18 - 好き

 私にとって、恋愛はいわばゴシップのひとつでしかなかった。


 誰かが誰かを好きだとか、誰かに告白したとか、付き合ったとか別れたとか、そんなものはすべて私とは無関係で、芸能人と同じようにテレビの向こうで起きている出来事のつもりで生きてきた。小学生の頃からりんにそういう話はたくさん聞かされてきたけど、どこか自分には関係無いものと思い込んでいた。


 それが、いざ自分のことになるとこの有様だ。

 だって、自分が恋愛をするとか、誰かを好きになるとか、考えたことがなかったから。しかもそれが、幼馴染の女の子相手だなんて。


 秋穂と一緒に帰った日の夜、お風呂につかりながら頭を整理していると、混乱しながらも自分を分析する冷静さを少しずつ取り戻した。


 私が混乱している理由、それは、からだ。りんのことを仲が良い友達だと言い切れるなら、秋穂の言葉をこんなに気にすることなんてない。

 たとえば千夏とか、他のクラスメイトのこととか考えてみると、その関係性には一定ラインの境界線がある。そのラインを踏み越えない限り、私たちはどれだけ仲良くなっても「友達」でしかありえない。


 じゃあ、りんは?

 生まれた時から一緒にいる私とりんの境界線は、ひどく曖昧だ。

 幼馴染、というのはあくまで定義の話で、私たちの関係の本質を言い表すものじゃない。

 親友、なんて言葉じゃ全然足りない。

 家族、が近いかもしれない。でも、血が繋がってるわけでもないし一緒に住んでたわけでもない。


 じゃあ、私たちの関係って、何。


 秋穂に言われて気が付いた。私はたぶん、りんに振り向いてほしいんだと思う。一秒でも長く一緒にいたいし、手を繋いで歩きたい。本当に正直に言うのであれば、キスだってしたいし、触れ合いたい。

 それは、りんだから?

 それとも、りんが「好きな人」だから?

 りんが居たから好きになったのか、それとも好きになった人がりんだったのか。


「堂々巡り」


 誰もいない浴室で、ぽつりと呟く。


 お風呂から出てすぐ、スマホを手に取り千夏へのメッセージボックスを開いた。


『誰かを好きになるってどういうこと?』


 無意識にそこまで打ち込んで、慌ててすぐに消す。そんな質問、さすがに恥ずかしすぎるし、絶対からかわれるに決まってる。学校でもいじられて、すぐに言いふらされて、会う人全員に「ユキ先生、好きな人できたの!?」と聞かれまくる未来が見える。


 かといって、この混乱を一人で抱えきれる気もしない。

 言い出しっぺの秋穂に聞いてみる?

 たぶん、意味ない。私が期待しているような答えは返ってこない。秋穂は「誰かを好きにはなれない」と言っていた。その意味すら、私にはまだよくわかっていない。

 そもそも、きっと、答えなんて無いんだと思う。

 答えが無い問題なんて、私にはあまりにも難しすぎる。

 人を好きになる、って、なに。

 好き、って、なに。

 夜、部屋の電気を消してベッドに入る頃には、「好き」のたった二文字の言葉がとんでもないくらい大きく膨らんで、私の頭の中でぐるぐると回り続けていた。


 秋穂のせいで、その日から私は恋愛ごとに対して妙に敏感になってしまった。千夏たちが話すちょっとした恋愛トークとか、誰かの噂話を耳にするたびに、なぜか心をくすぐられる感じがした。でも、いきなり恋愛に興味を持ち始めたと思われたくなくて、できるだけ平静を装うように努力した。それがちゃんとできていたのかはわからないけど。


 そんな多感になったタイミングで、印象深い出来事があった。いつも千夏たちと一緒に集まっているメンバーの一人、結花に彼氏ができた。


 昼休み、いつも通りお昼ご飯を食べ終えてそのまま輪になって駄弁っている時、言い出したのは千夏だった。


「結花、カレシできたんでしょ」

「えっ、うそっ」


 加奈子が飛び上がりそうな勢いで驚き、結花は顔を赤くする。


「誰に聞いたの?」

「ってことはホントなんだ」

「抜けがけ!」

「待って写真見せて」

「ヤだよはずいし」


 わっとにわか雨のように盛り上がったあと、少し収まったタイミングで口を挟む。


「どんな人なの?」

「一組の陸上部でしょ、あのひょろっとしてる」

「ひょろっとしてるとか言うな!」

「えっ、まさか野木君?」

「違う違う、そっちじゃなくて」


 再びのにわか雨。きゃあきゃあと騒ぐみんなを眺めながら、しばし紙パックのオレンジジュースを飲む。


「とにかく優しい」

「あー、わかるわー。ケンカとか絶対しなさそう」

「頭もいいんじゃない?」

「さあ」


 徐々ににわか雨がおさまってくる。


「いつ好きだって思ったの?」


 私が言うと、千夏が目をぱちくりとさせて私を見た。


「なにその乙女みたいな質問」

「え、だって気になるじゃん」

「ユキ先生、純情だもんなあ」


 私、そんな風に思われてたのか。もしかして、食いつきすぎた? 軽くショックを受けるも、気にしないようにする。

 結花は少し考えた後、小さな声で答えてくれた。


「家近いから、放課後一緒に帰るようになって。なんか、話してたら落ち着く、っていうか、一緒にいて楽しいし、ドキドキもするけど、なんていうかな、居心地がいいなって思って、それで」


 そう言う結花の顔には、少女漫画のように誰かを想う表情が浮かんでいた。

 千夏たちが声をそろえて甲高い歓声をあげると、結花はすぐに表情を崩し、やめてよ、と言いながら千夏の肩を叩いた。


 はしゃぐ千夏たちを横目に、私はしばらく、結花の言葉を心の中で唱え続けていた。

 話してたら落ち着く。一緒にいて楽しい。居心地がいい。

 それが、好きに変わっていく気持ち。

 何より、結花が浮かべていた、あの愛おしさに満ちたまなざしと、隠しきれない幸福感を噛み締めるかのような微笑みが頭から離れない。

 もしかして、私もりんのことを秋穂に話したとき、あんな顔をしていたのだろうか。


「そういう千夏こそ、ケータのことどうなの」


 結花が反撃する。啓太は千夏の小学校からの幼馴染。私たちから見たら、あきらかに親友以上の関係を持っているのに、別に付き合ってるわけじゃない。私とりんの関係に似ているかもしれない。


「あいつはたまたま小学校から一緒なだけだって」

「えー、いいじゃん!」

「気の置ける? 置けない? 仲ってカンジ、早く付き合え」

「付き合いませんー」


 千夏に恋愛感情は本当に無いらしい。けど、そう言いながら何の前触れも無くいきなり付き合い始めるカップルだっている。何が起こるかなんて誰にも、多分、本人たちにもわからない。


 みんなの話を聞いていて、わかったことがある。

 誰かを好きになるということがどういうことなのか、その答えは、本当に人によって違うということ。

 会った瞬間に恋に落ちる一目惚れもあれば、友達として長く一緒に過ごすうちに好きだと思う人もいる。軽いノリで付き合う人もいれば、ひとりひとり真剣に向き合う人だっている。「好き」という感情が生まれる基準も、タイミングも、その重さも、人によって全然違う。


 そして、私の中には、そのすべてが欠けている。

 私が次に知らないといけないことは、りんが好きなのかどうかじゃない。

 人を好きになるとはどういうことなのか、知らないといけない。

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