第039話 工作員(9)

 午前9時20分。


 ゆりっちの提案で10分間の休憩を取ることにした。


 二人ともいったん自宅に戻った。


 僕はお手洗いを済ませてから、キッチンでおやつと飲み物を準備した。


 窓から道路を見た。


 残りの車両が3台になっている。


 北朝鮮の車両は撤退していた。残っているのは公安警察と防衛省と米国の3台だ。


 この状況で米国の工作員はどんな手を使って拉致するつもりなのだろうか。


 不謹慎だけれど、ちょっと興味が湧いた。


 いざとなったら公安警察の人か防衛省の人が出てきて僕を助けてくれるんだろうか。


 それとも黙って見てるだけなのかな。


 まともにやりあったら乱闘か、下手すると銃撃戦とかになるのかな。


 午前9時30分。


 二人とも展望室に戻ってきた。


 最後に残った脅威、米国が動く気配は全く無い。


 せっかく外交ルートで警告したのに無視しちゃうみたいだ。


 そんなに僕を拉致したいのか。


 やむを得ない。最後の勝負だ。


 午前9時45分。


 僕は再び影ッちと「移動」の設定確認を進めていた。


 今度は人命がかかっているので慎重に進める。


 ゆりっちにも同時に設定画面を見てもらいながら確認している。


 ゆりっちの指摘で3か所ほど設定を微修正した。


 車両の向きを変えて九州が良く見えるようにした。


 車両の窓を閉めるタイミングは宇宙に上げるギリギリじゃなくて、誰も気づかないよう、1分くらい前からジワジワ上げるようにした。


 宇宙に上げてからドアにロックを掛けるようにした。


 以上で設定完了だ。


 午前9時55分。


 最終確認は終わった。戸高総理に電話で経過を知らせた。


 午前10時00分。


 指定していた最終警告の時刻になった。


影:{最終確認。米国に状況変化なし。}


 影ッち、攻撃オプション、移動、設定通りに実行して。


影:{攻撃オプション、移動、設定通りに実行する。}


 米国の車両に設定している遠隔監視映像が急に暗くなった。


 設定通り、米国の車両は窓もドアも閉めた上で、福岡市の上空高度80キロメートルに上がっている。


 熱圏と中間圏の圏界面あたりだ。


 車両の床面を太陽側になるよう傾けている。


 工作員たちは絶妙な角度に調整されたフロントガラスから九州全域を見ているはずだ。


「ぷしゅぅううううぅぅぅぅ………。」


「ガクガクッッッッ………。」


 空気が抜けるような音とエンストするような音がほとんど同時に聞こえた。


 音が聞こえたのはせいぜい数秒だった。


 無音になった。


 工作員たちは苦しそうな表情で大暴れしている。


 美しい九州の大地を眺める余裕はなさそうだ。


 運動ベクトルは出発地である福岡市にあわせるよう設定した。


 車両は放物線に近い軌道で落下しているはずだ。


 車両内は「ほぼ」自由落下、つまり無重力になる。


 遠隔監視の映像で見ると、固定されていなかった書類とかペンとか小銭が車両の中をただよっている。設定通りに無重力になっているようだ。


影:{車両内気圧0.01ヘクトパスカル。減圧完了。}


僕:「エ、ナニコレ、もう完全に真空?」


影:{乗員の意識消失までの残り時間は推定で3秒から15秒}


{事前設定に従い、車両位置を地上に戻す。}


{車両位置を元に戻した。設定動作は全て終了した。}


 遠隔監視映像がまた明るくなった。車両は僕の自宅前の道路に戻っている。


僕:「…」


ゆ:「…」


 終わった。


 15秒しか経っていない。


 減圧が速過ぎだよ。


 僕とゆりっちの予想では車両から空気が抜けるまで30秒とか1分とか、もっと余裕があると思っていたけれど、全然甘かったみたいだ。


 窓は全部閉めたはずなのに、車両の空気って、どこから漏れていたのだろう。


 念のため、予期せぬ急減圧がかかったら工作員が意識を失う前に地上に戻す設定にしていたのだけれど、やっといて本当に良かった。


影:{米国の車両内の工作員は全7名、そのうち1名は心肺停止で仮死状態である。放置すると数分で死亡する。}


{他の6名は意識もあり生存に問題は無いが全員行動不能である。全員に後遺症が残ると思われる。}


{米国の工作員に対する緊急の医療措置を実施するか。}


 緊急の医療措置を実施して。後遺症も残らないようにしてあげて。


{緊急の医療措置を実施した。仮死状態の1名を含め全員の回復を確認。後遺症なし。}


僕:「はああああぁぁぁぁぁっ。」


 僕は大きくため息をついたよ。


僕:「ゆりっち、乗っていた工作員7名全員が行動不能で1名が仮死状態だったけれど、全員に医療措置を実施済み。後遺症も残らない。問題なし。」


ゆ:「まだだよ。米国が撤退を判断するまで気を抜かないで。」


 二人で引き続き遠隔監視映像をチェックしながら無言で待ち続けた。


 工作員たちの動きが慌ただしい。


 電話で連絡しているもの、装備を確認するもの、健康状態を確認するものと、とにかく全員が何かしら動いている。


 5分くらいは待っただろうか。


影:{米国の車両が撤退を決定した。}


{米国の車両は撤収の準備を始めた。}


{宇宙に飛ばした時点で車両の機関部に不具合が生じているため再始動できない。}


{車両以外のグループはいずれも監視を継続している。}


僕:「ゆりっち、作戦成功。撤退するみたい。」


「でも、車両以外の監視は続いているって。」


ゆ:「ああ、よかった、本当に良かった。」


 その後、米国の車両の横に大型のレッカー車が止まった。


 黒塗りの車のボンネットを開けて何か作業を始めちゃった。


 しばらくするとボンネットは閉じられていた。


 最終的にはレッカー車にけん引されて去って行った。



 午前10時37分。


影:{脅威の消滅を確認した。残存しているのは日本国の車両のみだ。警戒は解いてよい。安全回路による{リンク}接続を終了する。}


 ありがとう、影ッち。


 {リンク}が切れた。安全回路って、切れるときも自動なんだな。


 念のため、遠隔監視で自宅前の道路を確認した。


 確かに、黒塗りの車両は公安警察と防衛省の2台だけになっている。


僕:「全部終わった。脅威は無くなったよ。」


「早朝からずっと付き合ってくれて本当にありがとう。」


ゆ:「役に立ってうれしいよ。」


僕:「学校はどうする。今から行っても中途半端だし、僕はこのまま全部サボる。」


ゆ:「私はこのあと午後から部活があるから戻ってすぐ準備しなきゃ。」


僕:「土曜授業はサボっても部活はしっかり出るんだね。ゆりっちは僕より偉いよ。」


 午前中はつぶれたけれど、工作員への対処は全て終わった。


 戸高総理に最後の報告の電話を済ませると、二人とも展望室から自宅に戻った。


 これで安心して午後の首相官邸の会談に臨める。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る