第68話 デスボイス
ステージの照明が霞んで見えるほどに立ち込める紫煙。
鼓膜を殴りつける音の暴力で耳が殺られそうだ。
そして蠢く人、人、人。こいつらいったい何しにここへ来てんだ?
まあ聞くまでもなく、クラブなのだから音楽、それも極上のデスメタルだろう。
そう、僕は【倶楽部パンゲア】へ来ていた。 ベノムはバーテンをしていると聞いたのだが、それらしき人物が見当たらない。 とりあえず僕はカウンターでお酒を作っている男に話しかけた。 少し大きく声を張り上げる。
「すみません! この店にベノムって従業員居ませんか!?」
「お兄さん、注文は?」
……何か聴きたい事があるなら、先ず酒を買えと。 そう言う事らしい。 そうだな……酒は苦手だし、酔ってベノムと話したくないな……。
「ミルク」
「………………家に帰って母ちゃんのおっぱいでも飲んでなよ、坊や?」
「………………」
「おい、帰れっつってんだろ!?」
少しイライラしていたのもあった。 しかし無意識に
「売る気がねえならメニューに乗せるなオッサン!?」
「あん? 良い度胸だな? おいっ!?」
ツーブロックのロン毛を後ろで束ねた、タトゥーが肩口から腕の先までビッシリと彫られていて、ピアスやチェーンを身体に付けまくったとてもパンキッシュなオッサンだ。
普通の奴ならビビるのかも知れない。 しかし、僕はそれなりに死線を越えて来たのだ。 全然怖くなかった。 なんならマキナさんを怒らせる方が怖いだろう。
そんな事を考えながら僕はオッサンの胸ぐらを掴んだ。
「オッサン──っ!?」
オッサンを怒鳴りつけようとしたその時、それは突然耳に飛び込んで来た。
──ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙!!
デスボイスだ。
しかも、ベノムさんの!!
僕はオッサンの胸ぐらを掴んだまま声のするステージへと目をやった。
「いい加減に放せよオラっ!! クソッ! なんて力だコイツ!!」
オッサンが何か言ってるが関係ない。
僕はベノムの歌声に耳を傾けた。
──ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙
麗しの女
囚われの女
醜悪な豚に
苛まれ
甚振られ
弄ばれるだけの
木偶人形
──ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙
泣こうが
叫ぼうが
誰にも
決して
届かない
此処は豚小屋
臭い豚小屋
──ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙
風を愛で
耳を撫で
心に芽吹く
セイレーン
朱殷に艶めき
汚物に塗れた
喉笛が転がる
──ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙
誰か殺して
──ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙
誰か壊して
──ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙
誰か
──ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙
誰か……
ライブスタジオは凄まじいまでの熱狂振りだ。 歌い終わった後も叫び声にも似た歓声がベノムのアンコールを誘う。
まさかベノムが歌手だなんて思わなかった僕は、呆気にとられて暫く放心状態だった。
「このっこのっ!! 放せよ!! 仕事が出来ねえじゃねえか!!」
「──!? ああ、すまんな」
僕が手を放すと彼のシャツの襟袖はビロンと伸びていた。
「うっわっ!! すっげー伸びやがった!! この服ビンテージなんだぞ!? どうしてくれんだ!?」
「ぁ゙?」
僕は少し意地悪に、声色に凄味を乗せて言ってみた。
「ひっ!?」
「教えろ、ベノムさんの楽屋はどこだ?」
「教える訳ないだろう? おめえはベノムの何だ? ストーカーか何かか?」
僕はもう一度バーテンの胸ぐらを掴み上げた。 顔を少し近付けて言う。
「ただの友達だ。 大事な話があって来たんだ、文句あるか?」
「クロ……さん?」
バーテンの影からステージから降りたばかりのベノムさんが顔を出した。 僕の顔を見て少し驚いている。
「ああ、ベノムさん、ステージお疲れ様でした。 少し二人でお話がありまして、時間が取れないかと思うのですが……」
「……それ、今日じゃないと駄目なヤツっスか?」
「そうですね。 出来たらそうして欲しいのですが……」
「そうスか。 ところで何をしてるんスか?」
「ああ、これですか? バーテンさんのビンテージの服を見せてもらっていたんですよ、ねえ?」
「え? ええ、まあ。 ベノム、この後もまだステージあるんだろ? 少し楽屋で休んでろ。 ここは俺一人で十分だ」
「え、良いんスか?」
「ああ、大事な話らしいし、ここでは何だろ?」
「まあ、そう仰っていただけるなら、あざっス!」
ベノムさんは少し会釈すると楽屋へと歩き出した。 僕もバーテンの伸び切った服を放して、机にチップを置いて後に続いた。
「へ………一万プス? なんなんだ? あいつ……」
霞がかった店内の壁をバンドのポスターが乱雑に重なり合って貼られている。 狭い廊下の先へと進むと、二畳ほどの小さな楽屋があった。 鏡台と小さなテーブルが置いてあるだけの簡素な部屋だ。
僕は案内されるままに隅に座り、ベノムさんは二人分の飲み物を用意してくれている。
さっきの歌を聴く限り、ベノムさんの妹さんの心を模した、心の叫びだと僕は感じ取った。
ベノムさんは実直な人なので、お金なんて受け取らないだろう。 だとしたら、僕はどうすれば?
