32 - 告白

 砂浜で遊ぶのに満足した私たちは、着替えて海沿いのカフェで休憩することにした。テラス席に座ると、頬を撫でるほどよい強さの海風が、さっきまではしゃいでいた私たちの熱を少しずつ冷ましてくれる。

 お昼ご飯のトマトクリームパスタを食べて、心地よい疲労感と微かな眠気に身をゆだねながら、食後のアイスティーを口に含む。


「こんなに海で遊んだの、はじめて」


 りんが言った。


「そうなの?」

「中学に入ってからは全然。小学校でもあんまり遊んだ記憶はないかな」


 海のほうに目を向ける。さっきより雲が減ってきたのか、降り注ぐ日の光が強くなり、海面できらきらと反射して宝石のように輝いている。


「一人でこのあたりを歩いたりはしてたけど。なかなか海に入ろうとは思えなくて」

「私も、りんに誘われないと海で遊ぶことなんてなかったかも」

「でしょ。ユキがいてよかった」


 その言葉は深い意味を持っていないとしても、不思議と私の心にじわりと沁み込んで、体を熱くさせた。

 りんが海を好きなのは容易に想像できる。りんの絵はなんとなく海をモチーフにしているように感じられた。それに、りんが話す口ぶりからも、いま、静かに青い海へ向けられたりんの瞳からも、りんが海に何か特別な感情を抱いていることが伝わってくる。


「ユキ」

「うん」 


 りんは海に目を向けたまま、少し黙って、意を決した様子で言った。


「もし、もしもの話だよ」

「うん」

「もしも、私がね」


 りんが大きく息を吸って、吐き出す。私は静かに次の言葉を待つ。


「もしも、私が、女の子のことが好き、って言ったら、嫌いになる?」


 そう言った瞬間、りんが目を伏せた。グラスを包む小さな両手の指に、少しだけ力が入る。まるで、何かを祈るように。

 私はふと、りんの絵を思い出した。言葉で表せない、りんが抱えている心の欠片たち。迷いとか、葛藤とか、不安とか、りんがずっと心の中で抱えていた感情。その感情が、いま、ようやく分かった気がした。

 言葉にするのは難しい。だけど、ずっと、生まれた時からずっとそばに居たから、りんの気持ちは理解できる。


「嫌いになんてならないよ」

「ほんとに?」

「ほんとに」


 秋穂が言っていた。恋と性別は関係ない。そして、それが分からない人、受け入れられない人も、世の中にはまだきっといる。りんのこの告白が、どれだけ勇気が必要な行動で、どれだけの決意の上に成り立っているか、痛いくらいにわかる。


「だって、りんが誰のことを好きになっても、りんはりんだから」


 私の言葉にりんは息をのんだ。そしてすぐに緊張していた顔をほころばせて、ありがとう、と小さな声で言った。


「それにね、私も多分そう」

「ユキも?」

「そ。性別と恋愛対象は関係ないタイプ」


 私が言うと、にわかには信じられない様子で、りんは目を丸くしていた。だけど、私が表面的な嘘や慰めでそんなことを言わないことを、りんは知っている。じっと私を見た後、りんは少しだけ安堵した様子で、ストローに口をつけた。


「聞いていいのかわからないけど」

「りんに聞かれて嫌なことなんてないよ」


 ぱっとそんな台詞が出てきて、自分でも驚く。りんも一瞬目を見開いたあと、少しだけ迷った様子で、でもゆっくりと口を開いた。


「秋穂ちゃん?」


 りんの問いに、私は曖昧に頷く。


「付き合ってはないけど」

「そうなんだ」

「告白、っていうか……気持ちを伝えられて、それからすぐ転校した」

「伝えたかったのかな、いなくなる前に」

「そうかもね」


 今となっては、秋穂のことを知るすべはない。あの雪の日に、秋穂が何を思っていたのか。転校する前に、秋穂が何を考えていたのか。私と手をつないだ秋穂がどんな気持ちだったのか。私に何を伝えたかったのか。それを秋穂から聞くことは、もうできない。


「ユキは……好きだったの、秋穂ちゃんのこと」


 その質問に、私はとっさに答えることができなかった。少なくとも、友達以上の存在であったことは間違いないと思う。だけど、それが「好き」という感情だったのかどうか、今でもよくわからない。


「わからない。けど、私に大切なことを教えてくれた友達だった」

「そっか」


 りんはそれ以上、秋穂のことに踏み込んでこようとはしなかった。


「りんは小倉先輩が好きだったの?」


 私が聞くと、りんは頷いた。


「最初はわからなかったの。憧れというか、ほら、好きなアイドルが近くにいる、みたいな感情に近くて。でも、なんて言えばいいかわからないけど、もっと近づきたい、って思って」

「したの、告白」


 私が聞くと、りんは吹き出した。


「まさか。私、臆病だし。先輩がもしじゃなかったら、嫌われるかもしれないし。何も言えないまま、先輩は卒業しちゃった」

「そうなんだ」


 りんには申し訳ないけど、こっそりと安心している自分がいた。同じような小さな喪失感を、りんも抱えていると知ることができたから。でも、たぶん、りんも同じことを考えていたと思う。


「ごめん。迷惑だったよね、こんな話」


 りんが言う。


「迷惑じゃない。りんのことは知っておきたい、全部」


 私が答えると、りんはまっすぐ私の目を見た。


「うん。知っておいてほしいって思った。私のこと、全部。わがままで、ごめん」

「私だって、ずっとりんにわがまま言ってきたから。学校も部活もうまくいって、友達と仲良くできて、みんなに好かれてるりんに嫉妬して、自分勝手に距離を置いたりしてたから。だから、私もごめん」


 じっと、りんの瞳を見つめる。

 丸くて、くりくりと大きな瞳。幼いころからずっと変わらない、優しくて、繊細で、でもどこか力強い眼差し。引き寄せられるように、私たちは見つめ合う。


 そのうち、妙な緊張感にたえかねて、私たちはどちらからともなく笑いだす。りんは楽しそうに笑いながら、首に振った。


「もう、謝るのナシ。お互いにね」


 飲みきったグラスの中、氷が溶けてできた水が溜っていく。

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