25 - 春の兆し

 二回目の別れの季節。

 それは、中学二年生になる少し前、春の兆しが見え始めた頃だった。


 冬休みのすぐ後、再び席替えがあった。秋穂は三学期の初日から休んでいて、私は秋穂と顔を合わせることが無いまま、教室の端と端くらい離れた席になった。その代わりに千夏と隣の席になって、学校にいる間はもっぱら千夏と喋るようになった。学校が終わってからも、千夏たちが部活に行くまでちょっと喋っているあいだに、秋穂は一人で帰っていた。

 あの夜の出来事が夢だったように思ってしまうくらい、秋穂と関わりが無い日が続く。


 そして一週間後、月曜日、朝のホームルーム。

 それは突然だった。

 いつも通り教室に入ってきた先生は、出席を取る前に教卓に両手をついて、心なしかいつもより大きめの声で言った。


「えー、雪谷秋穂さんですが、ご両親の都合で先週転校されました」


 次の瞬間、ほんの少しだけ、教室がざわつく。そのざわつきよりもずっと大きな音で、私の心が波立った。教室の端、秋穂の席に目を向ける。もちろん、そこに秋穂はいない。

 先生はそれ以上秋穂のことには触れず、いつもと変わらず出席を取って連絡事項を伝えた後、教室から出ていった。


「ユキ、知ってた?」


 隣から身を乗り出してきた千夏に聞かれて、首を横に振る。


「なんだろ。親の転勤? 離婚とか?」

「うわ、ありそう」


 前の席に座っていた子やまわりの子たちも、今まで秋穂に興味なんて持ってなかったくせに、ここぞとばかりに話に入ってくる。


「わからない、けど、詮索しないほうがいいでしょ」


 他の子たちが好き勝手言い出しそうになるのをけん制した。私がそう言うと、その子たちはひどくつまらなさそうな、冷たい視線を私に投げながらも、すぐに黙った。ほどなくして一時間目の国語の先生が入ってくる。秋穂がいなくなった教室で、いつも通りの授業が始まった。

 後から別の子に聞いた話だと、秋穂は小学校六年生の時にこのあたりに引っ越してきたらしい。両親がいわゆる転勤族で急な引っ越しが多く、ここに来る前にも何度も引っ越しを経験している転校生だった。だから、小学校の頃からの顔なじみがいる私たちと違って、クラスに馴染めなかったし、馴染むつもりもなかったのかもしれない。


 結局、秋穂の転校に対するみんなの関心は、午後になる頃にはすっかり薄れていた。私よりも秋穂と仲の良い人なんてたぶんいなかったし、みんな秋穂にそこまで興味が無かったのだと思う。さして仲良くないクラスメイトが一人いなくなったところで、学校生活は何も変わらない。詮索をするほど興味も無いし、それより隣のクラスの野球部のエースが誰に告白されたかのほうが、みんなにとっては重要な話題だ。

 私だって、この一週間は秋穂がいなくても普通に学校生活を送っていた。秋穂がいなくなったからといって、何かが変わるわけじゃない。キスはしたけど、恋人になったわけでもない。


 秋穂は私に一方的に想いを伝えて、そして消えていった。

 もしかしたら、あの日の時点で引っ越すことは決まっていたのかもしれない。だから、付き合いたかったわけじゃないと思う。中学生で遠距離恋愛なんてできるわけない。それくらいは私にもわかる。

 それに、私は秋穂のことが好きだったのかと言われると、正直わからない。

 秋穂に抱いていた気持ちは、好きとか、嫌いとか、恋とか、そういうものじゃなくて。心はとても近づいていたのに、どこか離れておかないといけないような、微妙な距離感を感じていた。

 だけど、私の考えと秋穂は少し違ったのかもしれない。秋穂は最後の最後で、私に思いを伝えていったから。


 秋穂は他にも、私への思いの欠片をたくさん残していった。

 いつもふわりと広がっていた甘い花の香りとか、一緒に帰った帰り道とか、二人の自撮り写真とか、鞄に入れた紅葉とか。秋穂が残していった言葉とか、当てられた雪玉の冷たさとか、唇の熱とか。

 そんな欠片たちひとつひとつが私の心に刺さり、じわじわと熱を持って残り続けている。

 その熱に触れるたびに、私は何を選ぶべきだったのか、自問してしまう。


 でも、きっと正解なんて無かった。

 秋穂は秋穂自身の意志で、道を選んでいた。ずっと前から決まっていたこととか、中学生の私たちではどうにも変えられない運命の中で、取るべきだと思う行動をとった。その結果として残ったのが、最初で最後のキスだった。


 運命。私たちはきっと、いろいろな運命の中にいる。

 生まれる前から決まっていたこと。もしくは、私たちの力では変えられないこと。

 秋穂が転校してきたことも。席替えで私と秋穂の席が近くなることも。秋穂と私の家が近かったことも。そして、秋穂が転校していったことも、私たちの力では、どうしようも変えられなかった出来事。それでも、秋穂はたしかに、秋穂としての道を選んでいた。


 ――きっとユキは、伊咲さんと一緒にいる運命なんだと思う


 今になって、秋穂の言葉が不思議な重みを帯びてくる。

 もし、秋穂が言っていた運命とかいうものがあるとしたら。その運命の中で、私は何を選ぶべきなんだろう。

 元に戻らない時間とか、抗えない運命の中で、私はどうやって、何を選んで進むべきなんだろうか。

 言葉にしがたい静かな喪失感を抱えながら、そんなことを毎日考え続けていた。

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