17 - 恋

「えっ、は?」


 聞き間違いかと思った。


「え、好きって、友達として?」

「違う違う。恋愛対象として、伊咲さんラブってこと」


 れんあいたいしょう。

 秋穂が放った言葉を心の中でオウムのように繰り返す。

 れんあい。つまり、誰かに告白して、お付き合いして、みたいなあれのこと。

 私にとってりんがその対象、ってこと?

 にわかに混乱する私にお構いなく、秋穂はなぜか得意げに言う。


「だってさー、好きな人じゃないとそんな感情的にならないじゃん」

「なっ、だって、りんは幼馴染だし、女子だし」

「いやいや。まだ授業でまだやってないから知らないかもしれないけど、世の中には女の子を好きになる女の子もいるの。恋と性別は関係ないって。ちなみに、私は男の子も女の子も恋愛対象」

「そっ、そうなの?」


 そう聞いた私は、人生で初めてと言って過言ではないくらい混乱していた。

誰かに恋愛感情を抱くなんて、今まで微塵も考えたことがなかったのに、女の子、しかもずっとそばにいた幼馴染が好きだってこと?

まったく理解が追いつかない。


「もしかして、からかってる?」

「からかってないし。ユキ、そういうの絶対自分で気付かなさそうだから言っておいてあげようかなって」


 秋穂は至極本気で言っているらしい。いや、たしかに今までそんなこと考えたこともなかったのは事実だし、秋穂が言う通り、誰かに言われなければ絶対に考えることもなかっただろうけど。でも、そんなこと、ありえないでしょ。


「いや、ないない、絶対ない」


 早足で歩き始める。


「うそ、あるって」


 秋穂が同じくらい早足で追いついてくる。


「ないよ、そんなの、だって」


 だって、だって。


 何も理由が浮かんでこない。

 りんのことが好きなのか、と聞かれて、否定する理由が出てこない。友達とか幼馴染として好き、それは間違いない。同性のことを好きになる、というのも、もう少しゆっくり向き合わないといけないけど、とりあえず私にとっては自然と受け入れられる、気がする。


 じゃあ、りんのこと、恋愛対象として好き?

 たとえば、りんとキスできる?

 残念ながら、その答えは明白。だって、私たちはもう、ずっと前にファーストキスをお互いに捧げているから。


「その人のことしか考えられないとか、何かのきっかけに思い出しちゃうとか、それで自分の心が乱されちゃうとか、それは立派な恋じゃん」


 恋、なのかな。

 そんなこと、ありえる?

 恋心という名の、手で持つにはあまりにも熱すぎるボールを放り投げられて、うまく受け取れずに両手で転がしているような気分になる。そんな私の様子を察した秋穂が、いたずらっぽく肘で私の肩を軽く突いた。


「恋、だとしたら、どうすればいい?」

「それはユキ次第でしょ」


 我ながら無意味な質問に、秋穂がにんまりと憎たらしい笑顔を見せる。


「告っちゃえば?」

「こっ、いやいやいや、無理だって!」


 急展開すぎる。いきなりそんなことしたら、りんだって間違いなく混乱するし、下手したら今以上に距離を置かれてしまう。というか、そもそも、今の私たちの現状は告白から程遠い。


「告白も何も、もう夏休みくらいからずっと喋ってないし」

「えっ、どうして?」


 にわかに生まれた高揚感が、すぐに冷えてしぼんでいく。


「わからない。けど、なんかうまくいかなくて、避けてるの」

「……そう」


 秋穂はそれ以上何も言おうとせず、次の言葉を待っているようだった。だけど、私はりんとのことについて、今はこれ以上話したいとは思えなかった。うまく話せる自信も無いし、これ以上秋穂に心を乱されたくもない。私は話を逸らすことにした。


「そういう秋穂こそどうなの。何かあるでしょ、恋愛、とか」

「えー?」


 秋穂はうーんと腕組をしてしばらく考えてから、ぽつりと言う。


「私は誰かを好きにはなれないから」


 予想していたものと全然違う回答に、私は驚きを隠せなかった。


「どういうこと?」

「そのままの意味だけど」


 思わず立ち止まっている間に、秋穂が二歩、三歩と先へ進む。その間に秋穂の言葉を理解しようと頑張ってみたけど、結局よくわからないままだった。私は幼馴染を好きかもしれない一方で、秋穂は誰のことも好きになれないと言う。滅茶苦茶で大きな矛盾を孕んでいるような気がして、考えがまとまらない。

 秋穂に何て声を掛けるか迷っているうちに、私の先を歩いていた秋穂は振り向いてにっと笑った。橋を渡ってすぐの交差点。紺色に染まっていく空の向こう、沈んでいく夕陽の光で私たちの影が長く伸びる。


「私こっちだから。また明日ね」


 そう言って手を振った秋穂は点滅し始めた青信号を小走りで渡った。声を掛ける間もなく、秋穂の姿は住宅街の向こうへと消えていく。


――好きなんでしょ?

――私は、誰かを好きにはなれないから


 家に帰るまで、頭の中で秋穂の言葉が何度もこだました。

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