Before 65 Days

第2話 月面の少女 ~Before 65 Days~


 船外活動服の中から、漆黒色の瞳を地球に向けて夢想むそうする。

 私が月から地球を見上げているように、地球から月を見上げる人もいるのだろうか。

 その人には、管制塔の屋上で仁王立におうだちする私が見えているのだろうか。


 宇宙望遠鏡からの観測データを視界に表示させる。

 ケーブルから船外活動服を通って表示された映像は、最大望遠で地球を映しても、白雲と青海、大陸の土壌が見えるだけだ。

 指導役のオキナが言うには、白雲と青海に覆われた領域が増加しているそうだ。


 乳白色の眉間にしわを作りながら観測データを見つめるが、カグヤには軽微の差が認識できない。

 オキナみたいな、ベテラン操縦者オペレーターになれば、違う認識を持つのだろうか。


 操縦者オペレーターの候補生になって五年。

 外宇宙から飛来する流星群の前哨基地として設けられたルナシティ外縁部の小基地の一つ、プラトン採掘基地でオキナから操縦者オペレーターの訓練を受けている。


 しかし、未だにオキナに優っているのは、若さゆえの熱量エネルギー総量くらいしかない。

 候補生として、成長できているか不安になる。

 正規ライセンスを取得して、操縦者オペレーター評議会の参加資格を得るのは、後何年かかるだろうか?


「何をぼうっとしとる」


 ヘルメットにオキナの野太い声が響く。

 振り向くとオキナが階段で管制塔の屋上に昇ってきたところだった。


 最近、やっと手が届くようになった頭頂部が私の隣にやってくる。

 白い髪と伸びた顎鬚のせいで、昔話の仙人を思わせる雰囲気だ。

 出会った頃より痩せたが、肩幅が広く衰えた印象はない。


「地球から私達が見えるのかなって思った」


 素直に思ったことを口にするとオキナが鼻を鳴らした。


「地球まで三十八万四千キロもある。その距離を覗ける設備は、今の地球にない」

「夢がないよ」


 脱力した声を上げてオキナに抗議する。

 オキナは、再び鼻を鳴らしてとがめた。


「そろそろ衛星が通過する。接続の準備をしなさい」

「むー」


 不満を声で主張しながら、両手を広げたり握ったりを繰り返す。

 活動服の素材に使用している高密度炭素繊維カーボンが擦れる独特の感覚が脳内に走る。

 

 船外活動服の生体センサーが感知した空間情報は、体内の生体情報端末を通して脳に入力されている。

 異常があれば脳が違和感を覚えるか端末から警告が出る。


 熱量エネルギーも十分、蓄積してある。

 私のホシクズは今日も、絶好調だ。


 この活動服は五年前、十歳の誕生日にオキナがあつらえてくれたものだ。

 初めて活動服を着た日のことを思い出すと、羞恥心で顔が赤くなる。

 

 あの日、服を体に慣らすために、外に飛び出た私は、生体センサーで認知する宇宙に圧倒された。


 無限に広がる深淵。

 遠くに散らばる星々。

 膨大な存在感を与えてくる地球。


 採掘基地の住居区画とも、教育課程の仮想空間とも違う外の世界に興奮した。


「あの星を掴むことができるかな」


 自由を感じた私は、目についた星をめがけて飛び跳ねた。

 肉体ではなく脳で知覚する世界には、不可能なことはないとさえ思えた。


 しかし、跳躍して少しすると困惑した。

 地球と同じ重力に保たれている住居区画と比べて、月の重力は六分の一しかない。

 普段より高く飛べるのは当然だ。


 だが、浮遊感の後に来る重力に引かれる感覚が、いつまで経ってもこない。

 疑問を感じた私は視線を下に向けた。

 月面がゆっくりと離れていく様子が見える。


 そこで私は、教育課程で習った操縦者オペレーターの基礎知識を思い出した。


 生体情報端末は地球外由来のホシクズ結晶を用いて作られる。

 ホシクズ結晶は人が認識範囲にいると、青白く輝く性質を持つ不思議な物質だ。

 人間の情緒に反応していると言われているが、本当の所は現在でも不明のままだ。


 そして、利用価値があるなら未知の物質でも利用するのが、知恵の実を食べた人類という種の特性だ。

 人類は、ホシクズ結晶を新たエネルギー源として活用する装置を開発し、装置の動力源および制御装置を発明した。


 それが私達、操縦者オペレーター

 幼少期に生体情報端末を体内に埋め込み、肉体の成長とともに肥大させ、第二の脳を手に入れた新人類。

 自身の感情の高ぶりを糧に、超常の力を発動させる。


 つまり私は新品の船外活動服に興奮した熱量エネルギーで跳躍して、月の重力圏から離脱しつつあった。


「オキナー、助けてええええええええええ」


 遭難死を察知した私は全力で叫んだ。

 通信から返事はなかったが、すぐに電磁石ロープが飛んできて船外活動服にくっついた。


 頭頂部とヘルメットが衝突した衝撃に、恐怖が吹き飛び、意識がもうろうとする。

 気が付いた時には、目の前にオキナが立っていた。悶絶している間、ロープを巻き取ったらしい。


「誕生日と命日を一緒にする気か!」

「ごめんなさい。後、ヘルメットの内側に緩衝材を追加してください」


 オキナの怒鳴り声に私は涙目で返すと、あきれた視線を向けられた。

 そしてロープがまかれたまま、居住区に連れ戻された。


 活動服を脱ぐと「自分でやりなさい」と緩衝材を手渡される。

 ついでとばかりに活動服のメンテナンス方法を教えられた。


 それから体の成長に合わせて、活動服を改造していったが、今でも初めてあつらえた時から変わらない部位は多い。

 指で活動服の胸部をなぞると胸が少し熱くなる。

 

 いつの間にか愛着が湧くようになってしまった。

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