第73話 人ひとりの価値

「それで、チャンスと言うのは?」


「ふふん♪ 今度、アタシの城でパーティーを開こうかと思っているのよ。 まあ、身内だけのパーティーで外部の客は基本呼ばないのだけれど。

 言ってみれば、このリリーズ・キャッスルのスタッフを労う為の慰労会の様なモノかしら?」


「パーティー……ですか?」


「そう。 周囲にアタシがどう思われているかなんて知らないけれど、アタシはこの城で働く者たちは全員家族の様に思っているわ?」


「それはつまり……」


「ええ、もちろんヘレンも例外ではないわよ? なので彼女の幸せは一番に考えているわ? 

 人の生命はお金ではないと思ってはいるけれど、ヘレンを帝国から取り戻すのにいくらかかったと思っておいでかしら?」


「……三億くらいでしょうか?」


「ふん、十億よ?」


「──じ、十億っ!?」


「アナタたちこそ、人の生命を安く見積もってないかしら?」


「そ、それは……はい、すみません、その通りですね……」


「まだ素直に認める辺り、アナタも捨てたモノではないわね? けれど、人ひとりの価値は一概に推し量れるものではないのは解ったかしら?」


「はい。 ヘレンさんを助けに来たつもりですが、僕には全然覚悟も認識も足りていなかったと反省しております」


「……別にアナタを責めるつもりはないけれど、アタシたち娼館で働く者の価値とて同じ。 ここで働く者誰も、後ろ指さされて恥ずかしがる者なんていないわ?

 ベノムはね、それが分かっていたの。

 彼はヘレンの価値をいくらだなんて値踏みもせずに、 自分の人生を全て丸ごとアタシに捧げるとまで言った男よ?」


「──っ!?」


「アタシは彼が気に入ってそっくりそのまま彼女を渡すつもりでいたけど、それは彼の覚悟やプライドを傷付けてしまうものだった。

 そこで彼と話をして、提示した金額が五億。 これは二人が人生をやり直して十分やって行ける額で、彼くらいの年齢で我武者羅に働けば稼げない額ではないし、勿論返却期限は無期限よ」


「マダム……」


「マリア、アナタは彼女を娼婦として働かせる事に反対したけれど、それはアナタ自身が娼婦の仕事を馬鹿にしている事に他ならないわ!?

 だってそうでしょ? ここの皆は誇りを持って仕事をしているのよ? やる気が無い人はコチラから願い下げだもの。 アナタみたいにね? いい加減な気持ちでやるなら、やらなければ良い。 他にいくらだって仕事はあるのですもの?」


「それは……」


「かと言って、別にアナタたちを責めるつもりもない。 きっと普通はソチラの価値観なのでしょうとも。

 そして、春を売る仕事は楽ではないし、とても良い仕事だとも言い難い仕事だわ」


「………………」


「それでもアタシはこの仕事に誇りと信念を持っているし、他の皆も同じ!

 アナタ方が助けようとしているヘレンだって、本当に嫌だと言うのなら辞めさせていたわよ?」


「………………」


「彼女は言ったわ。 この仕事が好きな訳では無い。 しかし、自分が身を立てる上で現在必要不可欠な仕事であり、仕事を受ける身として誇りを以て当たっているのだと。 

 自分が一人前になって、一人で歩けるようになった時、初めて辞めようと思っている。

 それまでは、未来の自分への足掛かりとして働かせて欲しいって、アタシに懇願したのよ」


「そんな……」


「ベノムはそんな彼女を受け入れて、自身でも彼女を支えながら、彼女の他の道も模索している。

 彼女の声が潰れてなければ、その道も遠からずあったのでしょうけども、あの豚のせいでその道も潰えたのだわ……」


「でも、叔母様マダム!  彼女程の美貌があれば他にいくらだって身請け先や仕事があるんじゃないかしら!?」


「そうね。 でも彼女が、それを認めないのだもの。 自分に言い寄って来る殿方全てが、あの豚と同じとは言い切れないかも知れない。

 けれど、その餌は同じなのだと。 

 彼女はそんなモノには左右されない、大きな心の持ち主、それこそ娼婦だろうと奴隷だろうと、丸っと受け止めてくれる、そんな度量の殿方ならば喜んでその胸に飛び込むかも知れない。

 しかし、その美貌が為に受けた傷、不信感、それを見る者の目はトラウマでしかないわ。 

 仕事も同じね。

 この仕事もそう言った仕事の一つであることに間違いないのだけれど、この仕事をしている限りはそれに自惚れる事はない。 豚は豚なのだと、それを見る目を養えると言っていたわね?」


「そんな……」


「アタシもアナタたちの気持ちが分からない訳では無いわよ? アタシを人がどう思っているかは知らないけれども、鬼ではないわ。

 ベノムが彼女をめとると言うのであれば、熨斗のしを付けて返してあげるわよ?

