20 - 紅葉

 午後の授業も全てこなし、金曜日のホームルームが終わると、いつもに増して賑やかな放課後が始まる。わっと一斉に解放された空気の中、みんな土日の予定を相談し始めたり、どこか楽しそうな空気の中で部活へと向かっていく。

 それでも秋穂は、いつもと同じように鞄の中に教科書を片付けていた私の方を向いて、私の机の上で頬杖をついていた。なんとなく目を向けた先、艶のある桃色の唇に視線を奪われる。何か塗ってるのかな、なんて子供みたいな考えが浮かぶ。


「ね、ユキ。明日一緒に遊びに行かない?」


 その唇が細くなって、小悪魔のような笑みを見せた。


「いいけど、どこに?」

「それはねー、当日までの秘密ってのはどう?」


 利香の言葉を思いだして、身体が緊張する。いや、万が一にも秋穂が私を巻き込むことはないだろうけど。


「危ないところは行かないよ」


 言ってから、しまった、と思う。まるで秋穂が危ないところに行ってるかのような言い方をしてしまった。だけど、秋穂はまるでそれを見越していたかのように、笑いながら私の肩をぱしぱしと叩いた。


「ないない! そういうのじゃないから。明日十時に駅前集合でどう?」

「ん、了解」

「じゃ、今日私用事あるから先帰るね。バイバイ」


 言いたいことだけ言って、素早く鞄を肩にかけた秋穂はさっさと教室から出ていってしまった。しばし茫然としていた私も、鞄の中身を整理して口を閉じる。

 私と遊びに行くって、どこに行くんだろう。まったく想像つかない。

 秘密の場所。人には言えない場所?

 最悪の場合はその場で断って帰ることも考えないといけないかもしれない。

 そんな不安を抱えながら、帰り道を一人で歩く。


 秋穂と出かける約束をした土曜日。集合時間の十分前に駅に着いた時、秋穂はすでに駅の改札前で私のことを待っていた。


「早いね、ユキ」

「秋穂こそ。待たせてごめん」

「ううん。さっき来たとこ」


 秋穂はベージュのタックショートパンツにブラウンのパーカーを着ていた。学校に居る時より、髪の毛のセットにもメイクにも気合が入っているようで、ぱっと見、高校生と言われても違和感がないくらい大人びた佇まいをしている。


「チャージ、千円で足りる?」

「足りる足りる。快速で三駅のところだから」


 普段あまり遠出をしない私にとって、「快速で三駅」は十分に遠出だった。私はどこに連れていかれるのだろう。昨日から拭いきれない一抹の不安を抱えながら、秋穂に続いて改札を通る。


「ちなみに、どこに行くと思う?」


 私の不安が顔に出ていたのか、秋穂がにやにやとしながら聞いてきた。


「うーん……カラオケ?」

「ぶー。それなら吉崎でいいじゃん。もっと特別なとこ」

「ヒントほしい」

「えーっとねぇ、この季節限定、かな」


 季節限定。ますますわからなくなる。唸る私を見た秋穂が、楽しそうに笑った。


「あはは、ま、着いてからのお楽しみね」


 困惑する私を見て、秋穂はご機嫌そうに言った。


 それから電車に揺られること十数分。知らない駅で降りて、見たこともない景色の中を十分ほど歩いた後、私たちは赤色と黄色の紅葉が広がる公園の入り口に立っていた。


「というわけで、正解は紅葉狩りでした~」


 利香の言葉を鵜呑みにして、少しでも秋穂のことを疑っていたことを反省し、心の中で秋穂に謝った。


「すごい、こんなところあったんだ」


 公園には結構な人が集まっていて、奥に行くと燃えるような紅葉が広がる半面、人が多すぎてまっすぐ歩けなくなった。


「もしかして有名?」


 がやがやと騒ぐ声に消されないように大声で聞くと、秋穂も声を張って答えた。


「ちょっとした観光地ではあるよね。車で来る人も多いみたいだし」


 向かいから歩いてきたカップルを避けるために、秋穂が私のほうに身体を寄せる。腕と手が触れあった瞬間、秋穂の手が私の手を掴んだ。思わず秋穂の顔を見ると、にやりと笑われる。


「なに、恥ずかしい?」

「別に」

「人多くてはぐれそうだからつないでるだけですよー」

「わかってるって」


 なんだか、秋穂の思うがまま、手のひらで転がされている気がする。秋穂はつないだ手を嬉しそうにぶんぶんと振って、にこにこと笑いながら並んで歩いた。秋穂の手はりんに比べて細くて、冷たくて、少しでも力を入れたら骨を折ってしまいそうだった。


「こっち、人少ないから」


 秋穂はそう言って私の手を引く。

 入り口からずっと続いていた大きな道から外れて、小道を進む。その先には小さな池があって、そのまわりをぐるりと回るように遊歩道が敷かれている。さっきの道沿いより紅葉の勢いは少ないものの、その分、人もあまり多くない。


 もうはぐれる心配もない。だから、手をつなぐ必要はないのに、秋穂はまだ私の手を握り続けた。私の体温で、秋穂の手は少しあたたかくなっていた。


「ねえ、秋穂」

「ん」

「紅葉、好きなの?」


 秋穂は頭上に広がる紅葉の傘を見上げながら言う。


「意外だった?」

「正直に言えば、そう」


 秋穂の性格から、紅葉狩りに行くなんて予想していなかった。しかも、景色を見ずに私に喋り続けるとか、すぐに飽きて違うところに行こうとか言い出すこともなく、純粋に、一面に広がる赤色と黄金色の景色を楽しんでいるようだった。


「なんか、いいじゃん。紅葉って」


 秋穂はしゃがみこんで、地面に積もっていた赤色のじゅうたんの中から、一枚、紅葉を手に取った。


「紅葉ってなんで赤くなるか知ってる?」

「えっと、たしか葉っぱにはクロロフィルっていう色素があって」

「そうじゃなくてー」


 立ち上がった秋穂が頬を膨らませて、紅葉を私の目と鼻の先に差し出す。


「きっと、枯れる前に綺麗な姿を見せたいんだよ」


 赤いシルエットの向こうで、秋穂の瞳が揺れる。


「過ぎた時間は元に戻せない。無くしたものは二度と取り返せない。進んだ道は引き返せない。だから、せめて命が終わる前に、いまこの瞬間だけでもきれいな姿でありたい、そう思ってる」


 差し出された秋穂の指から、紅葉を受け取る。強くなり始めた秋風にさらわれた紅葉が足元でわずかに舞い上がり、かさかさと乾いた音を立てた。


「なんて考えたら、ちょっとロマンチックじゃない?」


 秋穂はときどき、中学生とは思えないくらい大人びた考えをする。そうやって秋穂から生まれた考えは、私には馴染みが無いものばかりで、私はいつも、秋穂が言った台詞の意味を理解するのに時間を要した。


 秋穂はそんな私に考える隙を与えず、体を寄せてスマホのカメラを起動する。


「ね、写真撮ろ」


 秋穂がスマホをインカメラに切り替えて、私にぐいと顔を寄せて手を伸ばす。甘い花の香り。遠慮なく、慣れた様子で頬をつけて、画角の中に紅葉と私たちの顔を収める。私はさっき受け取った紅葉をなんとなく手元に写してみる。


 カシャッ、と電子的なシャッター音に合わせて、私と秋穂が一緒にいる時間が切り取られる。


「いい感じ、後で送っとくね」


 スマホをのぞき込んだ秋穂が言う。

 私は秋穂から受け取った紅葉を、こっそり鞄の中にしまった。

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