「何だか急におしかけてすみませんでした。 ご迷惑でしたよね?」
「……ベラドンナで俺のこと聴いたんでしょ?」
「……黙っていてくれと言われたので、それは言えません」
「ふふ、変な人ッスね。 それ、聴いたって言ってるようなもんじゃないスか。 はははははははは!」
「ベノムさん?」
「金なら」
「え?」
「金なら要りませんよ?」
「……はい。 そう仰ると思っていましたよ。 今日、僕がここに来たのはですね、クロとしてではありません」
「それはどう言う……」
「ここには【
「…………………」
ベノムさんは黙ったまま固まっている。
「僕は今度、このニヴルヘル冥国のムジカレーベルの担当者の方と打ち合わせする事になっています」
「…………………」
「きっと色んな企画やイベントが提案されると思っておりますが、全て断るつもりです」
「………………ちょ」
ベノムさんがようやく口を開いた。 僕は反応を待つ。
「ちょ、ちょちょちょちょ!」
「どうしましたか? ベノムさん」
「……クロさんが冥王? だと、言ってんスか?」
「はい。 そう言いましたが?」
「まぢスか?」
「まぢマンジ」
「……あの【冥界の慟哭】はクロさんが作曲して、あのギターもベースも弾いてたんですか!?」
「いったい他に誰が弾いているとでも?」
「いえ、最近頭角を現して来た新進気鋭のモカ・マタリの奏法に少し似ている様な気がして……」
「マタリさんは僕の弟分ですね。 弟子は取らないと言ったのですが、聞かなくて……仕方なく? 師匠と呼ぶ事を認めました」
「なっ!? モカ・マタリの師匠……スか!?」
お、少し刺さったか? さすがモカ・マタリだな。 知名度もあるけど、頑張って勉強もしてるんだろうなぁ? なんせ僕の動画持ってるのあいつらくらいだし……?
「か、仮にクロさんが冥王だとしてですよ? その冥王様がこんな俺なんかにいったい何の用があるんスか?」
「ベノムさんの歌声が気に入ったんですよ。 僕と曲を作りませんか?」
「へ?」
「曲をですよ、曲!」
「曲……ですか? 俺、ボーカルですよ? 楽器なんてギターくらいしか出来ないし作曲なんかしたことないし……」
「いや、ベノムさんは詩を付けて歌ってくれれば良いんですよ。
「………………」
「嫌ですか?」
「少し……少し考えても良いですか?」
「ああ、待ってますよ。 それより、この後もまだ歌うんですか?」
「え? ええ、まあ……」
「その曲のベース
「え? だって、俺の曲なんて聴いた事もないでしょ?」
「じゃあ、聴きましょうか。 ネットにライブ音源挙がってますよね?」
「ええまあ……て、そんなんで良いんスか?」
「ああ、感じが掴めたらそれで大丈夫です」
僕はデバイスを起動させてマギ・チューブのアプリを立ち上げた。 #倶楽部パンゲア #デスメタル #ベノム で検索したら……まあまあの数がヒットした。 しかもなかなかの再生回数だ。一千ダウンロードはあるだろうか
お!? なかなか良い曲だ。 これならイケそうだな!?
曲を聴きながら机の門を爪で叩いてリズムを取った。
カッカッカッカッ……
うん、行けそうだな!
アレンジのインスピレーションも出来た!
「ベノム!」
「は、はい!?」
「今宵、倶楽部パンゲアは冥界入りしますよ!!」
「クロさんっ!?」
僕は頭にイメージする倶楽部パンゲアに、ニヤリと子どもの様に
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます