30 - お弁当

 冬が終わり、雪解け水が少しずつ流れ出すように、私たちは二人の時間を少しずつ取り戻していった。

 一番大きな出来事は、次の水曜日からランチデーが再開されたことだった。待ち合わせは前と同じ昇降口。二年生の教室は二階に、三年生は一階に移ったから、ランチデーのために階段を下りる時間が減り、ほんの数秒でも早くりんと会えるようになった。


 前と同じ、庭園の低木の向こう、二人きりのベンチに座ったところで、りんが私にナフキンで包まれた小さな箱を手渡した。


「これ、作ってきたの」


 その箱は楕円形をしていて、その見た目から明らかにお弁当箱だとわかった。


「二年生になったら作ってほしいって言ってたの、覚えてる? 遅くなっちゃったけど」

「嘘、ほんとに?」


 急いでナフキンをほどくと、可愛らしいクマのイラストがあしらわれた、お弁当箱の蓋が姿を現す。そっとふたを開けてみる。ブロッコリーやミニトマト、卵の厚焼きとウインナー、小さなおにぎりといった色とりどりのおかずが、ぎゅっと詰められていた。


「すごい……嬉しい」


 あまりの嬉しさに、お礼も忘れて思わず言葉を失ってしまう。


「でもユキ、自分のごはん持ってきてるよね」

「ううん、食べる、自分のもりんのも両方食べる」

「ええ!? お腹壊しちゃうよ」

「冗談。私のはコンビニのだから、別に夜食べたらいいし」


 私がそう言うと、りんはほっと胸をなでおろした。


「ありがとう、りん。すごく嬉しい」

「お口に合えばいいんだけど」


 りんの心配は杞憂だった。お弁当の味付けは、びっくりするほど私の好みを掴んでいた。美味しいだけじゃなくて、厚焼きのだしの濃さとか、おにぎりの具材のチョイスとか、どれも事前に私に聞いていたかのような当たり具合だった。


「美味しい、ほんとに。なんでこんな私の好みわかるの?」


 思わず聞くと、りんはくすぐったそうに笑った。


「なんとなく、わかるから。ユキの好み」


 当然のようにそう言われて、私は恥ずかしくなって思わず顔を伏せた。


 ランチデーのお昼休みは、その時間だけでは全然足りないくらい、たくさん話をした。最近の出来事とか、部活のこととか、私のクラスのこととか、冬休みや夏休みのこととか。この半年間で欠けていたお互いの記憶を、丁寧に拾い集めて伝えあった。

 それでも、お互い決して口にしない話題もあった。小倉先輩と秋穂のこととか、ファーストキスのこととか。たぶん、りんもわかって避けていたんだと思う。私たちは少しずつ以前の距離感に近づきつつあったけど、まだ、心の奥底に沈んでいるもやもやとした何かを見せられるほどには、戻りきっていなかった。


 それを見せたら、また何かが壊れてしまうのを恐れていた。


 ときどき、会話が途切れた時に落ちてくる、ほんの数秒ほどの沈黙で、私たちはお互いに心を探り合っていたと思う。結局、次に出てくる話題は他愛のない日常の話ばかりだった。


 そうやってランチデーの回数を重ねるごとに、夏が近づいてくる。気温が高くなり、さすがに外で食べるのはもう厳しいかもしれない、次はどうしようか、なんて話し始めた頃。


「中学生最後の夏休みにね、ユキとやりたいことがあるの」


 その日は日差しが強くて、二人の間に大きめの日傘を差して、小さな影の中に二人で肩を寄せ合って入っていた。すっかり定着したりんの手作りお弁当を食べ終えたところで、りんが私に言った。


「海に行きたいっ」

「海? え、それって、海で遊ぶってこと?」

「そう!」


 思っていたよりもハードルが高いお願いで、少し怖気づいてしまう。海なんてもう何年も行ってない、というより、最後に行ったのがいつかすら思い出せない。水着だって、学校の授業で使っている水着しか持ってない。そんなにスタイルに自信があるわけじゃないし、そもそもプールだって得意なわけじゃないから、泳げる自信さえも無い。

 少し考えただけでもこれだけの不安が浮かび、それが顔に出ていたらしい。


「イヤ……?」


 私の顔を見たりんが不安そうに覗き込んでくる。


「嫌、じゃない、けど、恥ずかしい、かな、水着持ってないし」

「大丈夫、私が選んであげるから! 今は服みたいに着れる水着も多いんだよ」

「そうかもしれないけど、あと、私泳げないよ」

「私も泳ぐつもりはないよ。ちょっと水に入って遊んだりとか、砂浜散歩したりしようよ」


 りんは私と一緒に海に行って、楽しいと思うのだろうか。たぶん、楽しいと思えるから、誘っているのだろうけど。

 りんと一緒に海に行くところを想像しようとする。けど、私の想像力が足りなくてうまく考えられない。


「どこに行くつもりなの?」

「崎代海岸ってとこ! 電車で三十分くらい。けっこう広めの海水浴場で、貝殻も拾えたりするんだって。あと、近くにカフェもあるから、ここもユキと行ってみたいな」


 りんがスマホで調べたページを見せながら説明してくれる。私の中で「海は泳ぐ場所」というイメージしかなかったけど、りんの話を聞いていると、いろんな遊び方やスポットがあるらしい。そんな話を聞いているうちに、なんとなく私も、楽しいと思える気がしてきた。


 何より、好きな人と遊びに行けるのだから。


「結局、中学校、あんまりユキと遊べなかったから。最後に思い出、作りたくて」


 りんが静かな声でそう言った。

 単純だけど、その言葉が私の背中を押した。


「いいよ」


 私が言うと、りんはぱっと笑顔を咲かせて私に抱き着いてきた。


「ありがとう、ユキっ!」


 やわらかい花の香りが、ふわりと漂った。

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