31 - 海

 夏休みになってすぐ、私はりんと水着を買いに行った。数時間かけて吟味したうえで、私は生まれて初めて自分の水着を買った。りんのアドバイスのもと、私が選んだのは黒いワンピースの水着。りんが言っていた通り、上から何か羽織ればほとんど洋服と区別がつかない。これなら着ても恥ずかしくないと思えたし、デザインも結構気に入っていた。


 お母さんに海に行きたいことを伝えると、「人がいないところに行かないこと」「足首より深いところには絶対に行かないこと」を条件に、思っていたよりはあっさりと許してくれた。りんも同じような感じだったらしく、しかも「ユキちゃんが一緒なら安心」とまで言われたらしい。


 そんなわけで、水着を買った数日後、私たちは電車で三十分ほどのところにある海水浴場に来ていた。残念ながら快晴とはならず、薄い雲がかかる向こうに微かに青い空が見えるような天気だった。それでも、雲に遮られて穏やかになった日差しは優しく、私にとっては、むしろ過ごしやすくて助かるとすら思えた。

 りんの水着は淡いオリーブ色のフリルキャミソールで、私の水着よりずっと可愛く見えた。


「水着、可愛い」


 私が言うと、りんは嬉しそうに笑った。


「えへへ、ありがと。ユキも似合ってるよ」

「ほんとに? 変じゃない?」

「大丈夫、すごく大人っぽい」


 りんが言うなら本当に大丈夫なんだろうと安心する。りんは私の手を引いて、砂浜にいる人たちの間をかき分けて波打ち際へと向かった。りんの手を握ったのは本当に久しぶりだった。あたたかくて柔らかい手のひらの感触に、懐かしさすら覚える。さらさらと乾いた砂の中に、ビーチサンダルが沈んでいく。指の隙間に絡まった細かい砂は、微かに熱を帯びていた。


 りんに手を引かれるまま、乾いていた砂から濡れている砂へと足を踏み入れていく。吹き付ける海風が髪の毛を巻き上げて、耳元でごうごうと音を立てた。

 すぐにやってきた波が、私たちの爪先を濡らした。


「冷たいっ」


 りんが悲鳴を上げる。次の少し大きめの波が、私の足の指に思い切りかかり、私もりんと似たような悲鳴をあげた。砂浜の熱に比べたらずっと冷たい水に、思わずその場で足踏みする。りんも同じように足踏みをして、水しぶきが私の太ももにかかった。


「ちょ、冷たいって」

「だって!」


 りんはそう言いながらも、楽しそうに笑っている。少しずつ水の冷たさに慣れてきて、魔が差した私は、もう数歩進んで足首くらいまで海に入ったあと、りんに向けて思い切り足を振り上げた。私の爪先から綺麗な弧を描いた海水が、りんに命中して水着を濡らす。りんの喉から、今まで聞いたことが無いような悲鳴が溢れた。


「ちょっと、ユキっ!」

「冷たかった?」

「もー!」


 怒ったりんが、両手で水をすくって私にばしゃばしゃとかけ始める。私もお返しに私も水を思いきりかけると、りんがまた悲鳴をあげる。

 そうやって水をかけあって、子供みたいにひとしきり笑う。

 しばらく水遊びをして海の冷たさにも慣れてきた頃、りんが少し離れた砂浜を指さして言った。


「ねえ、ちょっとあっちのほう行ってみよ」


 とくに遊び道具を何も持ってきていなかった私たちは、足がつく範囲で海の中を少し散策した。人が多く遊んでいるところから少し離れて、砂浜にあがる。ふと足元を見ると、小さな貝殻がいくつか落ちているのが目に入った。


「貝殻落ちてる」

「むこうにもあるね」


 りんがそう言って駆けていく。数メートルほど離れたところで、りんは自分の手のひらの大きさくらいある貝殻を拾って私に見せた。


「え、おっきい」

「ね」


 りんが嬉しそうに笑うと、その場にしゃがみこんで大きな貝をそばに置き、湿った砂を両手でかき集め始めた。私もりんの隣まで歩いて、同じように砂を集める。


「ケガしないようにね」


 こくりと頷いたりんの瞳は、きらきらと子供みたいな輝きに満ちていた。

 私とりんの両手で集められた砂は、直方体や円筒といった立体になる。その立体は、小さな貝殻や、そのあたりに落ちていたプラスチック片、シーグラスといった漂着物で装飾されていく。そうすると、意味の無かった立体が、家やお店といった役割を持ち始める。


「懐かしいなあ」


 りんが手を動かしながら言う。


「小さい時もさ、こうやって遊んでたよね、二人で」

「うん。すみれ公園の砂場でお城作ってた」

「ユキ、すごかったもん。すっごいおっきなお城作ってて」

「りんだって、可愛い家、たくさん作ってたじゃん」

「お城がすごかったから、つい混ざりたくなっちゃって」


 そんなことを話しながら、私たちはあの時と同じように、小さな家をいくつか作っていく。バケツも何も道具が無いので、あまり大きなものは作れなかった、それでも、ほんの数十分ほどで、足元には小さな海辺の町ができあがっていた。貝殻で囲った公園や、石英の石畳、海藻の生垣や小枝で作った街路樹、シーグラスの小窓。

 他人には説明しないとわからないかもしれない。だけど、私とりんの間では、何も言わなくても、砂浜に現れたこの小さな町のイメージを共有できていた。


 りんは防水ケースの中に入れたスマホで一通り町並みを撮影したあと、私のほうをちらりと見た。


「写真、一緒に撮らない?」


 まるで私の反応をうかがうかのような聞き方に、私もつられて曖昧に頷く。私とりんは町並みをバックに横に並び、りんが手を伸ばしてスマホのインカメで画角を探す。


「うーん、さすがに無理かなあ」

「ちょっと厳しいかも」

「仕方ないね」


 結局、私たちの芸術品を写すのはあきらめて、代わりに身を寄せ合って写真を撮った。りんのまだ濡れている肩が私の肩に触れると、りんの素肌の輪郭を感じて、なんだかくすぐったい気持ちになる。


「撮れた」


 そう言って、りんは嬉しそうに笑った。

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