22 - 恋心
駅前のファミレスに入ってから席が空くまで待っている間、私と秋穂は一言も喋らなかった。十分ほどして案内された席に座り、ランチメニューのパスタを注文し終えたところで、我慢できなくなったのか、秋穂が口を開いた。
「あの子が、例の幼馴染?」
私は静かに頷く。
「ふーん」
「何?」
「幼馴染にしては、なんかよそよそしいなって思って」
そう言われるのも無理はない。
私とりんは結局、二言しかやりとりをしなかった。
「ユキも来てたんだ」
「うん」
それだけ。
私の隣で手をつないで並ぶ秋穂を見て、りんは「じゃあ、またね」と手を振って私に背を向けた。呼び止めようとしたけど、それ以上何を話せばいいかわからなくて、りんが小倉先輩と並んで美術部のメンバーに混ざっていくのを、私は黙って見ているしかなかった。
「ね、行こ?」
何かを察した秋穂が手を引いて、ようやく私は我に返った。
それから秋穂に言われるがまま駅前のファミレスに入り、今に至る。
その間、私はずっと、目が合った時のりんの表情が頭から離れなかった。
「言ったじゃん、ずっと喋ってないって」
秋穂の言葉に反論する言葉は、思っていたよりも刺々しく聞こえた。
「そうだけど」
秋穂が何を言いたいかはわかる。りんとの今の関係は、しばらく喋ってない、なんてレベルじゃない。もし仮にその程度だったとしたら、「こんなところで会うなんて偶然!」とか「紅葉どうだった?」とか、そんなことを多少は喋っていてもおかしくないから。
私自身も、いざ久しぶりにりんを目の前にして、あまりにも言葉が出てこなくてショックを受けていた。その理由はおおむね予想がつく。きっと、りんと、小倉先輩がいたからだと思う。
運ばれてきたパスタを黙々と食べ終えて、机の上にグラスの水だけ残ったあと、再び秋穂が口を開いた。
「ユキがイヤじゃなかったらさ」
グラスの水をもう一口飲んで、秋穂が続ける。
「何があったのか教えてよ」
「何があったか、って言われても」
何もない。
何もなかったはず。
そう思いながら記憶を辿る。
「りんとは、小さいころから一緒にいて、小学校では毎日一緒に過ごして、私にとってはそれが当たり前で、でも、中学校になってから、もう中学生だからって言われて、だから」
言葉を紡ごうと口を開いた瞬間、目の奥が熱くなって、声が詰まる。うまく言葉がまとまらない。気持ちが、感情が、言語化できない。
なんで。
力を入れないと、私の中の何かが壊れてしまいそうで、うまく喋れなくなった。
「きっと、私が間違ってたんだと思う」
職員室に呼び出された子は、こんな気持ちを味わうのだろうか。まるで誰かに首筋を掴まれているかのように、喋ろうとすればするほど、息が苦しくなる。
「自分の気持ちばっかり優先して、楽しそうなりんの姿に素直に喜べなくて。りんの優しさも、まともに受け止めることができなくて」
りん。その言葉を口にした瞬間、心臓をぎゅっと掴まれたようにますます苦しくなる。人ごみの中で私が見た、りんと小倉先輩の姿が目に浮かぶ。
「秋穂が言ってたこと、正しかったのかも」
秋穂が優しくも真剣な顔で、私を見守る。その視線の温かさすらも苦しさを助長する。
「好きだったのかな、私」
こらえ切れなくなった瞼から、涙がこぼれてくる。
目元をぬぐっても、ぬぐっても、私の意志に反して、涙がとめどなく流れ落ちていく。
「りんのこと、好きだったのかも。だって、ただの幼馴染だったら、こんな気持ちにならないでしょ。りんと誰よりも仲良くしているのが自分だったら。りんの隣で腕を組んでいるのが自分だったら。どれだけよかったかって、そう思ってしまったから」
秋穂が紙ナフキンを差し出してくれた。
「ごめん、まとまりなくなってきた」
「ううん」
それから秋穂が入れてきてくれたお水のおかわりを飲んで、少しだけ気持ちが落ち着く。
「伊咲さんとは、ちゃんと話さないの?」
私は曖昧に首を横に振る。
話した方がいい、とは心のどこかで思っている。けど、私の臆病な心がそれを許そうとしない。
最後のランチデーで犯した間違いから、私はまた、何かを間違えるのを恐れていた。何か、お互いにとって最善な、正解の言葉を探しているうちに、そんな言葉は無いと気付いて、口をつぐんでしまう。ついさっきだってそうだったから。
私たちは、知ってはいけないことを知ってしまって、もう知らない頃の二人には戻れなくなっている。私は、りんの中学校での姿を知ってしまった。りんは、あの日のファーストキスのことを思い出してしまった。それが引き金になって、私たちは変わってしまった。
「伊咲さん、そこまでユキのこと、嫌ってないと思うけど」
「どうだろう」
「だって、そんな相手だったら目が合っても話しかけないでしょ」
「それは……わからない、けど」
秋穂のフォローだって、素直に納得できなくて、むしろ少しだけ腹立たしくすら思ってしまう。散らかった部屋の中で探し物をしても見つからないみたいに、私の心の中はいろいろな感情や言葉でぐちゃぐちゃに散らかっていて、何か大切なものを見落としているような気がしてならなかった。
そんな私のことを察したのか、秋穂はしばらく黙ったあと、ぽつりと言った。
「それだけ好きなんだね、伊咲さんのこと」
それはこの前の帰り道で言った時のようなからかう口調ではなく、同情のような、あるいは慰めのような、静かで優しい声色だった。
私は何も言葉を返せずに、ただ小さく頷いた。
家に帰ってからも、りんの顔が頭から離れなかった。秋穂と二人で見て回った紅葉の景色も、秋穂の本当の秘密も、全部りんのことで上書きされてしまった。
それだけ、りんのことが好きだったんだ、私。
散らかったままの心の中で、その気持ちを受け入れようとする。
もしかしたら、りんが中学校の制服に袖を通したあの日から、私が抱いていた感情は、恋心だったのかもしれない。当たり前に自分のそばにいた存在が離れていくこと。嫉妬とか、独占欲とか、子供心とか、そんな感情の答えは、全部りんが好きだったということ。
りんのことが好きだった。大好きで、たまらなかった。
自分の気持ちを受け入れれば受け入れるほど、鋭いナイフをゆっくりと突き刺されるように、痛みと苦しみが胸の中に広がっていく。
泣きたくないのに涙がこぼれて、枕が濡れる。
だったらどうして、私はいま、好きな人から一番遠いところにいるんだろう。
どうして、自分の一番大切な人を突き放してしまったのだろう。
何をどこで間違えてしまったんだろう。
自分で自分を責める言葉が頭の中に浮かんでは消えていく。
こんなに苦しくて、辛い気持ちを抱えなくちゃいけないなら。
大切な人を傷つけることになってしまうなら。
恋なんて、したくなかった。
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