 彼女が他の仕事を見つけたのであれば、喜んで送り出してあげるつもり、それこそパーティーでもなんでも開いてね?」


「………………」


「まあ、理解して貰おうとは思っていないかしら。

 あの娘に会いたいなら会って行くと良いわ? 別に駄目だなんてひと言も言ってないのだから……」


「マダム!」


「なあに、クロさん?」


「数々の失礼、申し訳ございませんでした!!」



 僕は地に手をついて、頭を地面に叩きつけるように彼女の前に平伏した。



「ちょっ!! 辞めて!! そんな事辞めて!?」



 シロが僕に並んで平伏した。



「もーしわけ、ございませんでした!!」


「ちょちょちょ!! 辞めて───っ!?」



 続いてマリアが平伏した。



叔母様マダム!! アタイも、申し訳ございませんでした!!」


「もう良い!! もう良いから!! お願い!!」



 続いて、ラケシスはペコリとお辞儀した。



「う……うん、そんな感じで良いかしら」


「マダム、ヘンリエッタ! パーティーは僕がプロデュースしましょう! 音楽と料理、この二点については僕に一任してください。 きっと満足させてみせましょう!!」


「あら? 殊勝な心がけね?」


「つきましては!」


「……つきましては、何かしら?」


「ヘレンさんに会わせていただきます!」


「はあ……。 さっきも言ったけど、駄目だなんてひと言も言ってないのだから、勝手に会ってお行きなさいな」


「ありがとうございます!」



 マダムはデバイスで誰かに指示を出した。



「アタシよ。 ヘレンを呼んでちょうだい。 ……え? そんなのキャンセルなさい、体調不良よ。 ……ええ、よろしく」



 マダムはデバイスを切ると少し放心状態になった。 きっと気疲れしているのだろう。 ランジェリーから放り出された肢体が艶めかしい。 いい加減、目の遣り場に困るのだが……。



「マダム、ヘレンさんに会った後、この城の厨房を見せていただけますか? あと、この城にピアノはございますでしょうか?」


「へ? ああ、厨房には声かけとくから勝手に見て行ってちょうだいな。 ピアノはあるけど、放送設備はそんなに整ってはいないわよ?」


「分かりました! マダム、僕がこの───っ!?」


「お呼びでしょうか、マダム・ヘンリエッタ。 大切なお客様をキャンセルされたそうですが、よろしかったのでしょうか?」


「良いのよヘレン。 紹介するわ。 こちら、クロさん。 そして、シロさんとラケシスさんよ。 マリアは知ってるわよね?」


「はい、マダム。 私、ヘレンと申します。 クロ様、シロ様、ラケシス様宜しくお願いします。 そしてマリア様、お久しぶりにございます」



 背にしていた入口から、声の主と思しき女性が入って来た。


 長いプラチナブロンドの髪は照明の光を浴びて、オーロラのように煌めいて、華奢な肩口から大きく開かれた背中を過ぎて、細く引き締まった腰の辺りまで流れ着く。

 そのオーロラから覗き見える整った顔立ちは、端正を通り越して恐ろしく美麗である。

 瞬く度にそよ風を起こすほどに長い睫毛、ラウンドカットをあしらったように幾重にも輝きをみせるエメラルドグリーンの瞳、スラリと真っ直ぐに顔を二等分する鼻筋と、ごく自然なスマイルラインから白より白い歯が見え隠れする。

 ドレスは身体のラインを浮き彫りにするように張り付き、首から胸を辛うじて隠し、へそを避けるように腰に辿り着き、大胆に切り込まれたハイスリットを細い紐で繋ぎ、脚の曲線を美しく魅せながら纏わりつく様に足元へと流れて行く。


 傾国の美女などと言う言葉があるが、彼女なら国の二つや三つは傾かせる事も他愛もないだろう。


 しかし、そのアルカイックスマイルから発せられる声色は見た目のそれとは違った。


 余りにもお粗末な嗄れた声。



「どうも、紹介に預かりましたクロです。 ベノムさんとはお友達で、貴女のお噂は聞いておりました。

 本日はしばしお時間をいただきたく思うのですが、宜しかったでしょうか?」


「まあ、兄さんの? それは私の身体を──」


「──貴女に! 仕事の依頼に参った事には違いありませんが、それは、こちらの仕事のそれとは違います」


「では、どの様な……?」


「貴女には、僕のピアノに合わせて、歌っていただきたいと思っております!」


「「「「えっ!?」」」」



 この世界にも音楽は溢れかえっている。 しかし、僕はまだ聴いたことがないのだ。


──ハスキーボイスの歌を!

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