Before 59 Days

第27話 最果ての未来 ~Before 59 Days~

月詠つくよみカグヤ候補生です。本日はよろしくお願いします」


 右手の握り拳を胸に当てる評議会式の敬礼をする。

 入室した部屋には一人の老女がいた。

 

 一束ひとふさにまとめた黒い長髪には白髪しらがり、乳白色にゅうはくしょくの肌にはしわが入っている。

 年齢はオキナより少し若い位だろうか。

 どこか穏やかで温かみのある雰囲気を持つ人だ。


「ようこそ。月詠つくよみカグヤ候補生。私があなたの面談を担当します。セレーネ管理官と呼んでください」


 セレーネ管理官は敬礼を返すと、柔和にゅうわみを浮かべて席に座るよう促した。


「失礼します」


 一言、断ってから着席すると、正面にセレーネ管理官が座った。

 漆黒の瞳がこちら向けられる。

 隙の無い雰囲気と、温かみのある気配が同居している。


「座学も実技も優秀ね。試験結果は歴代記録を上回るものもあるわ」

「恐縮です」

「どの部署もあなたを欲しがるでしょう。配属先に希望はありますか」

「プラトン採掘基地を希望します」

「プラトン採掘基地は閉鎖が決定しています。新たな人員を配置する予定はありません」


 取り付く島もないなく却下された。


「それでしたら希望はありません」


 私の言葉にセレーネ管理官は口角こうかくわずかに上げて微笑した。

 

「意地を張るのは指導役の悪いところが似たのかしら」


 呆れたというより、若干楽しそうな声が部屋に響く。

 その仕草はどこか遠い記憶に想いをはせているようだ。


 「ご存じなんですか」

 「公私共に、とても親しくさせて頂いたわ」


 私の問いかけに老女は優しい声で答えた。


「あの人と共に生きること決意して、長い時間を過ごしました。苦しい時も嬉しい時も人生の大切な場面を共有して、あの人はそれに見合うもの返してくれました。月にいる人間はみな、そうよ」


 セレーネ管理官が窓の外に視線を向ける。

 そこには宇宙港で見たような喧騒けんそうが広がっていた。

 

 幸福であろうとする人々の営み。

 現在の幸福を掴み、それを継続させようと努力する人々。


「ルナシティにいる人は皆、彼に救われた人です」


 視線を戻した管理官は、若い候補生に告げた。


みなが貴女の行動を一挙一動にいたるまで注目します。衆人監視の中、心に疑念を持ち続ければ、人間は直ぐに破綻はたんします」


 心臓が鷲掴わしづかみされたような感覚にカグヤは襲われた。

 表情を崩さず、必死で平常を装う。

 しかし、老獪ろうかい先達せんだち若人わこうどの思いなど意に介さず、追及を続ける。


「あなたは、ここがどういう場所か気づいているのでしょう。気づいていて、あえて気づいていないふりをしている」


 手の震えが止まらない。

 体が前に傾き、視線が下を向く。

 セレーネ管理官の表情を見ることができない。


「オキナが、望んで」

「あなた自身は望んでいるの?」


 わからない。

 どうしたら良いのか、わからない。

 自分に選択肢があったことはない。


 オキナが用意してくれたレールの上に載って、そのまま歩んできた。

 それを嫌だと思ったことはない。

 いつかオキナの役に立てる日が来ると無邪気に信じていた。


 操縦者オペレーターの使命とかは、正直どうでもよかった。

 愛情を注いで育ててくれた彼の為に、いつか恩返しができればいい、とただ漠然ばくぜんと考えていた。

 それならば、このままこの世界に留まるのが正解だ。


「ホシクズは人の思念に反応して熱量エネルギーを生み出す。強い感情の揺れがあるほど膨大な熱量エネルギーをもたらします」


 口を噤んで何も語らない若人に、老獪な先達は諭すように言葉を続けた。


「でも人間は、本心から信じていないことに強い感情は持てないの。あなたが自分の疑念と向き合わない限り、だんだん真っ白になって、泡沫うたたかの夢として消えしまう。それは我々も望むところではない」


 はっきりと拒絶された。

 この世界で活躍するには未熟で幼いと遠ざけられたのだ。


「あなたは既に、十分な正しい情報と自身の頭で考える思慮がある。魂が死に至る前に結論を出しなさい。あなたが彼から本当に教わったのは知識でも技能でもない。自身を無思慮むしりょけものでなく、知恵ちえある人間と思うなら考えなさい」


 オキナから本当に教わったこと。

 この十年間、オキナと過ごした日々が頭の中を駆け抜けていく。


 ───他人と触れて、自分と世界を学びなさい。


 そうだ。

 私は未熟者だ。

 私は何も知らない。

 

 世界がどうなっているのか。

 どうして自分がプラトン採掘基地にいたのかも。

 

 まだ何も知らないおろか者。

 人として学ばなければならないことがたくさんある。

 もっと世界を知らなければ、先に進めない。


 この街で、月で優しさに甘えていたくはない。

 大人に守られて自由を持て余す日々は終わった。


 いや、月にはもうなかった。

 それを月の人達が、オキナが作り出した。


 私のために。


 ここで止まっては、私で終わってしまう。

 月の人達が、月詠つくよみオキナが残した未来を繋げよう。

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