第031話 工作員(1)

 翌日、土曜日の早朝6時。


 起きてすぐ窓のカーテンを開けると、自宅前の道路に黒塗りの高級車がずらりと縦列駐車している様子が見えた。


 数えたら8台あった。


 目の前を流れる金屑川に沿って別の真っ黒な川が流れているかと錯覚しちゃいそうだ。


「はぁ。」


 昨日、首相官邸を訪問した時点でこういう事態も想定はしていたが、いざ目の前にすると、ついため息がでてしまう。


 監視しているだけかな。


 それとも、保護名目で身柄拘束をしに来るパターンだろうか。


 どっちにしろ、8台って、ちょっと多過ぎじゃないかな。


 か弱い女子高校生1人だって分かっているのかな。


 戸高総理は「安全は保障します。」って言ってたのに、結局こうなるのか。


 犬の散歩をしているご近所さんたちが軒並み怪訝そうな視線を送っている。


 住宅街でこんなあからさまな事をしたら目立ち過ぎるけど、気にしていないのかな。


 全く頭の痛い話だ。


 8台の車両に遠隔監視を掛けてみた。


「うっ。なんじゃこりゃ。」


 不審車両の主は全て外国だった。


 使用言語、装備、持ち物、通信内容から解析すると、英国、米国、フランス、中国、ロシア、北朝鮮、イスラエル、インドの8カ国から1台ずつの計8台だと分かった。


 乗っているのは全て各国のスパイとか諜報員とか工作員とか言われる職業の人たちばかり。まるで映画やドラマの世界だ。


 日本政府の差し金じゃなかったんだ。疑って悪かったよ、戸高総理。


 いや、違うか。


 少なくとも、首相官邸から情報漏えいがあったと考えるべきだろう。


 日本国政府の情報管理は実のところ相当ヤバいんじゃないのか。



 数日ぶりに影ッちが{リンク}で入って来た。


影:{安全回路により{リンク}が自動接続された。君も遠隔監視で状況を確認したようであるが、警戒を要する状況になっている。}


{差し迫って警戒すべき点を伝える。}


{すでに君が遠隔監視している車両による8グループに加え、君から目視できない監視者がさらに3グループ、合計11グループいる。}


 安全回路による自動接続は初体験だ。


 人工個体3人娘がいるから、影ッちとはもう{リンク}する必要がないと思っていたけれど、久々に影ッちと接続してみて人工個体とは違う頼もしさを感じた。


 これは、僕の気のせいだろうか。


影:{特に警戒すべきは、君の身柄拘束を準備している米国、中国、ロシア、北朝鮮の4グループ。}


 いきなり外国の工作員に拉致されるの?


 ちょっとヤバくないか。


影:{目視できない3グループのうち、1グループは金屑川対岸の高層ビルの窓から監視、1グループはドローンによる監視、1グループは低周回軌道上から衛星による監視である。}


{目視できない3グループは全て米国であるから、関与する国は8か国である。}


{安全回路が入った時点で自動防衛を開始している。}


{防衛プランは自動で最適化されている。}


{君に害が及ぼされる危険は非常に少ない、念のため、しばらくは{リンク}を切断してはいけない。}


{次に、攻撃プランを設定する。}


{攻撃オプションを示すので希望するプランを述べよ。}


 ちょ、ちょっと待て。


 順番に行こう。


 まず説明してよ。


 自動防衛とか攻撃プランとか、具体的に何がどうなるのさ。


影:{では、自動防衛から説明する。}


{初めての説明となるので、最悪のケースから軽いケースへと順に、一通り説明する。}


{最悪のケースは近傍で大規模縮退炉が暴走して星系ごと消滅することである。}


{地球人保護は失敗となる。私は次の業務までしばし休暇をとる。}


 おいおい、なんだい、それ。


 「星系」って、この場合は太陽系のことだろうな。


 太陽系が消滅するって、ことかな。


 それで、その大規模縮退炉、いや、その前に、そもそも縮退炉ってなんだい。


影:{簡単に言うと、ブラックホールからエネルギーを取り出す装置が縮退炉だ。}


 なるほど、ブラックホール発電機か。


影:{厳密には色々違うが大まかな理解はそれでいいだろう。}


{縮退炉のうち、エネルギー核として太陽質量換算でおおむね百万倍以上のブラックホールを使用するものを大規模縮退炉と呼ぶ。}


{地球人が「いて座Aスター」と呼んでいるブラックホールの規模がこれに近い。}


 太陽の百万倍規模だと手の打ちようが無いということか。


 逆に太陽ならば爆発しても平気なの?


影:{太陽サイズの恒星やブラックホールがどうなろうと完全に制御可能だ。}


{地球人の感覚で例えるならば、マッチの火かせいぜい焚火の火程度である。}


 まあ、そうなんだろうね。


影:{大規模縮退炉暴走の場合、防衛プランは実質的に存在しない。}


{その場合、君一人に対する緊急保護を実施できる。}


{君は他の星系への移住または精神体への変換を選択せよ。}


{これは、私の職務権限で認められている最大限の例外的措置だ。}


 いや、それはいいよ。


 太陽系が滅亡する時は一緒に滅ぶよ。何もかも無くなるのに、逃げても仕方がない。


影:{大規模縮退炉暴走はあくまでも最悪の想定だ。}


{現時点で近傍1光年以内、すなわち太陽系内には、大規模縮退炉が確認されていない。危険性は非常に小さい。}


 でしょうね。地球人の工作員がそんな技術を使えるわけがない。


影:{銀河中心体が原因で不測の事故が起こるケース、悪意を持つ他の知的生命体が干渉するケースなども考えられるが、ごく稀である。無視して良いだろう。}


 じゃあ最初から無視しても良かったんじゃないの。


影:{それは違う。安全管理はそのような僅かな油断から破綻する。}


 そんなもんなのかな。それより「悪意を持つ他の知的生命体」って方が気になるけど。


影:{他の知的生命体については近いうちに紹介する。今は差し迫る危機に集中せよ。}


{次のケースは大規模縮退炉よりもエネルギー密度の低い原因に由来する爆発的事象である。}


{この場合、察知した瞬間に全て完全に制御下に入っているので何も心配はいらない。}


{君が何をしても、何もしなくても、何も起こらない。}


 たとえばスーツケースサイズの戦術核が使用されても大丈夫ってことかな。


影:{問題ない。}


{近傍1光年以内の爆発的事象はどのようなものでも完全に制御できる。}


 銃で撃たれたりすることもないのね。


影:{ない。}


{最後のケースは自然個体が君に接近して君に危害を加える場合である。}


 キタキタ、コレコレ。これが聞きたかったんだよ。


 一番大事なケースだね。


 どう考えても、縮退炉とか戦術核とかより、こっちの方が現実的だ。


影:{この場合、君が自分で防衛して良い。}


 はぁ?何言ってんの!


影:{できうる限り自然個体に対する干渉は避けつつ防衛することが基本であるからそういう対応になる。時空間遮断膜と空間プラグを適宜活用して対処したまえ。}


 そうですか。そう来ますか。一番期待していたのに、期待して損した。


 自動防衛って言っても、爆発的事象しか対応していないんだよね。


 これじゃ、工作員から拉致される脅威からは全然防衛されていない。


 毒ガス攻撃とか、車ではねられるとか、麻酔を打たれるとか、そんな場合もおなじなんでしょう?


影:{基本は同じである。ただし、安全回路がある限りそれらの攻撃は事前に察知できるので、{リンク}経由で警戒情報を伝える。}


{その情報を利用して対処したまえ。}


 それ、ひどくないか。

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