35 - 運命
運命とは、絶対にあらがえないもの。私たちの意志ではどうしようもなくて、変えることができないもの。
私とりんの間にも、ひとつだけ、絶対に変えられない運命がある。
それは、りんが私よりも一年多くの時間を歩いているということ。その時間は、絶対に巻き戻したり、追い越したりすることはできない。それは、生まれる前から決まっていたことだから。
だから、私を置いてりんが中学校を卒業してしまうことも、あらがえない運命のひとつだった。
りんの卒業式の日、私は朝から花束を買って、りんを迎えに学校へ行った。学校に着いた時には、ちょうど最後のホームルームが終わった直後だったようで、校門近くの広場にたくさんの卒業生と、親や先生といった大人たちが集まっていた。
私はすぐに、りんの姿を遠目に見つける。まだ他の友達と話していたようなので、人混みから離れた正門で少し待つことにした。
「ユキ!」
十分ほどして、りんが駆け寄ってくる。いつもの制服だけど、胸元のポケットには白い花が添えられている。海の色をしたリボンも、今日だけはなんだか誇らしげに見える。
「早かったね、もういいの?」
「うん。『最愛の人、来てるよ』って言われた。そんなんじゃないのに」
恥ずかしそうに髪の毛をいじるりんの仕草が可愛くて、思わず笑みがこぼれた。
「ふふっ。りん、卒業おめでとう」
用意していた花束を差し出すと、りんはぱっと笑顔になって私の手から花束を受け取った。桃色のガーベラやチューリップを中心に春らしいアレンジにしてもらいつつ、少しだけ水色の花も入れてもらった。私の予想通り、その花束はりんにとても似合っていた。
「嬉しい、ありがとう、ユキ」
幸せそうにりんが笑う。
「写真、撮るよ」
学校の名前が掲げられた銘板を背に、りんの写真をスマホで撮る。近くに居た人にお願いして、二人で並んだ写真も撮ってもらった。それから、りんにとっては最後になる校舎に背を向けて、二人で家へ帰る道を歩き始める。
「卒業するの、寂しい?」
「ちょっとだけ。楽しかったから、中学校」
もうすっかり見慣れた帰り道。大きな川を渡る橋の上で、りんが言う。
「ここを通るのも最後かなー」
学校のことは普段から話しているので、正直、卒業という特別な日だからといって話すことはあまり多くない。りんの服装以外は、いつもと何も変わらない帰り道。この習慣が明日から途絶えてしまうなんて、全く実感がない。
「ユキはあと一年通えるもんね」
「それ、余計に一年あるみたいに聞こえる」
私が抗議すると、りんは楽しそうに笑った。
あと一年。りんがいない中学校生活を想像する。それはきっと、小学校六年生の時と似ているはず。毎日ひとりで登下校して、同じメンバーとお昼ご飯を食べて、同じような授業を受ける毎日。もちろん、高校受験があるから、勉強は頑張らないといけないけど。
小学校の時はまだよかった。中学校に入れば、りんに会えるという保証があったから。
じゃあ、高校はどうだろう。りんと一緒の高校に行くべきなのだろうか。そもそも、一緒の高校に受かることができるのだろうか。
それに、その後は?
大学とか社会人とか、私たちが今まで学校で過ごした九年間よりもはるかに長い人生が、私たちの先には待っている。
その中で、私がりんとずっとに一緒にいられる保証なんて何もない。
「寂しい」
橋を渡り終えて交差点を渡ったところで、ふと呟いてしまった。
その声が聞こえていたようで、少し先を歩いていたりんは振り返って私を見た。
あと百メートルくらいで、私たちの帰り道は永久に終わる。
そう考えたら、急に足が動かなくなる。
「りんと、一緒にいたい」
それはわがままだ。私の自分勝手。りんのことが大好きだから、離れたくない。まるで聞き分けの悪い子供みたいな言い方。
でも、私には無理だった。この先ずっと、りんが私の隣にいるかどうかわからない人生なんて、耐えられない。私にそんな強さは無い。中学校で思い知った。私にはりんが居ないとダメなんだって。
「ユキ」
「ごめん、りん、あのね」
本当はこんなつもりじゃなかった。
この気持ちを伝えるつもりなんてなかった。
そんな困った顔を見たいわけじゃなかった。
喉元まで出かかった言葉を抑えようとする。
こんなタイミング、おかしいのわかってる。言うならもっと早く言うべきだって後悔してる。だけど、もう、抑えられない。
りんが私の言葉を待っている。
乾ききった喉を震わせる。
「好き」
自分でも驚くくらいか細い声に、りんが目を見張った。唾を飲み込んで、もう一度、声をあげる。
「りんのこと、好き」
「それって」
あたたかい風が吹いて、りんの髪と花束が揺れた。
「友達としてとか、幼馴染みとしてとかじゃない」
一度零れ落ちてしまった言葉に連なるように、ぽつぽつと、りんへの気持ちがあふれ出してくる。
「ずっと前から好きだったの。中学校の人たちと仲良くなってた時も、小倉先輩と仲良くしてた時も、本当は羨ましかった。りんの一番近くにいたかった。それだけ、りんが大好きだった」
気が付いたら視界が歪んでいて、目元を両手で拭う。私が泣く理由なんか無いのに、なぜか涙を止められない。
「だから、これからもずっとそばにいてほしい、ごめん、わがままで」
「ユキ」
静かな声で私の名前を呼んだりんは、一歩、二歩と私の方へ歩み寄ってきて、私が声を掛けるより先に、抱きしめられた。りんの手に握られた花束が、私の背中でがさがさと音を立てる。
「ずるいよ、ユキ」
「ごめん」
「なんで謝るの」
「だって」
震えるりんの声。りんの表情は見えない。たぶん、私と同じように泣いている。
「私だって、好きだもん、ユキのこと」
りんが小さな声で言った。なぜか、胸の奥がきゅっと苦しくなって、りんの体を強く抱きしめた。りんは私の胸の中で、一度大きく息を吸った。
「早く気付けって、ずっと思ってた。ユキ、鈍感だから」
「どうして」
「わかってるくせに」
そう。本当は、わかってた。りんがどんな気持ちを抱いているか。あまりにもわかりやすすぎた。
だけど、気付かないフリをしていた。きっと違うだろうって、心のどこかで勝手に思い込もうとしていた。そうしないと、私はまた、何かを間違えてしまうと思ったから。
嬉しいのか、寂しいのか、辛いのか、自分でも、もうよくわからない。
ただ、胸の中でたくさんの感情が暴れていて、苦しくて、私は泣いた。
りんが鼻をすする音と、呼吸と、鼓動と、花束とりんの香りが、私を包んでいる。
まるで時間が止まってしまったみたいだった。それでも、りんと私の心臓のリズムだけは、たしかに時が前に進んでいることを感じさせた。
私たちは何も言葉を交わさず、それでも、壊れてしまいそうなくらい強く、お互いを抱きしめていた。
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