かっているので、無理なら無理と言ってくれて構わない』


『ボクは良いよ。 この子たちなら大丈夫! 資格リンクが必要なのは手綱を持つ乗り手ライダーだけだしね』


『私は……そうね、モデナが良いなら今回だけよ?』


『どちらもありがとう!! モデナさんに確認取ってみるね!』


─クエア!


「モデナさん、飛翔フライトの際に一緒に一人乗せてもらえますか? マデリーンには許可をいただいてます」


「あんた、何なの? マデリーンと何を話したか知らないけど……まあ、良いわ。

 そんなことよりあんた、ちゃんと定期的に顔出しなさい? 今のままだと、チャネリングも切れるわよ?」


「そんな事が……分かりました! ウラノスに愛想尽かされない様に足運びます!」


「じゃ、暗くなる前に行くわよ!? マシューGお願い!」


「あんだって?」



 マシューさんは耳が遠くて補聴器をしている。 よくつけ忘れているのだが、今日は付けているよな?



「……ふ・た・り・の・り・よ・う・の・サ・ド・ル・を・お・ね・が・い!!」


「そんな大きな声出さんでも聞こえとるわい!!」


「このクソジジイ!!」


「あんじゃ!? やるんか、おう?」


「あの、無理なら私たち大丈夫ですから!!」


「そうですわ!! こうしてドラゴンを見れただけでもとても満足ですから!」


「ちょっと待っとれ!!」


「とっとと用意しろ、クソジジイ……」


「あんじゃと!?」



 などと言い合いをしながらも、テキパキと準備をしてくれているから可笑しい。

 二頭の背に二人乗りのサドルが取り付けられて、手綱は一つしかないので、タンデムベルト(二人乗り用のベルト)が用意された。


 そして、僕の後ろにノラさん、モデナさんの後ろにエカチェリーナさんが乗った。 やはり王女殿下に万が一の事があってはならないので、ベテランのモデナさんに任せるべきだろう。



「さあ、準備出来たぞい?」


「マシューさん、モデナさんもありがとうございます!!」


「あんた、ちゃんと乗れるんでしょうね? うちの牧場で事故とか困るからね? 何なら隠蔽してしまうわよ?」


「恐ろしい事言わないでくださいよ!! 僕はウラノスを絶対的に信用してるから大丈夫です!!」


「そう。 じゃ、行くわよ!?」


「はい! ロゼ? お前は後でな!?」


「は〜い♪ ウラノス、後で遊ぼうね!!」


─クエア!


 ウラノスがロゼに返事をひとつ。



「あんたたち、一気に飛翔するからしっかりと歯を食いしばって口を閉じていなさい! 舌を噛むわよ!?」


「「はい!」」


 エカチェリーナさんとノラさんは興奮気味に顔を紅潮させながらも、目をキラキラと輝かせている。



 二頭が風を読む。



─ガガッ!

 力強く地面を蹴る!


─ブァッサアアアア!!

 そして、大きく翼を広げた!

 

 身体に浮遊感と向かい来る風、そして巨大なドラゴンの躍動を全身に感じる。


 顔を上げると、眼前に広がる広大な景色が、一気に視界へ飛び込んで来るのだ!!


 圧倒的なスケールのパノラマ風景が、ドラゴンの背中越しに見える。


 それは誰もが憧れる幻想世界ファンタジーワールド


 大地を大きく引き裂くギンヌンガガプも、天を貫くアスガルドの山々も、その下に大きく口を開くニヴルヘルも、大気を揺らすムースペッルの地鏡も、遠くに見えるヨトゥンとミッドガルドを分かつ壁も、全てが一つなのだ。


 全てが一つとなって、大樹ユグドラシルを成している。


 世界は広い。


 当たり前の事なのに今更ながら、それが腑に落ちる。


 自分たちが如何にちっぽけで、微細な存在なのか思い知らされる。


 そうだ、ドラゴンはそれを識っている。 識っているからこそ、自らを奢らない。 識っているからこそ、大きいのだ。 存在そのものが。




 エカチェリーナは思う。


 自分はなんて小さな事で悩んでいたのかと。

 いや、悩んで良いのだ、自分は小さいのだから。

 これからゆっくりと大きくなれば良いのだと。


 そして自分を締め付けていた何かは、雫となって目から零れ落ちた。




 ノラは感じていた。


 図書館で感じたあの黒猫の気配は、やはりこの人に違いない。

 そうだ、この人こそが、あの忌まわしい過去の呪縛から解き放ってくれた、張本人なのだと。 

 そして、今もなおこうして自分を押し上げてくれている。


─ドッドッドッドッ……

 鼓動が早くなる。


 胸が熱く火照ってくるが、それは恋ではない。 全てを投げ出せる程のもっと熱い何かだ。


 とても口には出来ないが、他の皆が見ている壮大な世界よりも、眼の前の背中ばかりが、彼女の目には焼き付いていた。


 気付かれてはいけない。


 これは自分だけが知っていれば十分なのだ。


 そう、気付かれてはいけない。


 もしも気付かれて、この得体の知れない何かを失う様な事があれば、自分の存在理由レーゾンデートルそのものが失くなってしまうからだ。


 気付かれてはいけない。


 ノラは高鳴る心臓の音が、熱く火照る体温が、彼の背中に伝わらない様に、そっと身体を離して距離をとった。





 そっと離してみたが……





 堪らずその大きな背中に抱きついた! 


 今しかない!


  この背中を感じる事が出来るのは、今しかないのだから、と。


 気付かれてしまうかも知れない!


 気付かれてしまうかも知れないが、衝動が止められない!


 今なら許されるのだ!


 今ならどんなにしっかりと抱きついても、許されるのだ!!




 ……そんな少女の心の暴走をその背に感じながら、ウラノスは何も語らず翼を羽ばたかせた。

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