14 - 欠落

 最低だ。

 私はまた逃げ出した。一番してはいけないことをした。

 りんの気持ちを理解しないままに、自分勝手な気持ちを押し付けたこと。その結果、不用意な質問でりんを傷つけたこと。そして、自分の気持ちにも、りんの気持ちにも向き合うことなく、無理やり会話を終わらせてしまったこと。

 自分の思い通りに喋ることができなかった。当然、それはりんのせいではなくて、かといって自分が悪いとすぐに受け入れることもできなくて、ただ現実から目を逸らすために逃げた。


 それが、私が中学校に入って犯した、一番大きな間違いだった。

 私は、いつまでもずっと、少しも成長していない子供のままだった。

 本当に、最低としか言いようがない。


 あの雨の日を最後に、私はりんと一緒にお昼ご飯を食べるのをやめることにした。りんと会ってまともに話せる気がしなかった。少しだけ、考える時間が欲しかった。私がりんに対して何を感じているのか、その感情の源は何なのか。なぜこんなに、りんに依存してしまうのか。私はこのまま、りんの近くに居続けていいのか。すべてを問い直したかった。


 次のランチデーが来る前に、私はりんにメッセージを送った。


『お昼、クラスの子たちと食べたくて』


 嘘は言ってない。ランチデーをやめたら、水曜日も千夏たちとお昼ご飯を食べようと思っていたから。でも、本当は、千夏よりもりんと一緒に居たい。でも、りんと一緒に居たら、うまく自分を制御できなくて、またりんを傷つけてしまうかもしれない。


 私のメッセージに対するりんの返事は、予想通りのものだった。


『ユキもクラスの子と仲良くしたいもんね』


 りんの優しい言葉を受け取るほど、なぜか私は苦しかった。

 いっそ怒ってくれてもいいのに。

 話したくない、顔も見たくないって、突き放してくれたらいいのに。

 でも、それだって自分勝手な考えで、そんなことを考えてしまう自分のことが嫌になってくる。

 りんの言葉にどう返せばいいかわからず、私はそのまま返事をせずに放置してしまった。


 そうやって、私たちのランチデーは最初の数か月ほどで終わり、りんとの接点はほとんど無くなった。

 全く会わなくなったわけじゃない。学校の授業で教室を移動するときにすれ違ったり、遠目に見かけたりすることはあった。りんは私に気付くと、笑って手を振ってくれた。私も気付いて手を振り返すと、もっと嬉しそうに笑ってくれた。


 その瞬間だけは、すごく心が満たされている気持ちがした。顔が見れたら、嬉しい。りんが私に気付いて手を振ってくれたら、もっと嬉しい。手を振り返して、お互いに笑顔を見せあうことができたら、私たちの関係はまだ壊れてないって、安心できる。


 でも、数週間以上会えなかったときは、まるで会えた時の反動のように、心の中で不安が育っていく。自分から会うのを避けたはずなのに、会えないと辛くなる。そんなことを考えてしまう自分を自己嫌悪してしまい、ますます胸が苦しくなる。


 唯一の救いは、りんが週に一回、私にメッセージを送ってくれたことだった。部活のこと、学校のこと、簡単な近況報告のあと、決まってこう書かれている。


『ユキは元気?』


 私はいつも『元気だよ』とだけ書いて、他には何も書かなかった。

 何を書けばいいのかわからなかった。

 学校生活は、決まった時間割で授業を受けて、千夏と喋って、家に帰るだけ。そんなに面白い話があるわけじゃない。楽しくないわけじゃないけど、りんみたいにわざわざ伝えるほど特別なことじゃない。何か思いついて書き出してみても、読み直してみたら全然面白くなくて、また消してしまう。


 前までは、もっとうまく話せていた気がするのに。

 りんと話をするための言葉を失ってしまったような気がする。


『やっぱり、ランチデー再開したい』


 そんな言葉だって、何度も入力しては消していた。

 結局、私はいつも『元気だよ』とだけ書いた短いメッセージを送る。私からりんにメッセージを送ることはない。


 中学生になってはじめての夏休みは、ほとんど一人で勉強をして過ごしていた。時々、千夏たちと近所のゲームセンターやカラオケに遊びに行ったりもしたけど、それ以外の時間のほとんどを勉強に費やした。お母さんが見つけてきた夏季集中講座を受けるために、駅前の塾にも足を運んだ。


 勉強は嫌いじゃない、むしろ好きだった。もともと何かに頭を使うことが向いていたのだと思う。教科書や参考書を読解して、問題を解くことに集中してシャーペンを動かしていると、それ以外の余計なことを忘れられる。知識も身に着くし、問題が解けた時は達成感もあるし、自分が成長していると感じられる。良い高校や大学に行きたいとか、そういう将来のことはあまり考えていなくて、純粋に勉強の時間を楽しんでいた。


 でも、それが私の心を充実させているかというと、そうでもなかった。

 家に帰って、シャワーを浴びている瞬間、ふと、何とも言い難い孤独感に襲われたりする。勉強というひとつの目的から外れた瞬間、自分を見失ってしまいそうな、そんな不安がいつも私に付きまとっていた。

 りんは夏休み中も時々メッセージを送ってきて、部活の様子とか教えてくれた。私も、たまに塾のことを送ったりしていた。


 一度だけ、りんに『会いたい』とメッセージを送ったことがある。

 孤独感に耐えられなかった。送ってからすぐに後悔して、祈るようにスマホを両手で握って返事を待った。心の底で、ほんの少しだけ、りんが会う約束をしてくれるんじゃないかと期待していた。


『私も、ユキに会いたい』


 りんからの返事は、それだけだった。

 会いたい。りんの手に触れたい。

 正直に言えば、もう一度キスしたい。

 だけど、その気持ちはうまく伝えられず、わだかまりになって心の奥底へと沈んでいく。


 結局、私はりんと一度も会うことなく、中学生最初の夏休みを終えた。

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