第005話 影ッちの日本語業務日誌

 ファースト・コンタクト翌日の土曜日。


 朝、起きたら僕の学習机の上に「日本語業務日誌」と大きく書かれた冊子が置いてあった。数枚のA4コピー用紙に印刷して左上を小さなダブルクリップで留めてある。


 影ッちだね、これ。昨日「後で届ける」って、言っていたやつだな。


 気になったけれど、空腹だったので先に顔を洗って朝食を食べた。


 30分ほどで部屋に戻った。改めて手に取りぱらぱらとめくってみる。


 なるほど。


 {リンク}ではなく、あえて紙で用意したのが面白い。


 なにしろ本物の宇宙人が書いたんだ。ヘタなSFより面白いかもしれない。


 ちょっと読んでみた。


 書き出しは、こうだ。


「日本人が書いてる日誌というものを宇宙人の私も書いてみようと思って書くのである。」


 ぶっ飛んでるなぁ。まったく。


 影ッち、それは紀貫之の「土佐日記」の書き出しの真似だろ。僕も受験勉強で読んだから知っているよ。


「15万年間に渡った前任地での未開文明人保護が成功裏に終了した。新たな任務地に異動することとなった。」


「異動の直前、{リンク}対象者との{リンク}を解除する前に、{リンク}対象者が開く祝宴に招待された。」


「{リンク}対象者は大勢の仲間とともに、左右から出ている5対10本の足で会場を行ったり来たりしながら、私が飲めもしない飲み物を飲み、私が食べられもしない食べ物を食べて楽しんでいた。」


 5対10本って、昆虫みたいな宇宙人かな。


「私はそれをただ観察するだけであったが、{リンク}対象者は私の離任直前に祝宴が開けたことを喜んでいた。その{リンク}対象者は私が離任して僅か213年後に寿命が尽きたようである。彼女からは寿命の直前に別れのメッセージを受けた。」


 これ、読み物としても普通に面白いな。


 やはり印刷物はいい。落ち着く。


「新しく担当する星系/惑星は、現地の言語のひとつである現代日本語に合わせて太陽系/地球としておこう。以降、時代区分や主要な概念は同様に現代日本語に合わせて記述する。」


「太陽系/地球は誕生した時から継続的に探査していたが、15万年前、そこで進化した生命のうち、現代地球人に繋がる種が生まれ、知的生命の必須条件である簡単な言語を使い始めたため、レベル1/進化の促進が開始された。」


「これは私の前任者の業務であった。詳細は割愛するが、特に優秀なグループが存在する地域について、小規模な気象操作など介入を繰り返した。これにより、その時に競合していた主要な3種のうち、最も高い知性を持つ1種のみが生き残り、急速な進化が始まった。」


「1万年前には集落を形成し、音楽や芸術を含む文化が一定以上に達したことで、レベル2/観察と保護が開始された。」


「私はこの時に太陽系/地球へ異動して来た」


「当時の地球は氷河期の終わりの間氷期に入っていた。」


「地球人は惑星のあらゆる地に生息域を広げていた。私はその中で最も先進的な文明レベルに到達していた地域に着目した。そこは現代では日本国と呼ばれている。」


「現代日本語で縄文時代と呼ばれている期間に入ると、日本人の文明レベルは驚くべき高さに達していた。」


「扱う道具など科学技術については他地域に後れを取ってる分野があったものの、社会性、人間性が非常に高く、銀河中心体の規範レベルと全く遜色ない。ほとんど同レベルといってよいものであった。」


「人々は調和の中で生活しており、お互いを尊重し合い、平和で大きな争いは皆無であった。同時期の他地域で多く見られた対人武器は、ここでは必要性が低いため存在していなかった。」


「どの時代、どの地域、どの集団であっても、同様に調和の取れた特性を持つ個体が一定数存在している。」


「しかし、この地域においては、その空間的・時間的な継続性と密度が非常に高い。これに関して、日本国は地球人の他のどの時代・地域と比べても類を見ないレベルにある。」


「私は大変感心した。」


「私はこの集団が大変気に入った。現代日本語では『推し』という概念に相当する。」


「日本人が発展して管理国家となれるよう保護を進めた。」


「規則に反するため行っていないが、その時点で日本人と正規手順のファースト・コンタクトを行っても良いのではないかとさえ考えていた。」


 何だよ、この宇宙人、1万年越しの日本人推とか、ぱねぇな。


「その後の1万年間の業務日誌は機会を改めて書き綴ることとしたい。」


「その前に、今回の田中ひまりとのファースト・コンタクトについて書いておきたい。」


「このファースト・コンタクトに要した時間は、説明開始から契約完了までの時間は、わずか5分だった。驚愕の速さだ。私が担当した中でも最速だった。平均的には数日程度を要する作業である。」


「驚愕すべき点はその速さだけではなかった。何が凄いかというと、その淡白さ、物わかりの良さだ。」


「最も驚いたのはほとんど質問がなかったことである。」


「普通のファースト・コンタクトは質問攻めがあり、なかなか意図した話の運びにならない。空間プラグや時空間遮断の技術的な関心が先に立つこともあれば、侵略の意図が無いのか問い詰められる場合もある。」


「それが5分だったのだから、尊敬に値する物わかりの良さだろう。」


「予想の斜め上を行く成功と言えるだろう。歴史的と言っても良いレベルだ。」


 ううううう、なんだか体中がむず痒くなってきたぞ。


 これ、さすがに買い被りすぎだろ。


「田中ひまりの前に接触した2人についても、最終的に拒否したとはいえ、その理解は非常に速かった。これは日本人の資質というべきであろう。他のどんな星系でも見たことが無いほどの冷静さと効率で対処していた。いたく感心した。」


「ちなみに、過去に私が担当したファースト・コンタクトは全て成功している。小さな失敗を伴う案件もあったが、総じて成功と言える範疇に収まっている。」


「これまでで一番の失敗は、接触した瞬間に{リンク}していたインターフェイスを捕食された案件だ。」


「まだ私の経験が少ないころ、しかしファースト・コンタクトにある程度は慣れてきたころ、油断して規則に定められた防衛手順をいくつか省略したため、0.5秒ほどの隙を突いて空間プラグを搔い潜ってきた大きな口を開けた生命体にばっくりやられた。」


「正規手順に戻して2体目のインターフェイスを送り込み、その後は何事もなく進行した。今思いだしても大変な経験であった。深く反省し、この手の事故はその後一度も起こしていない。」


「それにしても日本語での記述はなかなかに大変である。使い慣れたデバイスを用いての『全感覚記述』と比べると何十倍もの労力がかかって、しかも言いたいことの何十分の一しか表現できていない。」


「もちろん、正規の業務報告は全感覚記述で作成しており問題はないのだけれど、日本語で全てを表現できないのは大変に残念だ。」


「しかし、楽しい作業でもあった。地球人保護が終了するまで、時々書いて行きたい。」


「今日はここまでとする。」


 読み終わったぜ。なかなか面白かったな。影ッちが続きを書いてくれたらまた読ませてもらおう。

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