Before 63 Days

第13話 ただ貴女の為に ~Before 63 Days~

 自室から生体端末を居住区の管理システムに接続する。

 オキナから新規データが送られている。


 生体端末にデータを取り込むと、脳内イメージに[正規ライセンスへの切り替え手引き]と書かれた書式が表示された。


「準備しとくように、って言われたな」


 オキナに指示されたことを思い出しながら、手引書を読み進めていく。

 教養試験の範囲は言語、数学、歴史、熱量エネルギー学、思想の基本五教科のみ。

 その他、入港申請の方法、服装規定、口頭での応対問答例まで記載されている。


 これは儀礼作法の試験を兼ねていそうだ。

 基本教科の方は、復習すれば大丈夫だろう。


 懸念は儀礼作法だ。


 昨日、ミラさんと出会うまで、外部の人間と会う機会なんてなかった。

 三か月に一度あるルナシティとの定期連絡を、オキナの代わりにしたことはある。

 立体映像でルナシティの講師から儀礼作法の指導を受けたこともある。


 服装も制服が指定されているが、私の持っている制服はサイズが一回り大きい。

 振舞い以前に身だしなみで減点されないだろうか。


 ヘルメットを被りやすいように、前髪は普段からヘアバンドで上げている。

 降ろした方がいいのか。


 妙なことを気にしていると苦笑する。

 悩んでも仕方がないと、気持ちを切り替えようと顔を上げる。


「飲み物取ってこよう」


 部屋を出て食堂に向かう。

 食堂に入るとオキナが遅い朝食を取っている姿が目に入った。


「オキナ、おはよう」

「ああ」


 生返事を返すオキナの側を通り抜ける。

 通り抜けざまに横目でオキナの姿を観察する。

 カトラリーを握ったまま、じっと固まっている。


 こりゃ、脳内イメージで資料を読んでいるな。

 給水機の注ぎ口にコップを二つ差し込む。

 コップに飲料水が満ちると、片手で一つずつ持ちながらオキナの側に行く。


「はい、どうぞ」


 コップを一つ、テーブルに置きながらオキナに声をかける。

 オキナは「ああ」とまた生返事を返した。


「そういえば、ミラさんの検査は終わったの」

「ああ」

「今日の衛星管理のログ精査、オキナが当番だけど、できそう」

「ああ」

「ついでに、ライセンスへの切り替えの申込書も作ってくれない」

「それは自分でしなさい」


 ちえ、しっかりマルチタスクしている。

 オキナがふうとため息が吐くと、角切りの人参を口に運んだ。


 オキナは忙しいと食事を抜く癖がある。

 ピーターが注意するが、基本的に上位者のオキナには逆らえない。

 私がルナシティに行っても本当に生活できるのか。


「食事くらい、ちゃんと取ってくれないと心配だよ」

「心配するな。一人で生活していた経験はある」


 カトラリーを口に運びながら返答するオキナを胡散臭そうに見る。

 本当に大丈夫だろうかと思ったところで、オキナの発言で引っかかったところを尋ねる。


「私より前にも教え子がいたんだよね」

「突然どうした?」

「その人達もルナシティにいるの」


 私が問いかけるとオキナはカトラリーを器の上で停止させた。


「…そうだな。何人かいるだろう」


 カトラリーを器に戻しながら、オキナが話す。


「今まではぐらかされてきたけど、少しくらいは教えてくれない。そうしないと会話する時に私が困る」

「別に困りはせんじゃろ。それにルナシティにも色々な部署がある。配属先で一緒になる可能性は低いぞ」

「地球に行った人はいないの」


 私が何気なく質問すると、オキナは眉間に皺を寄せた。

 何か気まずいことを聞いてしまったのだろうか。


「この十年、交流はなかった。地球に行った者はいないじゃろう」

「そっか」


 いたらミラさんも知っているか聞いてみたかった。

 残念だ。


「それより、適性試験の準備はしているのか」

「進めているよ。でも儀礼作法だけは型通りにしかできないから、本当にできているか不安になる」

「型通りにするのが儀礼だ。心配せんでも、判定プログラムで合格が出ているなら大丈夫だ」

「そうだけどさ…」


 私は言葉を飲み込んで、口をつぐんだ。

 自分でも歯切れが悪くなったのはわかる。


 言いたいことがあるが、言ってもしょうがない疑問だ。

 今回の適性試験にまで影響はないだろうし。


「どうかしたか」

「…ミラさんが、地球から使者が来た以上、これから地球との関わりが増えて比べられるようになるよね。やっぱり地球の方が、人口は多いから、色んな分野が月より進歩しているのかな。月は遅れているって思われるのなんか嫌だし」


 無言でオキナの顔が私を見つめる。

 眉間に皺を寄せたまま、険しい表情をしている。


「私、地球への配属を希望した方がいいのかな」

「お前が考える必要はない。本当に必要なら評議会から命令が来る。お前は自身の技能を高めることを考えなさい」

「そうなの?」

「お前が思いつくくらいのことは、ルナシティの連中も考えている。第一、まだ使者が来ただけで、これから交流を再開するとも決まったわけではない」

「そっか」


 たしなめられてしまった。

 確かに地球の使者ミラさんが来たのは昨日の話だ。

 オキナから報告が上がって、どうするか対応を検討している最中だろう。


「ミラさんは、しばらく滞在するんでしょう。居住区への接続権限は与えてないみたいだけど、また会えるかな」

「適性試験の準備が終わったら考えてやろう」

「もう、意地悪。わかった」


 オキナに返事をすると席を立って、自室に向かった。

 楽しみができたら、頑張れそうだ。

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