21 - 自分

「ユキってさ、あんまり自分のこと話さないよね」


 池のまわりをゆっくりと歩きながら、秋穂が言った。


「知りたいの?」

「そりゃあ、気になる」

「私のこと、か」


 自分のこと。そう言われて、心の中を探してみる。まわりの人からは、真面目とか、大人びてるとか、勉強ができるとか、そんなことをよく言われる。でも、自分で自分のことを話してみろと言われても、なかなか難しい。


「私って、なんだろう」


 ぽつりと、自然に湧いた疑問が口からこぼれる。


――自分が自分であるという証明。


 学校で秋穂が言っていた言葉を思い出す。私には、それが無いのかもしれない。人より秀でている特技とか、誰よりも打ち込んでいる趣味とか、無我夢中で追いかけ続けているものとか、何もない。りんみたいに人気者でもない。千夏みたいに誰とでも仲良くできるわけでもない。秋穂みたいな自分なりのこだわりもない。

 考え始めると、私を形成している私とは何なのか、急にあいまいになる。

 私って、何があるんだろう。


「もっと知りたい、って言われても、私にはいま見えている私しかないかも」


 自分でも、それが本当に言いたかったことなのかわからない。だけど、秋穂は私の言葉を聞いて何かを察したのか、すぐににこりと笑って言った。


「じゃ、今はそれでいいんじゃない。それはそれでユキなんだし」

「そうかな」

「そうだよ」


 秋穂はこういう時、清々しいくらいに前向きだった。秋穂が気持ち良さそうに「それでいい」と言うなら、不思議と私も「それでいい」と思えた。

 秋穂は、どうなんだろう。


「私だって、秋穂のこと知らないけど」


 そう言うと、秋穂はいつものように何かを企んでいる表情を見せた。


「知りたい?」

「そりゃあ、まあ」

「なんでも聞いていいよ」

「ほんとに?」

「答えるとは限らないけど」


 ふと、昨日利香に聞いた話を思い出す。紅葉狩りの時間を満喫しすぎて、利香から不穏な噂を聞いていたことなんてすっかり忘れていた。

 聞いてもいいものか、少しだけ迷う。だけど、内容が内容なだけに、どうしても気になった。不安だったわけじゃない。どちらかと言うと、好奇心だと思う。嘘だったら嘘でもいいし、本当だったら、秋穂のことをひとつ、知ることができる。


「噂で、聞いたんだけど」


 耳元で、利香の言葉を伝える。


「……本当にしてるの?」


 心の奥底では、「まさかそんなことはないだろう」と思い込んでいた。


「うん」

「えっ」

「してるよ」


 だから、私の予想に反して秋穂があっけらかんとして答えた時、心底驚いた。


「ほんとに?」

「あ、でも、えっちなことはしてないよ。キスだってしないし。ちょっと一緒に歩いたり、お茶したりごはん食べたりとか。後は手をつなぐとか、ハグはたまにするけど」


 えっち、という単語に背中がぞくりと冷える。まるでそれが生活の一部であるかのように、秋穂はすらすらと話した。それが本当だったということにも驚いたけど、秋穂が何も後ろめたさを感じていないことにももっと驚いた。つまり、それは秋穂にとって秘密でもなんでもなかったということだ。


「引いた?」


 秋穂が聞く。私は首を横に振る。


「でも、なんでだろう、って思う」


 私が言うと、秋穂は困った様子で笑った。


「ユキとか絶対しなさそうだもんね」

「そういうことをする発想がなかった、というか」

「良い子すぎるよ、ユキ」


 秋穂はしばらく黙り込んだあと、ぽつりと言った。


「今から話すことは、私とユキだけの秘密にしてね」


 秋穂にとっての秘密。それは、お金をもらって男の人とデートすることじゃなくて、心の内側のもっと深いところにあった。


「誰かと触れ合っていると、自分が必要とされているんだって思える。そうするとね、心が満たされるの。むしろ、そうしてないと、孤独に押しつぶされそうになる」


 私の手を取る秋穂の手に力がこもる。


「今でもそう。こうやってユキと手を繋いで、一緒に並んで歩いていると、すごく満たされる気持ちになる。誰でもいいってわけじゃないよ。でも、誰か私に触れていてほしい。寂しがりなんだ、私」


