23 - 冬

 心が静かに抱えている苦しみは、やがて時間とともに流されていくことを知った。

 秋が終わって冬の寒さがやってくると、不思議と私の気持ちも落ち着いていった。いや、落ち着いたというより、ただただ沈んでいったといったほうが正しいかもしれない。りんへの恋心は綺麗な形を保ったまま、ドライフラワーみたいに色彩を失っていった。後悔は何も生み出さないことに気付いてから、私はできるだけ、自分の気持ちを押し殺した。何も考えないようにした。そうしているうちに、私の心は何も感じなくなっていった。


 りんから送られてくるメッセージの頻度は、少しずつ減っていった。単純に忙しくなったのか、あるいは私と話すのを避けていたのか、それはわからない。不思議と学校で見かける頻度も減っていって、いよいよ私の生活からりんの姿が消えつつあった。

 私は、その事実を受け入れようとした。

 無理やり、仕方ないことだと思い込もうとした。


 秋穂とは相変わらず仲良くしていた。紅葉狩りのあとも時々一緒に帰っていたし、私の家に遊びに来て二人で宿題をすることもあった。

 私が泣き顔を見せたあの日から、なんとなくふっきれたというか、秋穂なら何も気を使うことなく話せるようになった。秋穂は私の気持ちを踏みにじらない、絶妙な塩梅を理解していた。むやみに同情したり励ましたりはしないし、かといって茶化したり馬鹿にしたり、説教してくることもない。ただ、淡々と自分の話したいことを話すし、私の話を聞くときは、きちんと受け止めてくれる。そんな秋穂の程よい距離感が、心が冷え切っていた私にとってとてもありがたかった。

 あの日から、秋穂はりんのことを聞かなくなった。私も、秋穂の前でりんのことを話さなくなった。そもそも、他の人にもりんのことは話さなくなった。できるだけ、りんのことを思い出さないようにしていた。りんのことを思い出すと、あの紅葉狩りの日、小倉先輩と歩くりんの姿を思い出してしまうから。


「ユキってさ、冬休み何するの?」


 終業式の日、帰る前に秋穂に声を掛けられる。


「えっと、勉強?」

「本気で言ってる?」


 秋穂が気持ち悪そうな顔を見せる。


「だってやることないし。秋穂こそ何するの?」

「いろいろー? 遊びに行ったりとか、漫画読んだりとか。てかユキ先生、家にいるなら宿題やりに行ってもいいですか」

「別にいいけど」

「やった!」


 そんな流れで、冬休みの初日から、秋穂は宿題を持って私の家に来るようになった。

 秋穂は私にわからないところを聞きながら宿題を進められるのがとてもはかどるらしく、ほぼ毎日のように私の家に足を運んだ。冬休みが始まって数日は、秋穂はきちんと何時頃に行くか連絡をくれていたのに、そのうち面倒になったのか、大体朝十時くらいに家のインターホンを鳴らすようになった。


「秋穂、どっかに遊びに行ったりするんじゃなかったの」


 あまりにも毎日秋穂が家に来るものだから、一度そう聞いてみた。秋穂は、ん-、と少し考えたあと、小さな声で答えた。


「なんか落ち着くから、ここ」


 なんとなくいつもと声のトーンが違う気がして秋穂のほうを見たけど、秋穂は私に背中を向けて本棚の漫画を物色していたので、表情は見えなかった。


 大晦日はさすがに家には来なかったけど、年を越した瞬間、秋穂はゼロ時ぴったりに電話してきた。


『おめでと! 初詣行こ!』

「え、今から?」

『当たり前じゃん。あ、もしかしておじいちゃんちとか?』

「ううん、家だけど、普通にもう寝るし」

『ユキってさ、おばあちゃんなの?』

「どういうこと?」

『じゃあお昼になってからでいいよ』

「ん、わかった。うち集合でいい?」

『おっけー』


 結局、元旦のお昼ごろになって、私たちは家の近くの神社へ初詣に行った。私も秋穂もとくに何か願いかけをしたかったわけではなく、ただなんとなく、新年に会うための口実が欲しいだけだった。あまりの人の多さにうんざりした私たちはお参りをしたらさっさと退散して、結局私の家で駄弁って過ごした。


 そうやって年が明けて冬休みが終わりに近づいてくると、宿題をほとんど終わらせた秋穂は、私の部屋に来てだらだらと漫画を読んだりして過ごすようになった。ふたを開けてみれば、秋穂は冬休みのほぼ全日、私の部屋に来ていた。でも、私も秋穂が一緒に居てくれると、私が抱える不安や孤独が自然と薄れていくような気持ちがした。


 冬休みの最終日。私は塾の宿題を進めたくて、ベッドの上で勝手に寝転がっている秋穂とときどき雑談しつつ、ローテーブルで勉強をしていた。


「え、待って、ゆき」

「なに?」

「違う違う、雪、外、やばい」


 名前を呼ばれたのかと思ったら、どうも違うらしい。ノートから目線を上げると、秋穂は無遠慮に私のベッドの上に四つん這いになって、カーテンを開けて外を見ている。


「めっちゃ積もってる、五十センチくらい」

「うそでしょ」


 立ち上がって、秋穂の背中越しに日が落ちた窓の外を見る。

 秋穂の言う通り、まるでケーキに粉砂糖を振りかけているみたいに、夜空から降り注ぐすごい量の雪が街頭に白く照らされていた。地面を見る。五十センチはさすがに言いすぎだけど、少なくとも歩道のアスファルトが白く染まるくらいには積もっている。


「ね、ね、見に行こ」


 散歩が待ちきれない犬みたいに、見えない尻尾を振りながら秋穂が言う。とはいえ、実は私も窓の外を見て秋穂と同じような気持ちになっていた。


「もう遅いし、そのまま帰る?」


 私が聞くと、秋穂は一瞬だけ迷っているようだった。


「うん、そうする」

「おっけ」


 秋穂はベッドの上に無造作に広げていた漫画を集めて、自分のカバンの中にしまう。私も塾のノートと教科書を片付けて、コートを着て外に出た。

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