第67話 兄と妹

 そう、カレーのレシピの権利書だ。



「これは僕のレシピの権利書で、これをスミスさんに譲渡するのだけれど、この売上の一部が僕に入る事になっています。 正直、僕には必要ないものなので、ベノムさんに連名で署名して欲しいのですよ」 


「カレー……何ですかそれ?」


「料理のレシピなので、お小遣い程度に思っていただけたら嬉しいですが……」


「はあ、……まあ、それくらいなら……有り難くいただきます」



 ベノムは僕の隣に署名して、その下に僕は権利を放棄する事を書き足す。



「ベノムさん、ありがとうございます」


「いえ、礼なんて……こちらの方こそこんな気を遣わせてしまって……」


「じゃあ、スミスさんコレをお願いします」


「良いんですかい? 旦那?」


「はい。 しかしスミスさんは情報屋なんですよね? コレって……」


「まさに情報の売買やおまへんか?」


「え? まあ、そんなもんですか?」


「そんなもんですわ。 それでは、俺は用事が出来ましたんで! ほな!! 旦那、また連絡しますよって!」


「はい、わざわざありがとうございました!」



 チンチロリン♪


 スミスさんは軽く会釈すると店を出て行った。 相変わらず忙しそうだ。 いまいち掴めない人だけど、とても親切にしてくれる良い人だ。


 ベノムさんはいまいち飲み込めていない様子だがそれで良い。 何かしら彼の役に立ってくれるなら、それで。



「そう言えばベノちゃん、妹さんは元気してる?」


「え? ああ……まあ、はい」


「最近ベノちゃん顔見せないからさぁあ? また妹さんの具合でも悪くなったのかと思って……。 元気なら、良かったわ♪」


「ありがとうございます。 では、俺、これから仕事に行かなきゃいけないんで……クロさん、ありがとうございました」


「ああ……仕事、頑張って下さいね」


「はい。 では、皆さん失礼します」



 チンチロリン♪


 ベノムさんは特に振り返る事もなく、足早に出て行った。

 これからライブスタジオ倶楽部パンゲアの仕事があるのだとか。 退院したばかりなのに、仕事? とは思ったが、やはり金が入り用なのだろう。



「ベノムさんて妹さんがいらっしゃるの?」


「あら、ラケシスさんはベノちゃんに関心があるのかな?」


「ええ、だって男前じゃない?彼」


「そうねぇ♪ 彼、まあまあモテるのに全然女っ気ないのよねぇ? ゲイなのかなって思ってたんだけど、どうやら違うみたいなの」


「ではどうして? 何か女性にトラウマでもあるのかしら?」


「そんなんじゃないねぇ。 彼、今はそんな余裕無いのよ。 妹さんの身請けの為にお金を貯めてるのよ……」


「「身請け!?」」


「みうけ? なあにそれ?」


「え? アンタたち知らなかったの? ……じゃあ、話したらまずかったかしら?」


「あのっ、マリアさん! 僕、彼の力になりたいんです。 この話、詳しく教えていただけませんか? 情報料ならいくらでも払いますから!」


「彼の力……にねぇ? あまり深入りしない方が良いかもよ? その忠告を聴いた上で聴きたいと言うなら教えてあげる♪」


「………………」


「教えていただけるかしら?」


「あらあら、ラケシスさんでしたっけ? えらくベノちゃんにご執心なのね?」


「貴女に何か関係あるのかしら?」


「いいえ、別に。 クロさんやシロさんも聞かれますのね?」


「「お願いします」」


「……わかったわ。 ダフネちゃん、入口に鍵かけといて!」


「は~い、ママ♪」


「はぁ……。ベノちゃんには私から聴いた事は黙っておく事。 これは絶対条件よ? あの子には嫌われたくないからね……」


「「「はい」」」



 カロロン……


 マリアさんは自分のグラスにお酒を注いで少し口にした。

 たぶん、本当は話したくないのだろうな……なんか申し訳無い。



 「ベノちゃんの本当の名前はゲオルギウス=F=ワーグナー。 伯爵家のお貴族様よ」


「伯爵……入れ墨とかピアスとかしてましたけど……」


「聴く気あります?」


「はい、すみません……」


「彼には腹違いの妹へーレナー=F=ワーグナーがいるんだけど、それはそれは見目麗しい女性で、その歌声はセイレーン譲りなのだとかで、引く手数多の求婚があったそうなの。


 その噂を聞き付けた帝国の大臣、公爵家のクラフトが自分の妾に寄越せと言い出したのよね。 さもなくば、冥国への侵攻を進めるぞと脅されて、挙げ句の果てには伯爵家が管理していたグライアイの瞳まで奪われ、ゴルゴンまで奪略される始末。


