第5話 日常 ~Before 65 Days~

 ホールから居住区内に入ると、通路の奥から近づいてくる存在に気が付いた。

 私の腰骨位の高さにある頭部から生えている耳を揺らしながら、二足歩行でひょこひょこ歩いてくる。


「オキナ、カグヤ、お帰り」


 白兎型機械人形ラビットタイプロボットのピーターが出迎えに来てくれた。

 水耕栽培室で野菜の収穫をしていたのだろう。

 ピーターの白いエプロンのポケットに園芸鋏えんげいばさみが収められている。


 カグヤはピーターに近寄り、ピーター両脇に手を入れて持ち上げる。


「ただいま、ピーター」


 返事をすると、そのままピーターを抱きしめた。

 頬でピーターの顔を摺り、フワフワした感触を堪能する。

 疲労した肉体に、ふつふつと熱量エネルギーがみなぎってくる。


「はあ、癒される。君は偉大な存在だよ。ピーター」


 疲労回復のお礼を兼ねて、熱量エネルギー供給すると、ピーターが気持ちよさそうに目を細めた。


「ライセンス申請の手引きを送ったから、目を通して準備しておきなさい」

「オキナ、食事、できる」


 要件を一方的に伝えて歩き始めたオキナに、ピーターが自分の使命を思い出したように目を見開いて呼びかける。


「今日はもう休む」


 ピーターの呼びかけに答えるとオキナは早々に立ち去っていく。

 オキナの姿が通路の角に消えると、ピーターはカグヤに視線を向けた。


「カグヤ、食事、たべる」

「わかった。食堂に行くね」


 停止している自動走路の上を歩く。

 抱えられたままのピーターが耳を忙しなく動かし始める。


 耳のセンサーで空間認識を行っているピーターは、抱えられながら移動すると、耳が稼働させる。

 ひょこひょこ耳を動かす姿が可愛くて、つい抱き上げてしまう。


 突き当りの扉を潜り、食堂に入る。

 長方形のテーブルの間を通ってカウンターの側に着くと、ピーターを床に降ろす。

 ピーターがカウンターの裏に入っていくのを見届けると、カグヤは近くにあった椅子に座った。


 テーブルに肘をついて顔を手に乗せると溜息をついた。


 五歳で訓練を始めて十年。


 指導役のオキナから推薦を貰えたことは嬉しい。

 自分の努力が認められるのは誰だってそうだろう。

 でも、それが今までの生活が終わることに繋がるとは思わなかった。


 私はここでの生活しか知らない。

 正確にはこのプラトン採掘基地に来る前の記憶がない。

 産まれた時から採掘基地にいたのかもわからない。


 ある時、気が付いたら採掘基地にいて、オキナと出会った。

 オキナに尋ねても、「操縦者オペレーターになるためにお前はここに来た」しか答えてくれなかった。


 自分の年齢もその時に教えられたから、本当の年齢は違うかもしれない。

 自分が何者か知りたくて、電子保管庫の書籍や映像教材を探った。

 おかげで座学の幾つかは得意になった。


 生活に余裕が出ると、ピーターと一緒に居住区を維持するための仕事も任された。

 部屋の掃除から始まって、水耕栽培室での野菜の世話や収穫、熱量エネルギーの供給、設備の維持修繕まで。

 一つできる度に新しい仕事を任されていった。


 自分の価値が、どんどん広がっていくようで楽しかった。

 知識で外部のことを知っていても、このプラトン採掘基地が自分にとって、世界のすべてだ。


 それが終わる。


 さっきは勢いに押されて返事をしてしまったが、唐突すぎて、まだ受け止め切れていない。

 不安が胸の中に蓄積されていくのを感じる。同時に体内の熱量エネルギーが微増していく。

 操縦者エネルギーの嫌な性だ。


「カグヤ、食事、できた」


 ピーターが呼びかけに、視線をカウンターに向ける。

 カウンターの上にはピーターが運んできたであろう、四隅が丸く、底が深い長方形の器が置かれている。器の中は、白米と黒褐色のドミグラスソースで二分され、ソースに浮かぶ合成肉と野菜によって、豊かな色彩が描かれている。


 刺激的な香りに嗅覚が刺激されると、唐突に空腹を感じた。


 先ほどまでの不安感が消え、熱量エネルギーの増加が加速する。

 我ながら、単純な性格だと呆れる。

 動かないカグヤを不審に思ったのか、ピーターが首をかしげて、カグヤを見つめる。


「ピーター、君はやっぱり偉大だよ」


 一声かけてから、カグヤは席を立つ。

 食事の前に、もう一度、ピーターの頭を撫であげよう。

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