第016話 福岡タワー(5)
「お姉ちゃん、トイレ。」
「お姉ちゃんはトイレじゃありません。」
うふふ。どうだい。このボケは本来こういう時に使うんだよ。
「お姉ちゃん、それ、つまんないよ。」
うぐっ、なんて子だ、全く。これ、お前が昨日僕に使ったネタだよ。
僕もトイレに行きたくなったし、ちょうど良いからみんなでトイレ休憩だ。
福岡タワーの展望室にはトイレが無い。1階に降りないといけない。
トイレのために家に戻るという手もあるが、靴を脱いだり履いたりが面倒だ。
しかもちょっとお腹が空いてきたから、一度戻ったが最後、出かける気力は無くなると思う。
今はまだ家に戻らない方が良い。
「トイレ休憩にしよう。みんなで1階のトイレに行こう。」
そこであおいに引きとめられた。またかよ。
「ここのトイレは使えません。」
「どうして。」
「流せません。」
「あ、そうか。」
「どうしたの、お姉ちゃん。」
「手順に従うと時間を止めることになるから、トイレの水が流せないんだ。」
あおいが僕の解説を引き取って続ける。
「水だけならタンクにある分で1回くらいは流せますが、次の人からは流せません。」
「仮に流せても、下水側が詰まってあふれ出します。」
「詰まらないよう下水の配管に沿って時空間遮断膜を拡張することは可能ですが、相当長くて複雑な形状になります。」
「換気は止まっています。臭うかもしれません。」
「へぇ~、色々面倒なんだね。でも、臭いのはいやだなぁ~。ねぇ、お姉ちゃん。」
色々考えた末、ちょっとリスクはあるけれど安直な手を取ることにした。
「お手洗いの間だけ数分間ほど時空間遮断膜をすべて解除するよ。」
「監視カメラやセンサーには細工がしてあるし、問題ないでしょ。」
1階ロビー全体に時空間遮断膜を拡張すると同時に、北側非常口のそばにあるトイレ前に空間プラグを開き、全員が移動した。
展開中の時空間遮断膜の形状、AR設定、安全装置設定など、全てのデータをメモリに保存した。こうしておけば、トイレが終わったらすぐ再展開できる。
全ての時空間遮断膜はいったん解除した。もちろん、空間プラグも同時に全て消した。
これでトイレの水も換気扇も問題ない。
僕とひかりだけではなく、あおい、あかり、あんなも順にトイレを済ませた。
5人もいたから、思いのほかトイレで時間を取られたな。
それでも数分間程度だし、大丈夫だろう。
メモリに保存していた設定から全て再展開し、空間プラグも元通り開いた。
展望室に上がろうとしたら、また、ひかりが何か言いたそうに寄って来た。
「お姉ちゃん、穴から顔を出すやつで写真を撮って。」
「なんだって?」
ひかりは何かを指差している。その指の先、トイレの入り口のすぐ前に記念撮影用の「顔はめパネル」が設置されていた。福岡タワーにしがみつく2人がいて、その顔の部分だけがくり抜かれていて、観光客が顔を出して撮影するようになっている。
ひかりの話を聞いた。
以前、学校行事で来た時、これで写真を撮りたかったけれど撮れなくて心残りに思っていたそうだ。今、それを目の前にして急に思いだしたんだって。
仕方がない。付き合ってあげよう。
僕も一緒に写って欲しいってせがまれたから、あおいにスマホを渡して撮影を頼んだ。
ひかりは低い方の穴から、僕は高い方の穴から、顔を出した。
「こんな感じでいいですか。」
「うん、いい感じで撮れているよ。あおいお姉ちゃん、ありがとう。」
口には出さないけれど、高校生にもなって撮るものじゃない。お間抜けな写真が取れた。でも、ひかりが喜んでいるから良しとするか。
「みんなも撮ろうよ。」
結局、ひかりのリクエストで全員が順番にお間抜けな写真を撮った。
展望室へ戻ろうとしたら、またひかりが寄って来た。
「おねえちゃん、パネルを触ってたら手が汚れたよ。トイレで洗ってくる。」
ひかりの手をみると、塗料のようなものが少し付着していた。
「待て待て、もう時間を止めているから水道は出ないよ。」
「また解除するから待って。」
面倒くさいが仕方ない。また全部解除した。
ひまりは手を洗い終わってすぐ戻って来た。
さっきの設定がまだメモリに残っているのですぐにもと通り全てを展開できた。
みんなで展望室に戻った。
「ねえ、ねえ、見て見て、誰か海で泳いでいるよ!」
展望室に戻って海を眺めていたひかりが叫んだ。
遠目で小さくしか見えないけれど、確かに、蛇行滑り台の最下部あたりで一組の男女が泳いでいる。
まさか、こんな季節の、こんな時間に、こんな場所で泳いでいるなんてびっくりだ。
しかも、あれはスーツ姿だ。
ARは起動直前の1分間のデータをループ再生する設定なので、ついさっき泳いでいる人がいたってことだ。
体格や髪の色などの雰囲気から察するに欧米人だろう。とんでもないヘンタイさんだ。
せっかく作った蛇行滑り台だったけれど、大事を取って消すことにした。残念だけど2回目はあきらめよう。
お腹が空いて気力も無いし、巨大な構造物の練習と実験はここまでにする。
そのまま、色々な小物を作る練習に移った。
まずは猫を作った。
ARを設定していないと真っ黒な謎の物体になるため、不気味な黒猫になった。
同じものでARを設定すると、途端に可愛い目とふさふさの毛並みの黒猫になった。
ARの設定を変えるだけで簡単に白猫や三毛猫に変化した。
割と面白い。図工の時間に粘土細工を作っているような感じだ。粘土細工と違って出来上がりの精度が非常に高い。ほぼイメージ通り出力される。
次にりんごを作った。簡単過ぎてつまらない。
茶碗とお箸を作ってみた。つるつるだから掴めないし持てない。おまえはウナギか。
椅子を作った。つるつるだから座ろうとしてもずるずる滑って座れない。
こりゃあ、だめだ。
摩擦力を設定しないと実用的な小物にはならない。実際に作ってみるまで気づかなかったことだ。今日は実験しておいてよかった。
作ろうと思っていたものは一通り作った。次は何を作ろうか。
「ねえ、ひかり。何か作りたい小物はないかな。」
「鉄格子。」
「鉄格子って、何をするんだい。」
「鉄格子を両手でつかんで、お・れ・は・む・じ・つ・だ~!って、叫ぶ。」
ばかばかしい。だけど、面白そうだ。
しかも程よく複雑な形状。いい練習になる。
ちょっとだけ設計を考えて一気に展開した。
床から天井まで届く真っ黒で細長い円柱が等間隔に24本、ひかりの周囲をぐるりと取り囲んでいる。ひかりはその直径1メートルの円内から出るに出られない状況だ。
「お・れ・は・む・じ・つ・だ~!」
ひかりは大はしゃぎで叫んだ。
あんなが希望したので、あんなの周囲にも同じように展開した。
「「お・れ・は・む・じ・つ・だ~!」」
二人で何度も叫ぶ。
ひかりとあんなはすっかり仲良しになったようだ。
この他にも、ひかりのリクエストで何個か小物を作った。
今日は良い練習になった。いつでも自在に大物から小物まで展開できる自信はついた。
いつでも使えるよう、全てのデータをメモリに保存した。鉄格子同様、とても何かの役に立つとは思えないものが多かったが、何があるか分からないからね。
今朝の目標はだいたい達成できた。
空腹も限界に近い。おうちに戻って朝ご飯にしよう。
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