 一方、冥国国王プルートー=ハーデス14世は裏でクラフトと取り引きしていて、グライアイ及びゴルゴンの一連の責任をワーグナー伯爵家へと押し付けて娘ヘーレナーを取り立てる約束をしていたらしいわ。

 まあ、それも帝国に脅されて已む無く約束したらしいけど、自国の家臣をおとしめる行為は許されたものではないわね。


 ワーグナー家は爵位剥奪の為、一家離散となってへーレナーは無理矢理クラフトの妾に取り立てられたの。 病気で寝込んでいた母親はそのまま昏睡状態になって他界。 父親はその後を追うように……残された一人息子のゲオルギウス、つまりベノちゃんはその時失踪したのよ。

 この地点でゲオルギウスとしてのベノちゃんは行方知れずと言う事になっているわ」


「なんて……闇が深い……」


「でも、さっきの話しぶりだと、今は妹さんと一緒に暮らせているのかしら?」


「いいえ、……話には続きがあって、へーレナーはクラフトに身売りされたのよ。 ナーストレンドこの国の色街にね……」


「そんな…………」


「でね、それを知ったベノちゃんは妹のへーレナー、つまりヘレンちゃんの身請けの為にお金を貯めてるのだけれど、身元保証人がいないと身請け出来ないので、自身も元家臣のガンツさんの養子となって奉公しているのよ。

 ガンツさんはワーグナー家の家臣で、ベノちゃんを小さな頃から面倒見ていたので快く引き受けてくれたみたい」


「それで、昼も夜も働いて……自分の幸せの事なんか考えもせず……なんて……なんて!! クソッ!! 帝国が憎い!!」


「帝国も冥国も……許せませんわ!!」


「まあ、先日私たちがクラフトに接触したのだけど、アイツは堕ちたわ。 今頃、何食わぬ顔で過ごしていると思うけど、今は我々の良い手駒よ? 必要ならば何時でもヤれるけど、そんなに簡単に逝かれちゃあ……ねぇ?」


 「利用出来るだけ利用してやるのよ♪ ね、ママン? ふふふ♪」


「何だか悪い顔してるわねぇ……」


「まあ、我々の得意分野ですから。 帝国の必要な情報があれば何時でも言ってちょうだい? まあ、いただくモノはいただきますけどね♪」


「それで、そのヘレンさんはどこの娼館?に居るんですか?」


「あらあら、本当に首を突っ込むのかしら?」


「それは……何か問題があるのですか?」


「そうね。 ヘレンちゃんを高額で買いとった高級娼館の女主人、マダム・ヘンリエッタはヘレンを骨までしゃぶり尽くす気でいるみたい。 クラフトの趣味でヘレンの喉は潰されて声は枯れたけど、その美貌は未だに世の男共を魅了するには十分過ぎるほどなのよ。

 ベノムに提示した身請けの額というのが……五億プス。

 単純に個人の捻出出来得る金額ではないし、とても現実的ではないわね」


「五億……なんだそれ……」


「ひどい……返す気なんてさらさらないんじゃない!」


「ベノちゃん……可哀想で何とかしてあげたいけど、何とも出来ないのよねぇ……仮に手を貸した事がバレるだけでも、色街この街で商売出来なくなるし……」


「マダム・ヘンリエッタ……帝国だけじゃねぇのか……冥国に潜む闇も深いじゃねぇか!」


「女の風上に置いて置くべき人物じゃないわね」


「まあ、一概にそうとも言えないのだけれどね?」


「それはどう言う……?」


「マダムが彼女を高額で買い取った為に身柄は冥国にある訳だし、高額で買い取った訳だから当然超が付くほどのブランド力がある訳なの。

 つまり、下賤な輩の食い物にされることはないのよ。

 それに、ベノムとの面会も認めてくれている。 それはまあ、ヘレンの精神衛生を保つ為だけど、帝国の娼館だったら有り得ないわよ?」


「…………………」


「マダムがどんな意図があってヘレンを買い取ったのか分からないの?」


「ええ、マダムはそれに関しては頑なに沈黙を保ったまま何も語らないわね。 まあ、帝国とな何かしらの契約があったと思うのが自然かしらね?」


「………良いんだろ?」


「え?」


「五億、払えば良いんだろ? 返してもらえるんだよな?」


「マダムはお金に関して決して嘘を付く人物ではないわね。 逆にお金以外は信用していないかしら?」


「……わかった」


 

 僕はそう言うと立ち上がった。

 何も言わずドアへと向かう。



「僕は、ベノムさんにもう一度会ってくる!」


「クロ?」


「シロ、悪いがここでラケシスと待っていてくれるか? 今度はちゃんと帰って来るから!」


「……うん、わかった!」


「クロ、シロちゃんは任せておいて!」



 僕は居ても立っても居られなくなって、ベノムさんの勤める倶楽部パンゲアへと一人向かった。

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