34 - となりにいて
私とりんが一緒に過ごす時間は、りんの卒業が近づくにつれ、自然と増えていった。
まず、私は放課後に図書館で勉強して、りんの部活が終わるのを待つことにした。三年生だった図書委員が卒業して別の子と交代したからか、放課後の図書館はとても静かになり、勉強しやすくなったからだ。そうやってりんの部活と時間を合わせることで、ほぼ毎日、学校から一緒に帰るようになった。
その頃には、もう恥ずかしがらずに、どちらからともなく手を繋ぐようになっていた。ときどき、道端で会った同級生やりんの友人にからかわれたり、近所の人に「今も仲が良いのね」なんて言われたりした。だけど、私たちは少しも気にしていなかった。そこには、誰も立ち入ることができない、私たち二人だけの世界があった。
やがて秋が終わる頃、りんは受験勉強に専念するために美術部を引退した。そうなると、私も図書館に居座る必要が無くなり、学校が終わったら昇降口で待ち合わせて一緒に帰るようになった。
「小学校の時みたいだね」
そう言って、りんは笑っていた。
本当に、一年生の頃が嘘みたいに思える毎日だった。
学校から帰った後は、もっぱらどちらかの家に行って、りんは受験勉強を、私は学校の宿題をした。りんはサボり癖があったけど、なんだかんだ私と一緒だと勉強がはかどるらしく、時にはしっかり集中して、時にはだらっと漫画を読んだりして、二人きりの放課後を過ごしていた。
そんな日々は二学期が終わって冬休みになるまで続いた。
冬休みに入ってすぐ、私の部屋に小さなこたつが導入された。りんが寒がりなことを覚えていたお母さんが、「りんちゃんがよく遊びに来てくれるから」と買ってくれたのだ。一人用よりひとまわり大きいテーブルは楕円型をしていて、私とりんが並んだらちょうどいい具合に教科書とノートを広げて勉強ができる。私よりも、りんのほうがこたつをとても気に入って、冬休みはほぼ毎日、りんが私の部屋に入り浸るようになった。
大晦日の前日も、いつも通り私の部屋で勉強をしていた。ちょうど去年の今頃は、秋穂が入り浸っていたな、とふと思い出したりしていた。
「ちょっと休憩ーっ」
りんはそう言って、こたつに足を入れたまま床の上に寝転がる。
「いま始めたばっかじゃん」
「えー、もう十五分もやったよお」
今さら「短すぎない?」なんて突っ込む気にもならず、私もシャーペンを放り出してりんの隣で横になる。カーペットとこたつのおかげで、寒さはまったく感じない。むしろ、足元は少し暑く感じるくらいだった。
「今年も終わりだねえ」
りんのその一言が、ますます勉強の空気ではなくただの年末感を醸し出してくる。
「りんの来年の目標は?」
「うーん、高校生活を楽しむ、とか」
「じゃあまずは勉強しないと」
「ユキ、先生みたいでイヤ」
半笑いでりんが言い、私もつられて笑う。
「……卒業、かあ」
不意にりんが、ぽつりとつぶやいた。
「もうすぐだね」
「三学期は短いから、本当にあっという間なんだろうなあ」
ふとした拍子にりんの左手が私の右手に触れて、そのまま私の手を優しく握った。りんは私を見て、困った様子で笑った。
「ユキとも、会えなくなるんだよね」
りんの指が、私の指と絡まる。
「会えるよ。家は近いんだし」
「それはそうだけどさ」
りんが寝返りをうって私の方を向く。私の腕に抱きつくようにりんの身体が近づいて、りんの体温と、優しい花の香りを近くに感じる。
「中学校とは逆方向だから、ユキと一緒には行けないし。たぶん、家に帰るのもずっと遅くなる。だから、土日しか会えないかも」
りんが目指している高校は、通うとしたら電車か自転車を使うことになる。りんは高校でも部活に入るだろうし、中学生の私とは生活圏もたぶん違う。あと、これは私の勝手なイメージだけど、高校生は中学生よりもっと自由に遊べるようになると思う。中学生では行けない場所にも遊びに行くし、お小遣いだって増えるだろうし、少しは家に帰るのが遅くなっても怒られないはず。そしたら、りんは今よりもっと活発に色々なことを始めるに違いない。新しい友達もたくさんできて、いろんなところに遊びに行って、私が知らない、想像もできないような体験をする。