 そう言った秋穂は、困った様子で笑った。


「ごめん。気持ち悪かったら、離れてくれてもいいから」


 気持ち悪い、という感情は無い。

 むしろ、私には秋穂の気持ちは少しだけ分かる気がした。誰かと触れ合っていると、満たされる気持ちになる。一人にならないで済む。それはたぶん、学校の友達付き合いとか、家族と喋るとか、そういう日常的なふれあいでは得られないもので。人によっては、それを満たしてくれるのが恋愛であって、秋穂にとっては、それがたまたま学校の外にいる大人だったのかもしれない。

 手段は褒められたものじゃないのかもしれない。だけど、それを気持ち悪いと割り切るのは、間違っているような気がする。


「気持ち悪くないよ」

「よかった」


 心底安心した様子で、秋穂が息を吐く。


「私も、誰かに触れてると、安心するから」


 そう言うと、秋穂はいたずらっぽく笑った。


「それは、私? それとも、伊咲さん?」


 その質問に、私はぱっと答えられなかった。数秒ほどの間が空いて、秋穂は「わかりやすいねえ、ユキ」と言って笑った。


「でも、それならWIN-WINの関係だね、私たち」

「お互いの心を満たせるから?」

「そゆこと」


 不意に秋穂が私の腕に抱き着いてきた。秋穂のやや主張の強い胸元の輪郭が、私の二の腕に押し付けられる。それでも、嫌な感じはしない。少しだけ緊張するし、恥ずかしいけど、離れたいとか、気持ち悪いとは思わない。


――一緒にいると落ち着く。


 ふと、結花の言葉が脳裏によみがえった。

 秋穂とはもう数十分は手をつないで歩いているけど、緊張するより、むしろ近づけば近づくほど、心地よさすら感じている自分がいる。

 なんとなく、触れあっていても違和感が無い、というか。

 私は友達であってもある程度の距離感を保つタイプで、例えば、友達と手をつないだり、スキンシップとかは絶対にしない。言っていないことや秘密も多いし、気を使って話題を選んだりすることもある。

 でも、りんとか、秋穂に対しては、そんなことを考えていない。

 そう。秋穂に対しても、りんと同じような接し方をしている自分がいる。

 秋穂も少しずつ、「友達」という枠組みを外れつつある。今知っている言葉ではどうにも名前がつけられない、あいまいな関係性が秋穂との間に生まれている。


「そろそろ行こっか」


 ちょうど池のまわりを一周し終えたところで、秋穂が言った。


「もういいの?」

「うん、お昼過ぎるとまた人増えてくるし」

「じゃあお昼食べて帰ろうよ」

「いいね」


 池まで歩いてきた小道を引き返して、公園の入口へと向かう。薄く紅葉が積もった道の上で、紅葉狩りを終えて帰ろうとする人たちと、いま来たばかりの人たちがたくさん行き交っている。秋穂が言っていた通り、本当に人気スポットらしい。私たちはさっきよりも強く手を繋いで、人ごみの間を抜けていく。


 そして、公園の入り口が見えてきた時。

 無数の人たちのわずかな隙間から、まるで見えない矢を放たれたように、一人の女の子と視線が交わった。

 突然のことだった。でも、見間違うはずがない。どれだけたくさんの人がいる中でも、自分の家族はすぐに見つけられるみたいに、どこに居ても、私たちはお互いのことを見つけられる。

 だって、生まれた時からずっと一緒に居たから。


「ユキ?」


 私の視線の先に居たのは、紛れもないりんだった。

 今まで何度も聞いてきた、私の名前を呼ぶ声。たくさんの人たちの喧噪と、乾いた枯れ葉が舞う音が遠のいていく。

 足が止まり、それに気づいた秋穂も立ち止まる。りんの視線が、私から、私の腕を抱いた秋穂に移る。私の視線も私の意志とは関係なく、りんの隣で腕を組まれている小倉先輩を見てしまう。


 もう一度、何かを確かめるように私たちの視線が交わった。

 りんの瞳には、秋の曇り空が映っていた。

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