27 - 電話
一年生最後の出来事のせいで、私は春休みの間ずっと、りんのことを考えてしまうようになった。放課後、誰もいない昇降口で見たりんの姿と、笑顔と、声が、私の脳裏から離れなかった。
りんが言っていた。また一緒に帰ろうって。でも、本当に一緒に帰れるかどうかは、実は私にとってあまり重要じゃない。一緒に帰ろうと言ってもらえたことが、何よりも私の胸を満たしていた。たったそれだけの言葉で、舞い上がってしまう自分が恥ずかしい。それだけ、りんの言葉は特別だった。
同時に、抱えきれないくらいの不安に苛まれるようになった。原因は明確だった。りんが卒業するまで、本当にこのままでいいのだろうか。このまま逃げ続けて、いいのだろうか。そんな焦燥感が、私の心に再び生まれていた。
秋穂がずっと私に言い続けていたこと。それは、逃げるのをやめて、りんと話すこと。
――きっとユキは、伊咲さんと一緒にいる運命なんだと思う
また、その言葉を思い出す。
私が修了式の日、昇降口でりんと会ったことは、たしかに運命らしさがあった。
でも、私がロッカーの向こう側を見なければ、りんが前と同じように私と接してくれなければ、たぶん、今、こんな迷いは生まれていなかったと思う。それは、私たちの選択だった。
下手をすれば、もう二度と会うことも、話すこともなかったはずの好きな人と、もう一度会って、話すことができた。そして、もしかしたら、これからも話すことができるかもしれない。そんな希望を抱いてしまう。
そう。りんのことが好きなんだ。
それは、もうどうしても誤魔化せない事実だった。
でも、この気持ちを伝えたいとは、あまり思わない。別にりんに他に好きな人がいても、恋人がいてもいい。私の片思いでも、ただの幼馴染のままでもいい。
ただ、りんと話したい。前と同じように、くだらないことでも真剣なことでも、心から話して、笑ったり泣いたりしてほしい。それ以上のことは、何も望まない。
春休みの日を追うごとに、その気持ちはどんどん大きくなっていって、抑えられなくなった。そして、春休み三日目にして、ついに宿題にも手がつかなくなった私は、りんに電話をしようと、すぐそばに置いていたスマホに手を伸ばした。
スマホを手に取った瞬間、さっきまで抱いていた希望がろうそくの火みたいに吹き飛び、疑心が胸を満たす。
もう一人の自分が言う。
電話して、どうする? 何を話す? 今さらじゃない?
りんは今年から三年生。一緒にいられても、もう、あと一年しかないのに。
違う。
あと一年しかないからこそ、選ばないといけない。あと一年でも、一週間でも、今、この瞬間だけでもいい。声が聞きたい。
スマホのロックを解除して、連絡帳のお気に入りからりんの名前を探す。画面に表示される電話番号を見ただけで、怖くて手が震えた。
やっぱり、いきなり電話したら迷惑かな。せめて、メッセージにしておこうかな。
無意識に浮かび上がる「逃げ」への誘惑を振り切り、私は通話ボタンを押す。
震える手でスマホを耳元に当てる。数秒の無音の後、規則的な機械音が、相手を電話口に呼び出していることを知らせる。その呼び出し音はすぐに途切れた。
無音の時間が僅かに流れた後、息を吸う音が聞こえた。
『もしもし?』
電話口からの声に、私は息を詰まらせる。
『ユキ?』
「うん」
『どうしたの、急に』
数秒ほど沈黙してから、私は取り繕うのをあきらめた。乾ききった喉を必死に震わせて、声を出す。
「ごめん、電話したくなって」
『なになに、寂しくなっちゃった?』
電話の向こうで、いたずらっぽく口角を上げるりんの姿が目に浮かぶ。
私は一瞬だけ返事を躊躇って、でも、正直に言った。
「うん、寂しくなった。りんの声が聞きたくて」
自分でも恥ずかしいことを言っている自覚があって、かっと顔が熱くなるのを感じる。私の返事に、りんは少しだけ黙り込んで、そっか、とだけ言った。
「てかさ、電話、出るの早くない?」
私が言うと、りんは上ずった声で答える。
『えっと、スマホ、持ってたから、っていうか』
僅かな間があいたあと、りんは小さな声で言った。
『実はユキに電話しようと思ってました』
そう言われたら、なぜかふっと緊張の糸がほどけて、思わず笑ってしまった。
「ふふっ、なにそれ。すごい」
『ね、すごい偶然でしょ。びっくりした、電話しようかなってスマホ持った瞬間、ユキから電話かかってくるんだもん』
「なんだろ、テレパシー飛んでた?」
『あははっ、そうかも』
りんの楽しそうな笑い声を聞いて、さらに身体から力が抜ける。椅子に座って、机の上に置いてあった消しゴムを指先でいじりながら、久しぶりの声に耳を傾ける。明るくて朗らかで、でも聞いていたら落ち着くような、懐かしさすら感じる声。
『元気?』
「元気だよ。りんは?」
『元気元気。春休み、何してる?』
「……勉強」
『うわあ』
「うわあってなに」
『ユキ、相変わらずだなあって』
電話の向こうでがさごそと音がする。きっと、ベッドに座り込むか、寝転んで電話しているんだろうと容易に想像がついた。
「りんはなんで電話しようと思ったの?」
『えー? ユキの声が聞きたいなーって思って』
「からかってるでしょ」
『バレた?』
ころころと楽しそうにりんが笑う。
『でも、半分本当だよ。残り半分は、言いたいことがあって』
思い付きでスマホを手にした私と違って、りんは電話をかけてきた用事がきちんとあるようだった。
『去年、美術部のコンテストあったの覚えてる?』
ぱっと、あの文化会館での出来事が脳裏に蘇り、背筋が冷える。
「うん」
『今年もあってね。それで、ユキに伝えたいことがあるの』
電話口の向こうのりんは、どこか興奮を隠せない様子でそう言った。
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