私がまだ中学校に留まっている間に、りんはまた、大人になっていく。
一年生の時に感じていた孤独感を微かに思い出しながら、私はりんの肩に触れた。
「土日も会えるし、連休も会えるし。それに、高校生になったら私の家にお泊りとかできるんじゃない?」
「あ、それいいかも。お母さんに聞いてみよ」
私がぱっと思いついたアイデアは、ほんの一瞬だけりんの顔を明るくさせたけど、すぐにまた、りんは目を伏せる。
私たちの間は、未来への不安が横たわっていた。
中学生になる時、私たちはまだ、未来というものが何なのかはっきりと認識していなかった。それが、わずかな時間でも成長した今は、行く先に待ち受けるものが少しずつ見え始めている。次は高校生、そして大学生、さらにその先も、自分の身に何が起こるのか、なんとなく予想できる。
でも、その未来に私たちが二人で一緒にいられるかどうかは、わからない。
いくら考えたところで、そんな保証は得られない。それは自分の力ではどうしようもできないことで、結局は運命に身を委ねるしかない。
そんな不安が、私たちの中で大きくなっていくのを感じる。
「りん」
私もりんの方に体を向けた。あと数センチも近づけばキスができるくらい近い距離で、不安を映したりんの瞳を見つめる。
いま、どんな言葉をここに落としても、それは慰めにもならない。ただ、私たちの不安に飲み込まれて消えていくだけ。
「嫌じゃなければ、だけど」
そう前置きをすると、りんは不思議そうに私を見た。
「ぎゅってしたい」
「え」
私の言葉に驚いたりんは、身体を起こして私を見た。慌てて私も体を起こす。
「違うの。嫌じゃなかったらでよくて」
「ううん、嫌じゃなくて。えっと、私も同じこと考えてたから、それで驚いて」
数秒の沈黙。何も言葉が見つからなくて、とりあえず、二人で無意味に笑いあう。
りんは私の腕をそっと引いて、自分の頭の下へと入れた。誰かに腕枕するなんて初めてのことで、どうすればいいのか全くわからない。だけど、私の胸元でりんが赤ちゃんみたいに丸くなると、自然とその背中に手を添えることができた。
「ふふ、あったかい」
りんが小さな息遣いとともに、そう囁いた。
手を繋いだ時とか、りんが私に抱きついてきた時よりも、ずっと近くにりんを感じる。呼吸とか、鼓動とか、体温とか、優しい花の香りとか、りんを構成しているすべてが、私の身体に伝わってくる。緊張が少しずつ解けていって、代わりに心地良さを感じる。生まれて初めて感じる気持ち。うまく言葉にできない、くすぐったくて恥ずかしいけど、愛おしいような、そんな感情が私の中を満たしていく。
「ユキ」
りんが私にだけ聞こえる声で私を呼ぶ。私の肩に手を回したりんは、腕の力を少しだけ強めた。
「これ、すごい安心する」
「私も」
内緒話をする時みたいに、ほとんど息遣いにしか聞こえないひっそりとした声で、私たちは囁きあう。
「ユキ」
「うん」
「……呼んでみただけ」
「なにそれ」
それ以上、私たちは何も言わずに、しばらく抱き合っていた。
胸の中には、りんの呼吸と鼓動の音だけが、小さく響いていた。
本当は、りんの気持ちを知りたかった。
私のことを大切だと思ってくれている。私が間違えたこととか、迷ったことを許してくれて、こうやって誰よりも近くにいてくれる。
だけど、そんなりんを「好き」だと思っているのは、きっと私だけなのかもしれない。
その気持ちを知ってしまったとしても、りんは私のそばにいてくれるだろうか。
それでも、私にはこの思いを伝える勇気なんて無い。
一年生の時の、りんがいない中学校生活で感じた孤独が、何度も頭の中に蘇ってくる。
きっと、伝えてしまったら今までの私たちじゃいられなくなる。その現実を受け入れることができるかもわからない。だから、怖い。この気持ちを伝えることなんてできない。でも、伝えないと、このまままた、離れてしまいそうな気がする。
結局、りんが離れていても、近くにいても、同じこと。
正解なんて無い。その中でも、正解だと思う道を選んで、前に進むしかない。
私たちは抱き合ったまま、気付かないうちに眠りに落ちていた。
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